第3話 休みはアイドル映画観賞へ

 フルネームで呼んで、やっと振り向かせられた。

「い、いや。ごめんごめん。――あー、おかしいっ。涼原さんて、案外、単純なんだ」

「単純……ど、どうせ!」

「言い方がまずかった? じゃあ、『純粋』ってことにする」

「言い直したってだめよ、ふん」

「……あっ、名前にぴったり」

「は? 何を言ってんの?」

「名前、純子だろう? 純粋の純」

 うれしそうに顔を向けてくる相羽。うまく言い逃れできそうだからか、それとも別の理由からかは分からない。

「……単純の純ね」

 純子は、ぶすっとして応じた。内心では、少し機嫌を戻しながらも。

「それよりも、そんな気安く呼ばないでよ、下の名前」

「もう忘れてるな。さっき、僕の名前、呼んだでしょ、『相羽信一!』って」

 愉快そうに相羽。純子は完全にペースを握られている。

「あれ、あれはっ。あんたがいつまでも笑ってるから」

「だったら、もっと笑おうっと。名前、呼んでくれる?」

「……よく言うわ」

 純子は片手を額に当てた。ふっと、笑みがこぼれた。


 事前に危惧していた通りだった。

 曇天にも関わらず、映画館の入ったビル全体が、大したにぎわいのようだ。

「香村倫、人気あるでしょう?」

 どうだとばかり、胸を張ったのはもちろん富井。今日は普段の制服姿と違い、身体によりフィットした服なので、その大きさがより強調される。

「みんながみんな、映画目当ての客じゃないでしょうに。それにしても、あーあ、パンフなんかを買うのがつらいのよね、こういうのって」

 町田が早くも疲れ口調でこぼす。行列そのものが苦手らしい。

「映画観る分には、座席さえ確保できれば文句ないわ」

「たいていの人は、そうだと思うけど……」

 深緑色のベレー帽が落ちないよう、片手で押さえた格好のまま前進する純子。

混雑の中、人の間をすり抜けるには、苦労が伴うもの。ようようのことで、建物内部の映画チケット売り場前に出た。

「ロストジェネシス、五人分、お願いします」

 化粧が妙に白いおばさんが、気味悪いほど唇の両端を上げた笑顔で、券を五枚、渡してくれた。

 その場を離れ、純子はみんなに券を手渡した。

「自動販売機にすればいいのに」

 相変わらず文句を垂れる町田である。井口が同調する。

「本当。いい加減、改装してもいい頃」

「それよりも、パンフレットを……」

 小さな声で遠野が主張した。いつも大人しい彼女が人いきれに圧倒されながらも、結構、楽しそうなのはやはり大ファンのなせる業か。

 そんな風にして、映画関係のグッズにお菓子や飲み物も買った頃、ちょうど二回目の上映が終了。うまい具合に、席も確保できた。


 ~ ~ ~


 上映が終わると、さっさと出る人、余韻に浸っている人と様々だ。

 純子達五人の中では、町田が前者の典型であるのに対し、富井、井口、遠野の三人が後者である。

「えーい、いつまでも泣くなぁ」

 席を立ち、すでに通路に出ている町田が苛立たしげに言った。

「だって、だって、感動的だったものー」

 富井が言うのへ、町田は肩をすくめた。

「死んだと見せかけて、生きてたってだけでしょうが」

 内容に踏み込んだ発言。次の回のお客さんはまだ入って来ていないだろうけど、念のため声量は落としている。

「芙美ぃ~」

 身も蓋もない言い方に、三人が抗議する。

(どうでもいいけど、恥ずかしいよー)

 友達の横で、中間派の純子は帽子を胸に抱き、落ち着かなかった。自分達が結構、目立っているような気がするのだ。

「ねえ、純ちゃんは、分かるでしょ?」

「え、何?」

 急に振られて、焦ってしまう。

「聞いてなかったのぉ?」

「あはは……ごめん。あの、もうそろそろ、出てもいいんじゃないかと思って」

「純子まで、そんなこと言う」

 井口からも抗議を受けてしまった。

「香村クン、格好よかったよね?」

「え、うん、まあ」

 気のない返事……というつもりはないのだが、今はとにかく目立ちたくない。

(映画の話は置いといて、早く出ようよ。人が見てる)

 そんな折、別の声がかかった。

「あれ? 何か、見たことあるなと思ったら」

 唐沢だった。四人分の飲み物を器用に持っている。

「涼原さん達もこれから?」

「ううん。終わったところ。出ようとしてるんだけど、話し合いが着かなくて」

 苦笑いしつつ、町田達を指差した。

「唐沢君、誰と一緒なの? その飲み物……」

「ふふ、デートなのだ」

 得意そうになる唐沢に、純子は目を丸くした。

「デート? 四人で?」

「そ。いや、もてる男はつらい。一対一はなかなか許してもらえなくってさ」

「……大した自信ね」

 呆れながらも、唐沢相手なら許してしまえる。

「運ぶの、手伝ってあげようか」

「いい、いい。こうして苦労しているところを見せないとね。はははっ。じゃ」

 ウィンクして去る唐沢の姿を追うと、確かに三人の女子が座る席へと近付いていくのが分かった。

(よくやる~)

 もはや感心の域に入っていると、背後から肩をつつかれた。

「出られるよ、やっと」

 振り返ると、くたびれ顔の町田が、ため息混じりに言った。

 議論がようやく決着したらしい。いや、決着してないのかもしれないが。

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