第3話 ライバル企業の工場長代理案件(前編)



「人違いです。すみません」


 ガチャ。

 俺は玄関の扉を今度は静かに閉めた。


「…………」


 何かの見間違いかもしれない。

 まだ心が疲れているようだ。

 扉を開けたらスーツ姿のOLが立っていたなんて。

 それも服装や髪型は違うが先日助けた女性のそっくりさんなんてこんな奇跡ありえない。

 残念ながら新聞屋との営業トーク勝負はなしと言うことになった。


 ピンポーン!


 ピンポーン!


 ピンポーン!


 相手を逃がさない怒涛の攻め。

 ピンポンダッシュならぬピンポン連打だとぉ!?

 やりよる……徹底的に狙った獲物を逃がさないその営業精神力見習うに値するぜ! だがこっちも居留守と言う切り札がある! 勝負の流れは今俺にある!


 俺のターン! 施錠!


 ガチャ!


 さぁ、お前のターンだぜ!


「なんで閉めるんですか! 私です! 開けて下さい!」


 言葉による交渉か……?


 なら俺のターン行くぜ!

 まずは情報整理発動!

 場所:自宅玄関前

 時刻:夜

 性別:女性

 年齢:不明。容姿から30代と判定

 容姿:綺麗系

 体系:背丈150センチ前後でやせ型

 プレイヤーレベル:不明

 名前:不明


「あの~お名前とプレイヤーレベルをお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 はっ!? しまった……ついゲームの世界とごちゃごちゃになってしまった。


「なに言ってるんですか……」


 扉越しの声が呆れている。

 当然である。

 俺が逆の立場でも同じ反応をしていただろうから痛いほど気持ちがわかってしまう。まさか現実とゲームがごちゃごちゃになる日が来るとは情けない。仕方ない、真面目に今すぐにでも転職活動して働こう。そう思えるきっかけになった。

 そんなきっかけをくれた女性に悪いと思い、今度はゆっくりと扉を開ける。


「お名前は?」


「浅井えりです。改めて夜分遅くに失礼いたします。そして先日はありがとうございました」


 深々と頭を下げる女性は浅井と言うらしい。

 どこかで聞いたことがある名前。

 というか、前職いやギリギリ現職の人事部が良く使っている担当リクルーターの上司と同じ名前……で同じような容姿……。


「こうしてお会いするのは初めてですね。私こういう者です」


 彼女はスーツから名刺を取り出して俺に渡してきた。


 名刺には――南風リクルート株式会社 営業部営業部長浅井えり。と書かれていた。世間って狭いっての言うのがこの時俺の感想だった。


「人違いじゃなかったか……」


「本音出てますよ? それより東さんの件聞きました。私どもも次の仕事を紹介しないようにこちらの役員にまで御社の部長兼拠点長が手を回されていましたが何かあったんですか?」


 相手の疑問には答えたいが、こちらにも守秘義務と言う物があり全てを全てありのまま伝えることはできない。特に営業利益に関わる数字は外部に漏洩させてはいけない。


「すみませんがそれにはお答えできません」


「そうですか。まぁ私たちの方は役員はともかく役職クラスは弱腰でしたが、御社の白鳥社長とは私個人的な縁がありまして実はもう調べは付いています」


 だろうな。

 俺は心の中で納得した。

 南風リクルート株式会社それは全国に拠点を持ち今では業界トップクラスのシェア率を誇り一般人向けの表向け求人とは別にプロフェショナル向けの非公開求人などを数多く取り扱う今最も勢いのある会社の一つだ。

 浅井えり。

 十年前アメリカの有名大学を首席で卒業後リクルーターとして今の会社に入社。日本人、外国人留学生、外国人人材問わず多種多様な文化にも精通している彼女は圧倒的な話術と人の才能を見抜く洞察力に長け今まで1000人以上のプロフェショナルを現場に送り込んだスペシャリスト。畑違いの未経験の人材でも埋もれていると思えば自ら声をかけ説得し、その人の力を必要としている企業に斡旋し担当後任が決まるまでの間フォローを行い企業にとっては救世主とまで呼ばれる人だ。

 そんな凄い人なので一方的にある程度は立場上知っていたし××株式会社もお世話になっている。それだけ凄いと俺の情報網など蜘蛛の巣みたいなもので、彼女は地上空中問わず蟻の巣みたいに巨大なパイプを沢山持っており隠すだけ無駄だと言える。


「今日はこの前お借りした一万円を利子を付けてお返しに来ました」


「あぁ~別にそんなに気にしていないのですがわざわざすみません」


 なんで俺の家知ってんだ?

