第16話 間接的に
立ったまま、あきらめた風に顔を片手で隠す相羽。
「全部、食べてよーっ!」
富井に連れ戻され、席に。相羽は殊更ゆっくりと、スプーンを手に取った。
「もうその辺にしたげたら」
見かねたらしく、助け船を出したのは町田。
「だってぇ」
「おいしいのは分かってもらえたわよ。ね、相羽君?」
「うん、もちろん」
相羽はスプーンをもてあそびながら、何度もうなずいた。
「だったら、もういいじゃない」
と、町田が富井と井口をうながす。
「でも、食べる量の問題だよ」
「そんなに食べさせたら、相羽君が太っちゃうじゃないの」
純子は町田の味方、つまりは相羽の味方に回った。
「うーん……それは嫌」
富井と井口は顔を見合わせた。
「それにね」
再び町田。片目をつぶって、何やら薄く笑っている。そして富井と井口に近付くと、ひそひそ話を始めた。
やがて、聞き手二人の顔が見る間に赤くなった。「きゃっ」とか「やだ」という短い声が小さく聞こえるが、何のことやら純子にはさっぱり分からない。無論、相羽も同様だろう。
「相羽君、ごめんなさいね、無理矢理食べさせて」
富井と井口は揃って、唐突に謝った。対する相羽は、態度の急変に警戒の色を浮かべながらも、へどもどと返事した。
「い、いや、その……全部食べるって言ったのに、守れなくてごめん」
「もう充分。残りは私達で片付けておくから」
「そ、そう? だったら、急いでるから」
相羽は腰を浮かすと、別れの挨拶もそこそこに、実習室の扉へと走る。
「ごちそうさまっ。じゃ、また明日!」
それだけ言って、廊下を行く。
「さっきの内緒話、何て言ったの、芙美?」
純子は相羽の姿を見送ってから、町田に尋ねた。
「それはねえ」
町田はおかしそうに、富井らを振り返る。と、当の二人は相羽が残したプリンに手を着けようとしているところ。
「仲よく、半分こよ」
「分かってるって」
果物ナイフを持ち出し、おおよそ半分にプリンを切っていく。
町田は、今度は純子へ耳打ちしてきた。
「残った分を食べれば、相羽君と間接キスしたも同然よって言ってやったの!」
おかしくておかしくてたまらない。町田の口調は、そんな感じだ。
純子もようやく合点が行くと同時に、たまらず吹き出した。
「よくやるよ、もう」
* *
マンションの入口まで来ると、相羽は躊躇することなく階段を選んだ。
と言って、駆け上がるでもなく、少し急ぎ足程度のペースで一歩一歩、しっかりと昇っていく。踊り場から見える空には、ちらほらと星が輝き始めていた。
踊り場を通るごとに視点は徐々に高くなるはずなのに、見える空はほとんど変わらない。そうして四度、踊り場を通過し、五階に到達。
自分の家――五〇三室の方を見やり、相羽の表情がぱっと明るくなる。
(母さん、帰ってる)
磨りガラスの向こうが白い。その前を通って、玄関ドアのノブに飛び付くと、相羽はもどかしく思いながら鍵を使って開けた。
「ただいま!」
靴を、普段に比べると乱暴に脱ぎ捨て、かけ込む。
相羽が顔を見せると、台所に立つ母親は目を丸くした。その驚きが表情から消え、代わりに穏やかに微笑む。
「お帰り。ブザー、押したら、開けたのに」
「仕事、早く片付いたんだね?」
「ええ」
母親は手を拭くと、流しから離れた。居間のクッションの上にある紙袋を取り上げ、相羽へと手渡す。
「お誕生日、おめでとう」
「あ、ありがとう」
両手でしっかり受け取った相羽。
対して、母親はと言えば、不思議そうな表情をなす。
「あんまりうれしくないみたい」
「ううん。でも、母さん、いつ買ったの? まさか今日は時間ないだろうから」
「先週の日曜、こっそりね。隠し場所、ばれやしないかと冷や冷やし通しよ」
思い出した。前の日曜、休みにも関わらず、確かに母は一人で出かけていた。相羽にとってそれは珍しいことなので、よく覚えている。
「ご飯、もう少し待ちなさいね」
「あ、手伝うよ」
「今日は信一の誕生日なんだから。座ってなさい」
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