第4話  おかえりなさいを聴く前に──③

「──初めて会った時から思ってはいたけどよ。やっぱり食えないやつだぜ、あんたは」


 木の幹に背を預け、静かに凪いだ湖面を眺めながらシュトラールは言った。


「今回ばかりは言われてもしょうがないなあ」


 苦笑いしながらエンズが返す。焚き火のまばゆい炎の向こうには、出会った当初より幾分か顔色が良くなったスーラが、ネヴァンと手を繋ぎながら眠っている。他人が見れば、血の繋がらない姉妹の微笑ましい光景に思えるかも知れない。


「モザイクに着いたとして、だ。そこからあのをどうするつもりだ?今は北方のベルグと緊張状態だぜ?あの娘に”筆記者あんた”が執着するほどの特別な力があるんなら、それこそ出奔して二人で南方を放浪でもした方がまだ安全に思えるがな。適当な”不可界ダンジョン”に潜伏するって手もある」


「確かに、モザイクには意図せずとも色んな意味での火種を持ち帰ることになってしまうな。そこは申し訳ない。けれど今回は譲れないな」


 エンズは立ち上がると、焚き火を回り込んでスーラのそばに腰掛けた。顔にかかってしまった長髪を、指で掬うようにどけてやると、静かな寝息に合わせて美しい深紅の睫毛が揺れていた。


「彼女がただの竜の娘でいられなくなる日が、いずれやってくる。けれど今じゃないんだ。さっきも話したろう?今の彼女には時間と場所が必要だ。安らいで人々と暮らし、時には守るために戦い、普通の少女として人に愛され、自身も愛せるような、そんな場所と時間がね」


「……ふん。これだから長命種サマの考えはわからん。まあ、どうせあいつらも拒まねえだろうさ。その結果栄えようと滅びようと、流れ者の俺が知ったことじゃねえ。俺ももう寝る。夜明けには森を出るぞ」


 敷物に寝転がりながら、ぶっきらぼうな調子でシュトラールが言った。やがて寝息ひとつ立てずに眠りに入り、後には月の光と、勢いの衰えた焚き火の明かりと、先程のスーラとの会話を思い返すエンズだけが残された。



 ※



「母さんにも、私にも、会ったことがある──」


 自身に向けられた言葉の衝撃を、まだうまく呑み込めない様子で、スーラが復唱した。


「初耳だが、まあ言われてみれば納得だな。道理で未踏なんて言われ続けてきたこの周辺の土地にも異様に詳しいはずだぜ。こんな休息にうってつけの穏やかな森なんて、西じゃ噂に聞いたこともねえ」


 いつの間にか会話に復帰したシュトラールが皮肉屋らしく目を細めて言った。


「……ねえ、そもそもスーラちゃんのお母さんってどんな人だったの?」


 同じくネヴァンも会話に割り込む。こちらは反対にその丸い目を更に大きく広げて、いかにも興味津々といった様子だ。


「いや、私のお母さんは人じゃなくて竜で、ここよりもっと東の森でずっと一緒に暮らしてきたの。病気で死んじゃって、人狩りが入って来るまでは森や山の中で私のような姿形をした生き物を見ることはなかった……」


「ごめん。アタシがバカなだけなんだろうけど……そもそも竜って何?タダビトとは違うの?」


「俺も知らねえ。でもどうせ、あんたは全部頭の中にあるんだろ?”筆記者”さんよ」


 自然と三人の目線がエンズに注がれる。確かに、この場で出た全ての疑問の答えを知っているのはエンズのみだ。シュトラールもネヴァンも口の堅さは信頼できる。とはいえどういった回答をすべきか、慎重に頭の内で組み立てながら、”筆記者”は口を開いた。


「そうだな、どう答えたものか。時にスーラ、君はあの森で何年過ごした?年の概念が分からないようなら……うん、何回冬を、雪の降る季節を越えたかでも良いよ」


 スーラはいきなり質問を突き出されて困惑したが、母から教わっていた数の数え方と季節の概念を冷静に組み上げて、辿々しくはあったが、そう待たせずに答えることができた。


「ええと、百が四、十が七、後は三だから……よんひゃく、ななじゅう、さんねん、で合ってると思う」


「「えっ」」


 性格も口調も正反対のはずのネヴァンとシュトラールの声が完全に重なった。そのまま顔を見合わせて、再びスーラの方を向く。二人の驚愕の意味を理解できずきょとんとしたスーラと対照的に、エンズは一切が想定内といった表情で話を進める。