 恐い、普通に恐い。

 白鳥社長と知り合いって言ってたしもしかして直接聞いたのか?

 だとしても普通に恐いんだが……。

 てか俺がそもそも白鳥社長とそんなに接点ないのだが……。


「あっ、現金が良かったですか?」


「えっ?」


 おかしいな。俺は現金を貸した。それを返すということは普通現金じゃないのか?

 今ならゲームに課金できるアプリカードでも内心いいと思っている自分がいる。

 まずい、今もゲームのことを考えている。

 早く元の日常を取り戻さなければ俺はダメ人間になってしまう。


「まぁゲームで使えるアプリカードでもいいですけど?」


 あぁ!!!!

 俺は頭を抱えてその場で発狂した。

 ゲームとは恐ろしい。

 今のゲームはここまで中毒性を持っているのか……。


「……あの~昨日から真面目な人格と不真面目な人格が混合していませんか?」


「…………違う、俺は……正常だ……とオモイタイ」


「はぁ~」


 ため息をついた彼女は膝を折って曲げ俺の頭を優しく撫でた。


「大丈夫ですよ。とりあえず堅苦しいの私嫌いなのでプライベートの私で接して良いですか?」


「は、はい。プライベートでも仕事でもオンラインでも好きに……ああああああああ! 違う、違うんだぁ!」


 ゴンっ!!


 俺は頭突きした。

 自ら近くの壁に頭突きすることで強烈な痛みと引き換えに冷静さを取り戻す。


「お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません」


「血出てますよ?」


「最新のファンションです」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………いたい」


「バカなんです? とりあえず手当てしてあげますからこっちに来てください。話しはそれからです」


 俺は手を引かれ隣の部屋に案内された。

 え? 隣……お隣さんだったのかよ!?

 今まで気付かなかった衝撃の事実が俺の頭部の痛みを忘れさせた。




 部屋に案内され、通称人をダメにするソファに座らされた俺は頭部をアルコール消毒してもらいガーゼと紙テープで止血してもらった。


 女性の部屋。


 社会人になって全然女性と縁がなかっただけになんだか新鮮。

 部屋は俺と同じ3LDK。

 当然である、同じマンションの十五階なのだから間取りが同じでもなんら不思議ではない。となると、こことは客間ってことかな?

 なぜ一人暮らしなのに広いかって?

 それは社宅……あっ……来月までに出て行かないといけないんだった。

 あ~やること多いし仕事辞めたら収入なくてもお金ばかりかかるのか……。


「職を失って結構困っているように見えますけど、貯金とかどれくらい余裕あるんですか?」


 確信をつく言葉に俺は視線を部屋の片隅に泳がせる。


「ならお仕事が早急に必要な感じですかね?」


「えっ……まぁ……そんなところです」


「それならちょうど良かった。私としても交渉の手間暇が省けますので」


 嫌な予感がする。

 それに交渉の手間暇が省けるとは一体。

 なんにせよ、真面目な話しなら近くにある椅子に座るべきだと判断するも止められる。


「くつろいでいて下さい。プライベートの私は結構ラフですので」


「は、はい……」


 既に交渉の場で考えるならこれは彼女が主導権を握っていると判断できる。

 俺もだが相手のペースではなくこちらのペースで話しを進めていくことが営業では大事になってくる。要は話しの主導権をどちらが持つかという話しである。とは言ってもこっちは装備なしで向こうは現職のリクルーター。話題的にどう見ても勝ち目はなさそうだ。なのでここは話しだけでも聞くことにしてみた。どうせ帰ってもゲームしかやることがない暇人……じゃなくて転職活動を本格的にしようと考えていた所だからだ。


