第5話 <言祝ぐ息吹>──①
黒い木々の立ち並ぶ森を西へ抜けると、草木も途切れ途切れに見られる程度の荒れ野に入った。
「帰路に馬を確保できたのは思わぬ幸運ってやつだが、適度に休ませないといけねえ。餌もケチる訳にはいかんだろうさ。行きから短縮できても五日ってところだな」
自然と会話が途絶えていたタイミングで、シュトラールが口を開いた。
「これからどんな風に進むの?」
陽光の眩しさにまだ眠たい目を細めながら、スーラが尋ねる。それは僕が、と前で手綱を握るエンズが答えた。
「しばらく西に進むと山脈に行き当たるんだ。谷間が川になっているから行きでも使った船──水の上を進む乗り物だよ──で下ってから反対側へ渡る。馬二頭は……ここから南が”
「川を渡るだけなら、私とネヴァンがエンズ達を一人ずつ抱えて飛んだ方が早く済まない?」
頼もしいな、と笑いながらエンズがスーラに優しく諭す。
「それも一つの手なんだろうけれどね。行きを船に乗ってこちら側へ来たものだから、帰りも船を使いたいんだ。こちら側に船を残しておきたくないんだよ。人狩りから君を奪ったことで、追手の類が来ないとも限らない。もちろん警戒は都度しているけど、人の痕跡を残すものはできる限り取り除いておきたいんだ」
なるほどそういうことなら、とスーラは頷きながら思った。エンズ達がたびたび口にしていた”ベルグ”という言葉。意味はわからないが、自身をさらった人狩りもどうやら”ベルグ”に近しい人々だったらしいことは、これまでの会話から何となくわかる。仮に彼らにそれとわかるような痕跡を残したら、それを辿られてモザイクに危険を持ち込むことになってしまうかもしれない。
「ここよりずっと西なことには違いないが、幸いモザイクはトーソンリーの西の果てってわけじゃない。大丈夫。時間は少しかかるが、きっちり連れて行くよ」
自身の腰に回された少女の腕の力が、少し緩むのを感じながらエンズは言った。
※
四人はその後も順調に歩みを進めた。数日後には荒れ野に草木が増え始め、地平線に確かな緑の起伏を目にすることができた。エンズの話に出た山脈だ。麓の森にたどり着くと、エンズは馬に取り付けられた馬具を外してやった。
「タダビトにも他者との接し方には傾向があってね。例えば”駿馬”の人々は誇り高い。そして何より、自分たちの同胞として馬には敬意を払って接する。馬具なんて付けてたら神経を逆なでしてしまうだろうからね……さあ!」
エンズが軽く促してやると、馬は自身の向かうべき場所を知っているかのように、南へ向かって駆け出した。スーラは少し寂しい気持ちになって、姿が見えなくなるまでじっとそれを眺めていた。
「日がだいぶ傾いてきてるね~。夜の川下りは怖いし、今日は森の外れで休む?なんならアタシ、先に軽く飛んで周りの様子見てくるケド」
ネヴァンの一声にシュトラールも頷きながら言葉を繋ごうとした、その時だった。
「ひとまずもう少し進んだ所で野営を──!?隠れろ!」
三人と、少し遅れてスーラが転がるようにして近くの茂みに飛び込んだ。
(うっわわ!?ルーちゃんどしたん!?)
(シーッ!今は静かにしてろ、じきにわかる!)
状況を呑み込めていないネヴァンの頭を、手で茂みの中へ押し下げながらシュトラールが他の二人にも目配せする。そういうことか、と思いながらエンズがぱくぱくと声は出さず口を動かした。
(敵だな。何人だ?)
シュトラールはしばらくチロチロと長い舌を上下させ、周囲の匂いを感じ取りながら返事をした。もちろん声を出さずに唇の動きで、だ。
(数は八。ベルグと匂いが違う。おおかた、はぐれ者の盗賊だろ。この先で焚き火してやがる)
そうか、とシュトラールに了解の合図を出しながら、エンズは状況を考える。
(おそらくは川のこちら側に元々いた連中だろう。行きで出くわさなかったから、この辺りは大丈夫だろうと楽観していたな──)
ふと右腕が重くなったのを感じて見やると、スーラがエンズの手を胸に抱くようにして握っていた。体にかすかに震えが伝わってくる。彼女が
(何より、助け出されたとはいえ一度は人狩りに襲われた身だ。怖がらないのがおかしいくらいだよな)
エンズは右腕を握るスーラの手に自らの左手を重ね、顔を上げて自身を見るスーラにささやくような声で伝えた。
「大丈夫。やっつけて先へ進むさ」
スーラの目線にかすかに混じる不安の色が和らいだ。目を閉じて何回か大きく息を吐くと、スーラはエンズの腕をより強く握り、小さく、しかしきっぱりとした口ぶりで言った。
「ありがとう、エンズ。でも、助けられてばかりはイヤだ。私だって、弱い者が喰われる森で生きてきた。あなた達が闘うなら、私も闘う……!」
いつの間にかスーラの震えは止まり、その燃えるような紅い目には決意の炎が灯されている。初めて見る表情に、エンズはわずかに驚きを表情に出したが、すぐに自身を恥じた。
(彼女はこの世界のことをまだ詳しく知らない。少なくとも母のモーソや僕達から聞いたこと以上は。けれど強大な母の庇護の元でとはいえ、獲物を狩り喰らい、襲ってくるものを打ち破り、あの森での日々を生き延びてきたのも間違いなく彼女の姿だ。スーラはすでに十分に“この世界での生き方”は知っている。そして自身で闘いたいとまで言ったのなら、止める権利は僕にない。けれど……)
けれど、とエンズは再び脳裏で繰り返す。さっきまでスーラを励ますように重ねていた左手を見ると、まるで先程までの彼女のそれが伝染したかのように震えていた。
(……僕は心の奥底では、スーラに闘って欲しくないと思っているのか?)
その理由はエンズ自身にも分からなかった。仮にスーラが”竜”の力の十分の一でも受け継いでいるのなら、そして彼女がその気になるのなら、こんな状況どころか、この
しかし、彼女の瞳や髪よりはるかにどす黒い色をした血だまりと、火の粉を撒き散らす炎の渦の中心にいるスーラが、くずおれている敵だったもの達の黒いかたまりや白い灰を踏みにじりながら進む風景を想像すると、エンズは何故だか胸を締め付けられた。
少なくとも圧倒的な力に対する恐ろしさではない。だがこの感情を表す言葉が”筆記者”として永い時を生きてきたエンズにも見つからない。そんな自分の姿にエンズ自身も戸惑っていた。
(──おい、エンズ!)
痺れを切らしたシュトラールの小さいながらも声を出した呼びかけで、エンズがはっと我に返った。
(二人、近づいてくるぞ。おそらく感知力の高いタダビトが中にいる。どうすんだ)
そうだ、そんなことで迷っている場合じゃない。エンズは体に言い聞かせて震えを止めると、三人と輪を作って口を開いた。
「
作戦を説明しながら、エンズはこうも考えた──
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