第8話 小休止

「それ、タオルじゃなくて、さっき使ったパレオよ」

「え?」

 自分の手元を見ると、純子はパレオの布切れをあたかもタオルのように握りしめていた。

「やだ、桐川さん。別にタオルと間違えたんじゃないんです」

 撮影による気疲れや暑さに参ってはいたが、パレオとタオルを勘違いするほどではない。

「そう? 今にも額に持って行きそうに見えちゃったわ。純子ちゃんも泳ぐでしょ? メイク、落としてあげる」

「あ、でも、どうせ自分の水着に替えなきゃいけないから、中に戻ってからでいいです」

 今身に着けているのは、あくまでも商品。もちろん、そのまま譲ってもらったり、お金を払って引き取ったりする場合もある。が、今回のこれは違うので、なるべく傷めない内に返すのがよい。

「それなら早く、戻りましょ」

 急かされる。どうやら桐川自身、早いところ、遊びたいらしい。

 純子が自前の水着――初めてはいた、中学校指定の紺色の物――を身に着けて、再び外に出るや、ルミナが腕に抱きついてきた。彼女の方は、セパレートのオレンジ色系統の水着。

「遅い。早く、遊びましょうよ」

「ええ? な、何をして?」

 引っ張られるまま、波打ち際まで来た。先ほどの撮影で、足ぐらいは浸しているから、水の冷たさには驚かない。

 むしろ、ルミナの人懐っこさに驚かされる。

(撮影のときも、言われた通りのポーズをすぐやれるし。いくら女の子同士だと言ったって、あんな頬を引っ付け合うなんて、私には簡単じゃないよ)

 純子の疲れの一因は、ルミナの振る舞いにあるのかもしれない。

「ゴムボート。ほら、英兄と信一君が引っ張ってくれるって」

 ルミナが指差したのは、左斜め前方、わずか十メートルほど沖合いの地点。中学生の相羽でもまだ足が着くらしく、ゴムボートのロープを手に引っかけ、手持ちぶさたにしている。サングラスはしていない。

 斉藤英弘の方は、プラスチック製の青いオール二本を片手に、自らの肩をとんとん叩いている。待ちくたびれた様子だ。

「さあ、待ってたんだからね」

「え、ちょっと――あ」

 背中を押された拍子に、つまずいてバランスを崩してしまう。完全に転びこそしなかったが、両腕を砂地についた上、折悪しくやってきた波をまともに顔で受けた。

「ごめーん、大丈夫?」

「……」

 目を片方ずつ開けると、ルミナの邪気のない笑顔があった。

「大丈夫、よっ!」

 この際、悪気のあるなしは関係ない。お返しに、両手で思い切り水を掛けてやった。

「わ! やったな、この」

 ルミナも応戦。たちまち、水の掛けっこの様相を呈する。

 二人ともきゃあきゃあ言いながら続けていると、呆れたような英弘の声が。

「お嬢さん方、いい加減でよしてくれませんかねえ」

 その呼びかけに、純子は手を止めたが、ルミナの方はお構いなし。

 棒立ち状態の純子へはもちろん、近付きつつあった英弘にまで、派手に水を跳ね上げる。

 最初は甘んじて受けていた英弘も、妹の絶え間ない水爆弾に堪忍袋の緒が切れたか、反撃開始。自身が濡れるのは全く気にせず、周囲の海面を叩きまくる。

「……あのー、ですね」

 一人取り残された相羽は、しばらく戦況を見守っていたが、やがて止める努力を放棄すると、ゴムボートを押して泳ぎ始めた。しばらく進んでからタイミングよく、ひょいと乗り込む。

「何しに来たのか……。いいや。楽しくやってるのが分かったから」

 誰にも聞こえないような声量で、相羽はつぶやいた。


 海から上がると、嫌というほど真水のシャワーを浴びた。髪を濡らした海水を洗い落とすためだ。

 何故、そんなにこだわるかというと、撮影が完了したわけではないから。終わったのは、水着の撮影だけであって、夕暮れを背景に、今度はカジュアル中心に撮ろうという算段なのだ。

「おやつ?」

 聞き返しながら、目をぱちぱちさせ、余分な液体を追い出す純子。目薬を差していたところ。

「うん。フルーツ、用意してくれたから」

 Tシャツ姿の相羽は、つられたように目をしばたたかせる。

「次の撮影まで、時間あるだろ」

「それはもちろん。でも、プロポーション、大丈夫かしら」

「へえ。一体、何トン食べるつもり?」

 純子の冗談に、相羽も似たような調子で応じた。

「――ど、どうだったのかな」

 食堂に向かう廊下の途中、純子は目を逸らしたまま、さりげない風を装って聞いてみた。

「えっ、何が?」

「その、水着……私の格好……」

「ああ」

 声に出してうなずくと、しばらく黙り込んだ相羽。心持ち、歩みが遅くなる。

 純子は相変わらず天井や、相羽とは反対の壁を見つめながら続ける。

「私、ルミナちゃんみたいに胸が大きいことないし、身長だって高い方じゃない。他のどこを取っても、人並みでしょう? こんなのでいいのかな……って」

「そんなこと言うなって。自分で決めたんだろ」

 声は小さいが、少し怒ったみたいに、相羽。

「自分の値打ちを自分で決めつけてしまうなんて、きっとまだ早いんだよ、僕達。涼原さんがいいという人もたくさんいるんだ」

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