第4.5話 どうせいつかは終わるとしても

※今話は番外編的なエピソードであるため、スーラの一人称視点です※


 赤い髪の男の子が道を進んでいて、私が背後からそれを眺めている。道の脇には人が住めるように木や石で組み上げられた建物が立ち並んでいて、お母さんから聞いた、人々が生活する”家”と、それが集まった”街”の景色なんだろうということが、私にもわかる。どれもところどころが崩れ、傷つき、時には炎が燃え上がっていた。


 その男の子の周りにも、人影がある。けれどどれも明らかに生きてはいない。ある影は崩れ落ちどす黒い血だまりの中に、またある影は立てられた木の棒に縛り付けられたうえ何本もの槍で串刺しにされている。酷いものでは燃える家の天井に手を釘で打たれ、黒焦げになっているものもあった。きっと逃げられずに生きたまま炙られたのだろう。


 酷い。と思った。お母さんと暮らした森で見る獣たちの中にも、たまにいたずらに弱いものをなぶり、その様を見て楽しむものがいた。食べるために狩るのではない、食べられないように身を守るのでもない。ただいたぶるだけの暴力。おそらくはここで、人が人に対してそれを行ったのだ。あまりのことに涙が滲んでくる。


「……あなたも危ない!逃げて!」


 名も知らない男の子に声をかける。きっとこの酷いことをした人達がまだ近くにいる。そうでなくても、また戻ってくるかもしれない。方向転換させようと無理やり彼を引っ張ろうとしても、体をすり抜けてしまってまるで手ごたえがない。


 よく見ると、赤い髪の男の子も、服が破れて肌が見え、ところどころ煤が付き、彼自身のものかもわからない血でべったりとズボンが汚れている。


「ねえ!ねえってば──」


 そこまで口にしたところで気づいた。男の子の髪に、わずかながら白い部分がある。のだ。これまでにも彼が見たであろう景色を想像して、頬を涙が伝った。


 それから私が何度呼びかけても、男の子はまるで自分以外の人がこの世に存在しなくなったかのように、変わらず道を先へ進んでいく。後ろからはその表情は見ることができなかった。必死で後を追いかける。


「──ここだったな」


 それまでたくさんの血だまりと死体を見ながら声一つ出さなかった男の子が喋ったのは、街を抜けさらに森を突き抜け、湖よりもずっと大きい水たまり──きっとお母さんが言ってた”海”だ──を見下ろせる崖まで来た時のことだった。


 彼は座り込むと、それまで私からは見えない体の前の方で抱え込んでいたらしい荷物を、どさっと音を立てて降ろした。近づいてよく見てみると、平たい木の皮か獣の皮のようなものを、草のツルで何枚も束ねたものがいくつも並んでいた。


(本だ。きっと本だ。お母さんから聞いたことがある。森の外で暮らす人の中には、これに色んなものを書き留めている者もいるって)


 男の子は黙々と、広げた本のそばの地面を掘り始めた。あまりに執念深さを感じさせる背中に、私もただ静かに見守ることしかできない。


「イーボ、君の作る野菜は出来が良かったな。プラークー、せっかく子どもが生まれたばっかりだったのにな。ゲンナ、せめて最期にヨーンとはちゃんと仲直りできたかい?──」


 掘り進めながら、人の名前と思い出らしきものを次々に口にする彼を見て、この何冊もの本の中身がなんなのか気づいた。あの街の人たちだ。その人としての生き方や家族、きっとどのように生まれ、どのように死んだのかまで。私が彼を見つける前から、彼は全てを見つめ、調べ上げ、そして書き留めたのだろう。あの血だまりと、炎と、崩れた家々しか遺っていない景色を巡って、独りで──。


 どんな顔をしていいかわからなくなった私をよそに、土を掘り出していた手が止まった。彼は砂埃を払うと、穴の中から大きな箱のようなものを取り出した。日の光を浴びてキラキラ光る銀の箱。男の子はフタを開け、その中に広げていた本たちを収め始めた。こう呟きながら。


「全部、全部持っていくからな」


 ああ、と私はため息をついた。きっと箱は本たちを雨風や虫から守り、永い間後の世界まで遺すためのものなのだろう。そして彼はその箱をここに置いておき、”使うべき時”が来たから掘り返した。あまりにも手馴れている。