「とりあえずこの資料を見て頂けませんか?」


 俺は手渡しされた資料に目を通す。

 内容が内容だけに集中して七枚ある資料全てに目を通し終わると私服姿の彼女が目の前にいた。どうやらスーツが皺になる前に着替えたみたいだ。

 視線を下から上にあげると落ち着いたベージュ色のロングスカートに上は白のひらひらが着いた服だった。スーツ姿の時に感じたがどうやら慎ましい身体付きのようで目のやり場に困ることはなk……ゴホッゴホッ。

 長くて張りがある綺麗な髪の毛はカチューシャでまとめられていて、お姉さんって感じの印象を強く受けた。


「その資料見て東さんはどう思いましたか?」


 どうもこうも赤字寸前の存続が危うい生コンクリート工場だった。

 公共事業が減り出荷数が減少。

 しかも20年以上前に建設されたプラントは既に老朽化が進み利益の殆どを修理費につぎ込まなければならず従業員の賞与すらまともに払えないぐらいに経営状況が圧迫しているという印象。

 県の組合から割り当てられる出荷数だけでは到底賄えてきれていない。

 ここは都道府県によって仕組みやルールが大きく違うのだが、俺が住む地域では公共事業は組合、そして民間企業は組合もしくは生コンクリート工場と直接交渉して生コンクリートを供給するシステムを採用している。総合商社を経験した俺としては倒産寸前の工場にしか見えない。セメントは海外から安価で仕入れているのでその手の情報にも詳しい。渡辺生コンクリート株式会社。今年で創立40周年を迎える老舗生コンクリート会社で地域密着型として地域に根強い営業をしてきた。だけど昨今生コンクリート業でも大企業と呼ばれる東神とうじん生コンクリート株式会社がプラントを新設して参入してきた。設立費15億円規模のプラントは現在の生コンクリート業界を考えればあまりにも膨大な設備投資費とも言える。そして大企業の利点を生かした薄利営業を強みとして事業を拡大し渡辺生コンクリート株式会社だけでなく地域の中小企業が経営する生コンクリート会社に大打撃を与えた存在とも言える。それが俺が務めていた会社のグループ会社にして親会社。全国に79か所のプラントを持つ東神生コンクリートは業界トップクラスの売り上げとシェア率を誇り他の追随を許さない。腐った人間もいるが有能な人間が幹部にいる実力派揃いの布陣で手堅い営業を得意としている。


「分が悪いでしょう。東神グループが持つ営業マンは一流です。少なくとも役職者は世間的に厳しいノルマを三年連続で達成しなければなれないし有資格者であることが前提の知識も経験も一流の者たちです。勝てるわけがありません」


 白鳥社長が経営する白鳥総合商社それが俺が務めていた会社名。

 その白鳥総合商社でもノルマは厳しかった。

 ただし白鳥総合商社は生コンクリート業に特化しているわけでなく多種多様なニーズに合わせて営業しているので生コンクリート専任の営業マンはいない。

 それでもわかることは――あの手のレベルの営業は営業であって営業ではないことだ。何度かグループ会社ということで一緒に東神グループの営業と仕事をしたが一般の営業マンでもかなりの凄腕。入念の準備とあらゆる角度から見た予備プランの用意と一見敵として付け入る隙はどこにもないレベルの営業だった。


「知っているかもしれませんが渡辺生コンクリートが持つ九州中央工場の工場長が来月からしばらく入院します」


 知っている。

 業界では結構有名なお話しだからだ。

 人間年には勝てないということだ。


「今の状態で工場長不在は企業にとって大きな損失であり危険だと渡辺会長は判断されました。代理がいない人手不足な工場です。従業員では経営能力が乏しく安心できないとも言われております。そこで人材派遣を考えておられるようですが、もしよければ私の方で手配出来ないか? と先日ご相談を頂きました」


 あれ? 待って、俺の額から流れる汗は気のせい?


「そこで私が今日渡辺グループの役員会議に出席しある人物を起用してはどうかと推薦し承認がおりました」


「えっ……無理ですよ?」


「そう弱気にならずに、ね?」


 満面の笑みと片目ウインクを見せられた俺は絶句した。














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