第6話 撮影拠点の雰囲気は
AR**の保養所は、純子の想像よりもずっと立派だった。
病院のような殺風景な建物かと思いきや、洒落た洋風の田舎建築で、プチホテルといった風情さえある。
管理人のおじさんと賄いの痩せた女性に挨拶をしてから、部屋に通された。たくさんあるからとかで、一人一室だ。
荷物を置くと、すぐさまロビーに集合。
そこへやっと、小栗も姿を見せた。相羽の母と何やら話し込んでいる。
「ちょうど入れ違いになってしまったようですね。一日余計にかかりましたが、その他の点では順調に行ってますよ」
「うちの
「ああ、彼? 初めてにしては、よくやってると思いますよ。あっと、今、どこにいるのかな? さっきまで見かけたんだが」
小栗の声に呼応して、どこからか返事があった。「ここにいますー」と、遠い声だ。
きょろきょろと見回すと、ロビーの受付カウンターとは反対側の、一面ガラスと言っていい壁の向こうに、若い男が立っていた。
「梶浦君、こっち来なさい」
慌てた風に、その男性は玄関から入ってきた。
ウィンドブレーカー付きの上着を羽織るその下は、Tシャツに短パンという、実に夏らしい――沖縄ではもう夏だ――格好をしている。履き物だけ、サンダルではなく、スニーカーであった。
眼鏡を掛けた目元は涼しげで、彼自身がタレントと言っても通用しそう。
「遊んでたのね? 報告しておくわ」
「そりゃないっすよ。ビーチの整備をしてたんです」
「本当かしら? だいたい、そういうのは撮影スタッフにお任せして、君はやらなくていいの。私達は、プラン通りに進行するよう――」
「まあまあ、相羽さん。いいじゃないですか」
同性のよしみか、小栗が助け船を出すと、梶浦という若い男は、ほっと胸をなで下ろすポーズ。
「あの人、初めてだわ。誰? 知ってる、信一君?」
ルミナが相羽に聞いた。
「うん。母さんの会社の人。今度の撮影で、母さんがここに来られない間、梶浦さんが代わりにやってくれたんだ」
「そうなの? じゃ、もう帰るのかしら」
「さあ? モデルさん達を先に帰しておいて、梶浦さんがあとから一人で帰るのも変だから、残ると思うよ」
二人の会話に聞き耳を立てていた純子に、別の声がかかった。
「やあ。気分はどう?」
梅津だった。初めての撮影のとき、お世話になったカメラマンだ。記憶にある顔よりも、随分と日焼けしている。
「あ、あの、こんにちは。こ、この間は、色々とご迷惑を……」
前回、さほど会話したわけでもない純子は、緊張してとにかく、頭を下げ続ける。あのとき、色々と注文を付けながら、遠慮なしにレンズを向けてくるカメラマンは、純子にとって少なからず、恐い人に写った。
「ほ? 最近の子供って、四角四面な挨拶をするんだねえ」
くわえようとしていた煙草を指に挟んだまま、梅津は口に手の甲を当て、くっくっくとおかしそうに身体を揺らす。
「え、えっと」
「ま、緊張せずに。二回目ならまだ言い訳が利くが、これから先も続けるつもりあるなら、早く慣れること」
上機嫌らしく、梅津は陽気な調子だ。何やらハミングしながら、改めて煙草をくわえ直すと、火を着けた。
(う、わ……)
純子は右真横へ一歩、移動。カメラマンから離れた。
「うん?」
気付かれないよう、小さく動いたつもりだったが、梅津には分かったらしい。
「あっ、もしかすると、煙草の煙、苦手とか? これは悪いことを……」
小さながま口財布に似た、緑色の携帯用の吸い殻入れを取り出した梅津。開けると、火を着けたばかりの煙草をその金属部分へ押し付けた。
「あ、あの、私、そんなつもりはなくて……煙が来なければいいから……」
「いいよいいよ。本当かどうか知らないが、煙の粒子が肌に着くと汚れて、化
粧の乗りが悪くなるって、よく文句言われるんだ。うるさいけど、仕方ない」
火を消した煙草を戻した梅津へ、女性の声がかかる。
「梅津さんの健康のためにも、言ってあげてるんですよー!」
「おっと、聞こえてたか。うかつに物を言えないな」
メイクの桐川登子へ、芝居がかって肩をすくめた梅津は、早々に退散した。
「久しぶり、涼原純子ちゃん!」
元気よく言って、桐川は右手を差し出してくる。下から迎える形で、純子は握手した。
「お、お、お久しぶりです」
まだ空気に慣れきっていない純子は、逢う人逢う人みんなに対し、どもってしまう。
桐川は、あきれたように笑った。
「あらら、ほんとに緊張してるのね。まだ撮影じゃない内から、そんなことじゃだめだよー。肩の力抜いて、リラックスリラックス」
そして実際に両手を純子の肩に持って来ると、軽く押さえてきた。
「は、はぁ……」
「ここだけの話、毎年六月にやるこの撮影は、半分遊びみたいなものなのよね」
一転して声を低める桐川。おまけにウィンク付き。
「沖縄まで来て何もしないなんて、もったいないでしょ。だからさっさと、気楽にね、仕事済ませて、少しでも多く遊んじゃおう」
「はい……って、いいんですか?」
「大丈夫っ。それから、ため口でいいよー。遠慮なく」
「あの……ため口って?」
首を傾げた純子。半袖の服から出る腕を、髪がなでる。
「え? ああ、そっか。中学生になったばっかりじゃ、分からないか。そうねえ……同い年の友達のつもりで、話してくれていいってこと。分かった?」
純子は、はいと答えようとして思い止まり、改めて返事する。
「うん!」
「よろしい」
笑いながら桐川が言ったのへ重なる形で、手を打つ音が響き渡った。小栗だ。
彼の口から簡単な挨拶(訓示?)が述べられたあと、相羽の母が段取りを説明した。
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