第17話 母親は当然知っている

「でも」

 相羽は母親の顔を見上げた。気のせいか、影が差しているような。明かりの具合かもしれないが。

「お腹が空いてるんだったら、ケーキ、先に食べたら? 買ってあるから」

「それが、実は、今日の部活で」

 と、プリンを山ほど食べさせられたことを話して聞かせる。

「――だから、お腹、空かさないと。そのためには手伝いが一番でしょ」

 相羽の言い種に、母親は仕方ないわねと軽く肩をすくめ、スペースを作る。

「……それにしても、本当にもてるみたいね」

「何のことさ」

 受け答えしながら、ブロッコリーを水切りし、適当な大きさに切り始める相羽。これぐらいは包丁さばきがどうこうというレベルではない。

「そのプリン、今日があなたの誕生日だから、女の子達が作ったんでしょう?」

「元々、今日の部活はプリンだったの。それに、男は僕一人だから。――切り終わったよ」

「鍋に水を張って、火に掛けて。――生クリームで名前が書いてあっても?」

 おかしそうに頬を緩める母親。相羽は鍋を手に持ったまま、短く舌打ちした。

「水に塩、入れるの?」

「いらない。あとは、そうね、もうお皿を出してもらうぐらいしか」

 てきぱきと手を動かしながら、母親が指示を出す。

 言うことを聞いて皿を運ぶ相羽に、母親から重ねて質問が飛ぶ。

「プリンの他に、何ももらわなかったのかしらね」

「何もないよっ。……あ」

「どうかした?」

「その。一つ、もらったんだった」

「あきれた。忘れてたのね?」

「……」

「もちろん、女の子からなんでしょう? 母さんに見せてくれる?」

「僕も中身、見ていないけど、腕時計だって言ってた」

「腕時計。その子、あなたと話したこと、少ないでしょう」

 母親の口調には、断定的な響きがあった。当然、自分の息子の、腕時計をしない主義を知っているから出た言葉だ。

「そんなことない。副委員長してる子だから、割と話するよ。それにさあ、僕が腕時計しないと決めているの、今日の朝まで誰にも話してなかったし」

「そういう問題じゃないの。普段、どれだけ接してるかってこと。いいから見せてみなさい」

 放り出した鞄へ、渋々と向かった。端っこに、縦に入れていた箱を取り出す。

「これだよ」

「まあ、きれいに包んで……。開けてみたら」

 相羽が無造作に包みを外すと、母親はやれやれという風に顔をしかめた。

「……これ」

 相羽は一瞬、声を失いそうになった。中から出て来たのはアナログの腕時計だったが、その裏に「to Shinichi from Erika」と刻まれているのに気付いたから。

「くれた子、何て言う名前?」

 手を動かしながら、肩越しに振り返る母親。

「白沼さんだけど」

「あの子からはないの? 涼原純子ちゃん」

「ないよ。何でそんなこと聞くのさ?」

「四月の最初に何人か遊びに来てもらったじゃない? あのとき、見ていたら、純子ちゃんと話してるときが一番うれしそうだったわよ、信一」

「ば、ばかなこと言わないでよ、母さん。それに、その呼び方、よくない。前から言ってるだろ、名前にちゃん付けなんて」

 顔が赤くなるのを自覚して、相羽は母親に背を向けた。

「あら、いいじゃない。また遊びに来てほしいな。連れて来たら?」

「そう簡単に行けば苦労しないよ」

「ふうん、苦労ねえ」

 母親の冷やかすような口調に、相羽は口を滑らせたことに気付いたが、そのまま知らんぷりを決め込んだ。

「そうだわ、ちょうどいいじゃないの」

「な、何がだよ」

「口実ならあるってことよ。撮影について、純子ちゃんときちんと打ち合わせしておきたいから。これ、本心よ」

「モデルの話はやめてよ」

 ついでに、知らぬ間に決められた沖縄行きの件にも文句を言おうとするも、寸前で思い止まる。折角の誕生日、些細なことで雰囲気を壊したくない。

「それより早く、ご飯にして」

 ごまかすつもりで言ったのだが、反撃にあってしまった。

「変ね。お腹、あんまり空いていないんじゃなかったかしら」

 にこにこと笑みを浮かべる母親に、相羽はかなわないとばかり、首を振った。


――『そばにいるだけで エピソード9』おわり

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