(さっきの街だけじゃない。きっと他の街や旅先で出会った人々のことも、ずっと同じようにして書き留めているんだ。その人たちが他の皆から忘れられても、自分だけは忘れないように。ずっとずっと、頼る人も、ともに過ごす人もなく。独り、で)


 箱を埋め戻し、全てを終えた男の子は崖の淵に座り、足を揺らしながら海の景色を眺めていた。相変わらず、顔は見えない。けれど私よりも一回りも二回りも小さいその背中がやけに寂しそうに見えて、また少し泣いてしまった。


「──いつになったら」


 彼がまた口を開いた。あまりに悲しい声色に、泣きじゃくりそうになるのを必死で堪えながら、次の言葉を待つ。


「なあ、××××。いつまで続くんだ?いつになったら終わるんだ?この世界で俺以外に、俺を忘れないでいてくれる奴はいるのか?」


 少し泣きむせんでしまって、最初の方はよく聞こえなかった。けれどそれで十分だった。相手に聞こえなくてもいい。伝わらなくてもいい。けれどこの言葉を伝えたいという気持ちは抑えられない。


「ここにいるよ!」


 彼の背後から、生まれて初めて出す大声で叫ぶ。泣いてるせいで声の調子も酷いものだ。でも構うもんか。


「私が忘れない!あなたが居てくれることも、自分より先にいなくなる皆のために、皆の全てを書き留めようとしていることも!ぜったいぜったいぜったい!私が忘れないから!」


 ぴくりと彼の体が動く、不思議そうにこちらへと振り返った。ああ、やっぱり。いくらか体は小さいけれど、助けてくれたあの時と変わらない、優しい顔だ。


「あなたは檻の暗がりから私を助けてくれた!美味しいごはんをお腹いっぱい食べさせてくれた!私の知らないこの世界のことを教えてくれるし、新しい故郷まで創ろうとしてくれてる!こんなに優しいあなたを、私が絶対忘れないから!」


 彼の目線は私の目線とは合っていない。何となく気配は感じていても、やっぱり声までは聞こえてはいないのかもしれない。あの時彼がしてくれたみたいに、私は手を伸ばして言った。


「私の名前はスーラ。”竜の娘”のスーラ」


 想いが通じたのか、単なる偶然か。少し戸惑うようにして、私が伸ばした手の先に、彼もまた自身の手を伸ばしてくる。


「あなたが望まなくても、私にあなたを助けさせて欲しい。さあ、この手を取ってよ、エンズ──!」


 しっかりと、彼の手を握る。少し驚いたような表情をしたエンズが何だかおかしくて、ようやく少し笑えた。


 この手を離す時があるとしたら、それはきっとこの世界が終わる時だと思った。



 ※



 なにか夢を見た気がする。私の目を覚ましたのはネヴァンの気の抜けた声だった。


「──ぉ…い、お~いスーラちゃ~ん。そろそろ出発の準備だってさ~」


 目をこすって重たい体を起こすと、鳥たちのちゅんちゅんという鳴き声が聞こえてくる。まだ日が昇りきってないけれど、朝になったんだろうか。


「うん、ありがとう起こしてくれて……準備するね」


 見よう見まねで寝るのに使った敷物を片付けて、ネヴァンと一緒に湖面の水で顔を洗おうとした時だった。


「あれ、スーラちゃん泣いてた?だいじょ~ぶ?」


 心配そうな顔でネヴァンがこちらを覗き込んできた。えっ、と驚いて顔に手をやると、頬の辺りに涙が伝って濡れた跡があった。


「ほんとだ……夜見た夢のせいかな」


「悲しい夢だったの?」


「よく覚えてない……何となく、寂しい夢だった気がする」


 目を閉じて夢の中身を思い出そうとするけれど、やっぱり難しい。けれど、不思議とはっきり言い切れることがあった。


「けど、悪い夢じゃなかったよ。それだけは確か」


 不思議そうな顔をしたネヴァンの視線を追い払うように、私は手のひらいっぱいに水を掬って顔をつけた。


 そのあと、周囲の見回りを終えて帰ってきたエンズの姿を見るとなぜか胸がチクチクして、思わず彼に抱き着いた。当然エンズ達にはびっくりされたし、やった私もびっくりした。けれど彼の胸に耳をあてて、心臓の音を聴いてると安心して、チクチクもじきに収まった。



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