第2話 帰りのバスにて

 行きしなと違い、帰りのバスの座席は、なし崩し的に好き勝手に座った。クラス担任の牟田先生が、鷹揚なのである。

「純ちゃん、どうしたの?」

「ん?」

「目、とろーん、だよ」

 窓際の席の富井に言われ、瞬きをする純子。

「眠そう」

「うん……何だか、ぽかぽかして、眠たくなって」

 曇天で肌寒かった外と比べ、バスの中は暖かかった。

「眠れば? 着いたら、起こしたげる」

「……修学旅行のとき、そんなこと言って、一緒に寝てたのは、誰?」

 眠い目をこすりながら、一年前の話を持ち出す。

「あれは、芙美がいたから安心しちゃって」

「それだけ私は、頼りになるってことだ」

 後ろで聞き耳を立てていたのだろう、町田が背もたれに腕を乗せ、顔を覗かせた。

「じゃ、本当に寝ようかな」

 ほんとに眠い。瞼が熱を持っている。頭を傾け、自分の肩に置く。

 その途端に。

「純子ちゃーん。もっと話そうよー」

 おかげでぱちりと、目を開けざるを得ない始末。

 声の主は、唐沢。通路を挟んで反対側、窓際の席にいる彼は、その隣の相羽がうるさそうにするのもかまわない様子で、身を乗り出している。

「あ、あのねえ、唐沢君」

「つまんないなー」

 駄々をこねるようなその口調は、かなり芝居がかっていた。

「おい、唐沢。涼原さんの邪魔するなよ」

 相羽があきれ顔で注意するが、唐沢はまるで意に介さないようだ。

「折角、女の子の隣に座れたのに、お喋りの一つもしないと、もったいないぜ」

「おまえなあ」

「涼原さん。眠ったら、こうしちゃうぞ」

「え?」

 どきりとする純子に、唐沢はレンズ付きフィルムを示した。

「これで寝顔を撮ってやる」

「――えーっ、やだっ」

「だから、起きて、喋ろう」

 意地悪げに笑う唐沢。

(うー、私って、唐沢君にまで、からかわれてるのかな? 悪い人じゃなさそうなんだけど……あいつ一人でも疲れるのに、そこに唐沢君が加わったら、たまらないわ)

 小さく、お手上げのポーズを取る相羽の顔を見やりながら、思う純子。

「いいわ。眠るの、やーめた」

 あきらめ半分に言うと、唐沢の表情は一層明るくなり、相羽の方は意外そうに首を振った。

 純子はせいぜい、注文を出すことにする。

「その代わり、とびきり面白い話、聞かせてよね。眠くならないように」

「それじゃ、まずは軽く、『去って行った男』の話から」

「去って……?」

 唐沢の口から飛び出した意味不明の単語に、首を傾げたのは純子一人ではない。富井達周囲の者も怪訝そうに目を細め、声を揃えて聞き返す。

 相羽だけが、あきれた風に頭を振った。

「その話、あんまり面白くないと思うぜ」

「――小三のときの友達で」

 意に介さず、唐沢。

「そうだな、まだ記憶に生々しいから、Zと呼ぶ」

「あははは。何それー」

「Zは顔の広い奴で、お喋りな面白いタイプと思ってもらえばいい。そんな奴が、あれは梅雨で鬱陶しかったから六月のある日、話があるって俺を呼び出したんだ。何かと思ったら、Zは『誰にも言うな』と前置きして始めた」

「ふんふん」

「『僕、転校するんだ』、ときた。びっくりして、いつ、どこにとか、色んなこと聞いたけど、それは省略。『親友の君だから打ち明けたんだ。じめじめするの嫌だから、絶対に誰にも言うなよ、約束したからな』って念押しされた。俺、結構ぐっと来て、約束を守った。

 それで、Zが転校して行ってから、一ヶ月ぐらい経っていたかな。今ならもういいだろうと判断した俺は、打ち明けられていたことを他の友達何人かの前で話したんだ。そしたら、『え? 俺も聞いてた』『僕も』って声が相次いで」

 唐沢の周りで、爆笑が起こった。気が抜けたような、それでいてお腹を抱えてしまうほど馬鹿馬鹿しい。

「そいつ、親しい友達全員に、『誰にも言うなよ』と打ち明けてたわけ」

「一世一代の大仕掛け、だね」

 町田が、目尻を拭いながら言った。笑いすぎて、涙が出て来たと見える。

 引き続いて、富井。

「文句言うわけにもいかないもんねえ。照れ隠しなのかなぁ」

「元々、笑わせるのが好きな奴だったね」

「少なくとも、僕には真似できない」

 ぼそりと言ったのは相羽。

「そうか。相羽君も転校の回数、多いんだよね」

「どんなお別れ、してきたの?」

 興味を覚えて――と言うよりも、眠気を取り去るためもあって、尋ねる純子。

 相羽は、ぼんやりと見返してきたかと思ったら、

「……秘密、だよ」

 と、話をそらしてしまった。

「何でよ」

「唐沢の話の方が面白いよ。ほら、次に行った行った」

 純子が言葉で詰め寄ろうとするのをかわし、相羽は唐沢の右肩を叩いた。


 風邪を初めとする病気はもちろん、小さな怪我もしないように――。

 相羽伝いにそう注意を促されたのは、撮影の日が近いから。

「何か、大人しいじゃないのぉ。どうしたの、純ちゃん?」

 三組と四組合同の体育が終わって、富井が聞いてきた。

「そ、そう?」

 純子自身、意識してセーブしているので、どぎまぎ。加えて、今度の撮影は秘密にしているので、ちゃんとした説明もできない。

「うん、変だった。ねえ、芙美ちゃん?」

 隣にいた町田に同意を求める富井。

「そうね。いつもに比べて、レシーブに勢いがなかったような。ボールを取りに行くのも、なーんとなく消極的」

 今日の授業はバレーボールだったのだ。

(よく見てるなぁ……でも、突き指したらだめだもん。転んで怪我するのも恐いし)

 町田の指摘に、内心、そんな答えを返した。だが、口には出さない。

「ちょっと寝不足で……身体が動かなかったのよ」

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