第3話 空の旅

 本当は、普段以上に充分な睡眠を取っている。肌が荒れるとまずいから。

 教室の前まで来た。女子は四組、男子は三組の教室で着替える。

「気をつけなよ。……にしても、昨日、夜更かしするような深夜番組、あったっけ?」

 体操着の上を脱ぎながら、町田が言った。彼女の中では、「夜更かしイコール深夜番組」らしい。

 純子は髪をまとめ直しながら、色々と言い訳を考える。

「そうじゃなくて、寝る前に読み始めた本が面白くて、つい」

「何の本?」

 今度は富井。眼をぱっちり開けて、興味津々といった感じだ。

(う、嘘をつくのって、苦しいよぉ……)

 つまらないことなのに、気が引けてきた。

「えっと、推理小説」

 これは満更、出任せでもない。寝る前にではないが、最近、読むようになった。たまに会う椎名と、話を合わせるためという理由もあるが。

「『占星術殺人事件』、すっごくびっくりしたんだから」

「へー? 占星術って、占いに絡んで人が死ぬ話?」

「うーん、占いと全然関係ないわけじゃないけど。ほら、よくあるじゃない、ホロスコープ」

「知ってる。星占いね」

「そう、それに関係しているの」

「どうせ、被害者が口にちり紙くわえてたから、犯人は山羊座の人間、なんてのじゃないの?」

 町田がばかにしたように言うので、純子は着替えの手も止め、力一杯、否定した。

「そんなんじゃないったら!」

「じゃあ、どんなの?」

「それはね……って、言える訳ないでしょ!」

「あはは、冗談だって」

 眼鏡のレンズを拭き終わり、丁寧にかけた町田の表情は、にやにや笑い。

「今度、読んでみようかな。図書室にある?」

「う、うん」

 いつの間にか、話題が逸れていたことに感謝しつつ、うなずく純子。

「郁も読んだら?」

「えー、私、漫画に慣れちゃってるから」

 町田の誘いに、ぷるぷると頭を振って、遠慮したそうにする富井。

「そう? 推理小説を読んだら、相羽君とも話が合うと思うけどなあ」

「そうなのよねえ」

 富井は首を傾げて、考え込む。

「分かってるんだけど、人が死ぬ話って、基本的に好きじゃないのよー」

「怪談は、きゃーきゃー言って喜んでたじゃないの」

「違うよー、恐がってたんだよお」

 富井が不満げに抗議したところで、純子の着替えも終了した。

(沖縄行くとき、何の本を持って行こうかな?)

 そんな考えが、頭の中をふとよぎった。


 純子は、飛行機に乗るのは、実は初めて。

 正確に言うと、意識して乗るのは初めて、となる。つまり、物心も何も付いていない赤ん坊の頃、両親と一緒に乗ったことがあるのだ。無論、今の純子の記憶に、その経験は全く意識されていない。

 小ぶりなリュックを胸の前で抱きしめながら、窓の向こう、行き交う飛行機を眺めていると、ぼんやり見取れてしまう。

「涼原さん」

 ぽんと肩を叩かれた。

「飛行機見てるの、そんなに面白い?」

 言いながら、相羽は横に並んだ。

「面白いというか、珍しくて……。初めてだから」

「もしかして、恐いとか?」

「恐くなんかないわよ。ただ……ちょっぴり、どきどきしてる」

 リュックを床に下ろして、深呼吸する純子。

「平気さ。移動する距離に対して事故の起きる割合は、飛行機が一番低いよ。それだけ安全なんだ」

 本当かどうか、相羽は統計的な話を持ち出した。

「そんな意味で、恐いんじゃないったら」

「そう? 他に恐いこと――あ、あれがあるかもしれない」

「え、あれって?」

 不安に駆られ、両手を強く握る。

 相羽は純子の方を向いて、真顔で続けた。

「雲の中を通るときにね、雷が起きてるかも」

「え! やだ、冗談でしょ。恐がらせようと思って」

「ほんと、真面目に言ってる。可能性はあるよ。一瞬だけどね」

「そんなぁ~」

 泣きそうな声になっているのが、純子自身、よく分かった。

「まあ、パイロットの腕がよければ、雷雲をうまく避けるはずだけれど。いいパイロットに当たることを、祈るんだね」

「う、うん」

 いくらかうつむき、手を組んで、本当にお祈りを始めた純子。

 目をつぶっていると、くすくすと笑う声が。

「――相羽君! やっぱり、からかったのね」

 耳まで赤くしながら、背中を叩いてやった。

「い、いや、嘘は言ってないよ」

「じゃあ、何で笑うのよ」

「それは、君が凄く真剣だから……」

「真剣にもなるわよっ」

「大丈夫。こっちも向こうも快晴だって、天気予報でやってたから、安心だよ」

 気軽い調子で言われても、何もかも初めての経験である純子には、どこまで信じていいのか、さっぱり分からない。雷は大の苦手だし……。

「涼原さんのお母さん、時間なかったって?」

「うん」

 純子の母(もしくは父)も、付き添いで来られるよう手配する用意があると言われていた。だけど、出発日まで間がなかったため、都合がつかず、純子一人になってしまったのだ。

「ごめんな。次があれば、もっと早い内に伝えるって、母さん、言ってたから」

「ううん。実はね、結構、楽しんでる。おと……」

 「お父さん、お母さん」と言いそうになるのを、危ういところでとどめた。

 「両親」と言い換えようと思ったが、これもいけない。

(両親と離れて旅行するのもたまにはいいなんて、言っちゃだめだよね……)

「どうしたの?」

 言葉が途切れた純子を、正面から心配そうに覗き込む相羽。

 純子はことさら明るく答えた。

「お……お手伝い、しなくていいもん! 羽を伸ばせる」

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