第13話 そろそろ帰る

 パンを食べて満足した俺は、ひたすらクレアの後ろをついて回った。忙しなく部屋の片付けや、店のことをこなす彼女を、隣で観察する。


『やめなよ。鬱陶しい』


 ユナが苦言を呈してくるが、無視しておいた。クレアは優しく笑うだけで邪魔とは言わない。めっちゃ優しいお姉さんだ。


「そろそろ帰らなくていいの?」

「まだ大丈夫」


 似たようなやり取りを数回繰り返しているうちに、「もう夕方だよ?」と、クレアが心配そうに小首を傾げる。


 エヴァンズ家の騎士たちが、この街に滞在しているのは何時までだろうか。少なくとも、いつもは暗くなる前には屋敷に戻ってきている気もする。


 クレアの言う通り、そろそろ戻らないとまずいかも。屋敷まで歩いて帰れないこともないが、子供の足だと少々時間がかかる。来た時と同じように、こっそり荷馬車に潜り込むか、少なくとも騎士たちに声をかけて一緒に帰らなければ後が大変だろう。


 ムムッと悩む俺に、クレアはくすりと小さく笑ってみせた。


「私、普段は店にいるから。いつでも遊びにおいで」

「うん」


 そうだな。パン屋の場所さえ覚えておけば、またクレアと会える。せっかく出会えた優しいお姉さんだ。これっきりにはしたくない。


 渋々頷けば、ユナがやれやれと言わんばかりに立ち上がる。


『ほら、帰るよ』


 ペットの分際で偉そうに俺を先導しようとしてくる。だがこの猫が無駄に偉そうなのはいつものことだ。

 クレアと一緒に大通りに出る。「またいつでもおいで」と手を振ってくれるクレアは、俺を家まで送ると申し出てくれたのだが、丁重にお断りしておいた。


 まさかエヴァンズ公爵家に彼女を連れて行くわけにはいかない。色々と面倒なことになりそうだ。


「パン美味しかった。ありがと」

「本当? 嬉しいな」


 俺もこんなふうに優しい姉がほしかった。ネチネチうるさい長男の顔を思い出して、思わずため息が溢れそうになる。


 ユナが足元にちゃんと居ることを確認して、クレアに大きく手を振る。結局、魔獣の捕獲はできなかったけど、クレアに会えたから街に出てきた甲斐があったというものだ。


 オリビアにバレるとまた面倒なので、クレアのことはみんなには内緒にしておこうと思う。どうせ警戒心もなく人からもらったパンを食べるなんてとかなんとか。口うるさく注意されるに決まっている。


 そうやってオリビアのしかめっ面を想像しながら、ユナと共に大通りをトボトボ歩いていれば、最初に馬車を降りた広場に行き当たった。


 うちの騎士たちが居ることを遠目から確認して、とりあえずユナを抱き上げる。なんだか途端に、怒られることを想像して嫌になってくる。


「……猫が屋敷から脱走して、俺はそれを追いかけてここまで来たってことにしよう」

『ふざけるなよ。ボクそんなことしないから』

「話合わせろよ」

『絶対に嫌』

「ケチ!」


 ケチにゃんこめ。

 協力してくれそうにない生意気ペットを抱えたまま、しばらく広場の入口付近をうろうろしてみる。騎士のひとりに声をかければ、それで帰宅できるのだが、いざとなると勇気が出てこない。


「オリビア怒ってるかな」

『そりゃあもう。あのルルとかいう魔獣も怒ってるよ、きっと』

「やっぱり帰るのやめようかな」

『さっきまでオリビア助けてって言って泣いてたくせに』

「泣いてない!」


 なんだこの猫。すごく失礼だな。


 謝れ! と腕の中のユナを遠慮なく揺らせば、『やめろ馬鹿!』と強めの抗議が返ってくる。


 そんなこんなで言い争いをしていた時である。


「見つけた!」


 突然、そんな切羽詰まった声と共に、背後から肩を掴まれて心臓が口から飛び出すかと思った。人間、マジでびっくりすると咄嗟に悲鳴も出てこないんだなと、バクバクする胸を押さえて振り返れば、そこには鬼のような形相のオリビアがいた。


 終わった。


 なんか知らんが、色々終わった。眉を吊り上げるオリビアは、俺の体を上から下までさっと目視で確認すると、大きく息を吐いた。


「どこに行っていたんですか! どれだけ心配したと!」


 オリビアの大声につられたのか。周りに騎士たちが集まり始める。その中には、ルルを捕まえるのに協力してくれた副団長の姿もあった。安堵するかのように天を仰いでいる。


「怪我は!」


 遠慮なく肩を揺さぶってくるオリビアは、ひどく真剣な表情で問い詰めてくる。怪我は特にない。ふるふると小さく首を左右に振れば、オリビアが俺を抱きしめた。


 びっくりして、ユナを抱きしめる腕に力を込める。『苦しい』と悲痛な声が聞こえてきたが、俺に言われてもどうしようもない。


「オリビア?」


 ようやく落ち着いて彼女を見上げれば、「失礼しました」と、落ち着き払った声と共に彼女が離れていく。


 無意味に己の襟元を整えるオリビアは、少し動揺したように視線を彷徨わせていたが、誤魔化すように咳払いをして、今度こそ俺と視線を合わせてきた。


「テオ様。大変心配いたしました。無断で屋敷を出るとは何事ですか」


 ぐっと眉間に皺を寄せたオリビアは、俺の前に片膝をつく。


「ですが、まずはご無事でなによりです」


 珍しく、はにかむような笑みを向けられて、路地裏で迷子になった時の不安な気持ちがじんわりと蘇ってきた。緊張の糸が切れたのか。みるみるうちに目頭が熱くなり、やがてポロポロと涙が溢れ始める。


「うぅ、オリビアぁ」

「まったく。目を離すとすぐこれですよ」

「猫のせいで迷子になったぁ。この猫役に立たないぃ」

『どういう意味だ! こら!』


 うるさいユナを離して、代わりにオリビアへと手を伸ばす。すぐに察して手を繋いでくれた彼女は、いつものように不機嫌顔だけど。そのいつも通りの立ち振る舞いに、どうしようもなくホッとした。

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