第9話 相羽の母からの用事

「涼原さん、いつの間にいたの? 恥ずかしいとこ見られたな」

「もうすぐ部活だって言いに……。それより、ピアノ、弾けるなんて知らなかった」

「俺達も初耳でさ」

 勝馬が言って、立島が続ける。

「食べ終わってから、ピアノを触ってたんだ。誰か弾けるかって、冗談半分に聞いたら、相羽が少しならって言うから、聞かせてくれってなってね」

「どうせ『ねこふんじゃった』ぐらいだと思ってたのに、これだもんな」

 唐沢も、少しばかり芝居がかっているが、感心した風に何度もうなずいている。次に、相羽の後ろからのしかかるようにもたれて、

「色々と驚かせてくれる奴だぜ、この」

 と、背中に拳をぐりぐり当てる。

「いててててっ。やめろって」

「何で弾けるんだ。習ったのかよ」

「当然、習わずに弾けるもんか。五年生ぐらいまで、習ってたんだよ」

「今はやってなくて、こんなに弾けるのか。くー、うらやましいぜ、こいつ」

 また拳を当てる唐沢。今度はさらに勝馬も加わったから、とうとう相羽は椅子から逃げ出した。

「ちゃんと弾けたんだ」

 二月頃、小学校の音楽室でのことを思い出しながら、純子はつぶやいた。

(あのときはほんとに『ねこふんじゃった』だったから、遊びだと思ってたのに……私よりずっと上手じゃないの)

 それからさらに思い出す。

「あれ、私の記憶違いかしら? 相羽君、転校してきたときの自己紹介で、音楽が嫌いって言わなかった? この間のクラスでの自己紹介は違ったけど」

 純子の言葉に、同じクラスだった男子達も「そう言えば」とうなずき合う。

「確かに言った」

 けろりとして答える相羽。

「おかしいじゃない、ピアノが弾けるのに」

「好きじゃなくても、できる場合もあるさ。コナン・ドイルって知ってる?」

 いきなり奇妙な質問をされて、純子は目をぱちくりさせてしまう。

 すぐに応答したのは立島だ。

「推理作家だろう? シャーロック・ホームズを書いた」

 ふうんと思いながら、相羽の言葉を待つ純子。

「そう。ドイル自身は、推理小説にはさして執着してなかったそうだよ。歴史小説が書きたかったんだってさ」

「ホームズを書いといて?」

 大きな声で反応した唐沢。首を振る。

「分かんねえ。何でだよ」

「そこまでは知らない。要するに、僕の音楽嫌いも似たようなものってこと」

 分かったような分からないような。純子は少し考えてから尋ねる。

「今は習ってないって言ったわよね? 嫌になったからやめたの?」

「ん。ま、そんなとこ」

 曖昧に返事すると、鍵盤に布を掛け始めた相羽。

「他に弾ける曲、ないのかい?」

 立島が試すように持ちかけると、相羽は壁の時計を見上げた。

「残念、時間がない。部活だ」

「じゃ、音楽の時間の前かあとに、聴かせろよ」

「うーん、人に聴かせるような腕じゃないからな」

 もったいぶっているのか、それとも本当は他に弾ける曲がないのか、相羽は腕組みの格好をする。

 すると、唐沢が怒ったときのような大声で言った。

「うまいって。自信ないなら、最初から弾くなっての」

「今日は特別。試験が終わって、憂さ晴らしに、つい弾いてしまったのであーる。じゃ、またな」

 鞄を手に取ると、相羽はそそくさと出て行った。

「逃げたな……」

 首を傾げる唐沢も、鞄を持つ。

「ああ、そろそろ俺もテニス部、行かないと」

「……あっ」

 純子は大声を出してしまった。

「どうしたの?」

 立島が不思議そうな視線をよこしてくる。彼に返事するのもまどろっこしく、純子は廊下へかけ出した。

「私も委員会、あるんだった!」


 委員会が終わり、家庭科室を覗いてみた純子だったが、調理部の活動はすでに終わっていた。事前に、今日は連絡事項だけだから早く終わると聞いていたのだが、念のために見に来たわけ。

(しょうがないか。一人で帰ろっと)

 軽く息をつき、きびすを返した。太陽の光を浴び、徐々にオレンジ色がかってきた廊下を行こうとすると。

「涼原さん」

 相羽の声がした。姿を探すと、壁に沿って縦に走る何かの管の影に見つける。

「……いたんだ?」

 意外さが先に立って、そんな返事しかできなかった。

「うん。みんなは帰っちゃったけれど」

「あなたは何で残ってるわけ?」

「話があるんだ」

 さりげない口調の相羽だったが、純子は敏感に反応。

「変なの。試験終わって、すぐ言ってくれたら、待たなくてよかったのに」

「他の人に聞かれるとまずいんだ。それに、僕は気が進まないし……」

「何、ごちゃごちゃ言ってんのよ」

 怪訝に感じて、目を細める純子。

(話があるって切り出したのはそっちのくせして、気が進まないなんて)

 純子がその思いを口に出すよりも、相羽の言葉の方が早かった。

「母さんが、用事あるって」

「相羽君のお母さん? おばさんが私に用事というと……またクッキー、作ってもらえるのかしら、なんて」

「残念だけど、外れてる」

 純子は冗談めかしたつもりだったのに、相羽は、真面目に受け答えした。その様子は、どちらかと言えば気乗り薄で、目線は明後日の方を向いている。

 純子は、もう一つ浮かんだ可能性を言ってみた。

「じゃあ、まさか、モデルの話……のはずないだろうし」

「そのまさか」

 申し訳なさそうに頭をかきながら、相羽はつぶやいた。

 純子の笑みが固まり、次いで真顔に戻った。髪が乱れるのも気にせず、隣に立つ相羽に勢いよく振り返る。

「嘘っ――よね?」

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