「スーラ、二人が竜を知らないのも無理はないんだ。この世界──トーソンリーと呼ばれている──では人々は動物や植物の姿、そして力を持って生まれてくる。これをタダビトと呼ぶ」


 魚を刺していた棒切れを使って、エンズが地面にタダビトの絵を描き始めた。人型に羽や、牙や、独特な形の足が生えているバリエーションだ。


「例えばシュトラールなら”蛇”だ。首や手足が良く伸びて顎の可動域が広く、獲物を丸呑みにしたり絞め落としたり、地を這って音もなく移動したりできる。対してネヴァンは”大鴉”のタダビト。背に生えた翼を広げてどこへも飛べるし、何より視力が抜群だ。夜闇の中であっても鋭敏に周りの危機を察してとれる」


 僕のは秘密な、と少し茶目っ気のある表情でウインクし、エンズはタダビト達の隣に似ても似つかない絵を描き出す。タダビトの何十倍も大きい体躯に、どっしりとした足。何よりも爪のついた大きすぎるほどの翼。


「下手だが君のお母さんを絵にしてみた。モーソだ。シュトラール、ネヴァン。竜とはこういう姿をしているんだ」


 示された二人が絵をのぞき込む。『こんな生き物、見たことも聞いたこともない』という内心を、表情が物語っていた。


「まさしく、この世の別格って感じだろ?個体数はわずかながら千数百年を生き、圧倒的な力で敵を蹂躙する。かつてはトーソンリーの絶対的な支配者として君臨していたんだ。当時まだ文明が未熟で、”不可界ダンジョン”の攻略とそこから得られる成果物の享受もままならなかったタダビトも、その支配の例外ではなかった」


「その割に、今ではずいぶんと知られてなさ過ぎるんじゃねえか?いくら普通のタダビトの寿命がせいぜい六十年程度とはいえ、だ」


 当然の疑問をシュトラールが差し挟む。頷きながらエンズが答える。


「まず、本当に数が少なかったんだ。そしてある時、一頭の竜の裏切りに遭って壊滅的な打撃を受けた。そこからはもう衰退の一途さ。おかげで今度はタダビトが勢力を伸ばし、文明を育て現在に至る。タダビトから見れば神話の時代のような昔のことだ。ざっと五百年は前だな」


「うっわ。そりゃ長命種のエンズくらいしか知らないはずだわ~」


 頭の容量を超えそうなほどスケールの大きい話に、ネヴァンの目がぐるぐると回っている。隣で話を聞いて考え込んでいたスーラが、再び口を開いた。


「確かに私、人だけじゃなくて、母さん以外の竜も見たことない。『皆いなくなってしまった』とだけ聞いたことある」


 エンズの棒を持つ手が止まって、表情が少し曇った。竜が滅んだ当時のことを思い出したのだろうか、とスーラは思いながら、話の続きに耳を傾ける。


「……この世界の大原則として、タダビトはタダビトから生まれる。そりゃそうだ。普通の生き物だってそうなんだから。けれどスーラ、君は違う。君は。最後の支配種、その末裔なんだよ」


 スーラには漠然とした話に思えてあまり自身の身の上の話だという実感が湧かなかったが、それでも聞き逃すまいとして集中を解くことはなかった。


「僕は他者より遙かに長く生きる”長命種”として、”筆記者”として、この世界トーソンリーのあらゆる場所のあらゆる物事を書き連ねてきた。けれど君のような事例は見たことがない。きっと、君が生まれたことにはなにか特別な意味がある」


(なにが『きっと』だ。分かっている癖に)


 エンズは自身の言葉に少し白々しさを感じた。しかしこれから言う言葉は嘘じゃない。変に罪悪感を抱くな、と自分に言い聞かせて、スーラに語りかける。


「最も、君が自身の生まれをどう思って、この世界でどう生きるのかは君自身が決めることだ。あの森で会った時から君もずいぶん立派になったけど、自分の生き方を決めるにはまだこの世界のことを知らなすぎる。まずはモザイクに行って、そこの人々と交流して欲しい。色んな物事を吸収して、学んでいって欲しい。そこで得たあらゆるものが、君の財産になるから」


 その後に待ち受ける運命がどんなものになるか、という考えを振り払いながら、エンズは優しくスーラに微笑みかけた。


「おかえりなさいを聴く前に、まずはただいまを言える場所を創ろう」












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