第2話 理由の確認


 その姿を認めると、純子はもたれていた柱から離れた。誰もいないのを見計らい、「相羽君、相羽君」と手招きの格好をする。

 外靴を床に落とした相羽は、腰を折った姿勢のまま、純子へと振り向いた。

「あれ、残ってたんだ?」

「聞きたいことがあって、待ってたの」

 自ら手招きしておきながら、純子は小走りに駆け寄り、靴を履きかえる。

「わざわざ? 教室で聞いてくれればいいのに」

「みんながいると、聞きにくい話だから」

「ふうん。だったら、帰りながら話そう。途中まで一緒だろ」

 中学になって、二人の通学路に大きく重なる部分が生じていた。でも。

「う……。それはちょっと」

 遠慮したい純子である。

「どうして」

「どうしてって……」

(見られたらうるさいから、きっと。……だけど、郁江達はもう家に帰ったはずだから、かまわないよね)

 心の中で折り合いをつけて、相羽に「まっ、いいわ」とうなずいた。

 夕暮れ時、並んで校舎を出た。相羽が左で、純子は右。

「話って?」

 校門を出た時点で、相羽が改めて聞いてきた。待ちかねたようにそわそわしている。

「クラブ活動のことよ。郁江達から聞いたけど、調理部、一生懸命やってるそうじゃない、相羽君?」

「まあね。そういや、涼原さんはどこのクラブにするか、まだ決めてなかったんじゃあ……」

「そうよ。だけど、今は私のことじゃなくて」

 話を戻そうと、純子。

「男一人でやってて、楽しい?」

「ん、まあ、そこそこ楽しい。何しろ、単身赴任を見越しての修行だから。ははははは」

 らしくない空虚な笑い方。

「そんな理由、私は信じないわ。他にあるでしょう? 言ってよ」

「……かなわないなあ。さすが探偵、古羽殿」

「ふざけないでっ」

「分かりました。白状します」

 純子の怒声に気圧された風でもなく、相羽は答え始めた。

「知ってる女子がたくさんいるから、調理部に入ったんだよ」

「……どうして、そんな見え透いた嘘をつくのよ!」

 純子も、今度は本気で怒った。

「あなたが調理部に入ってから、郁江や久仁香達が入部したのよ。逆よ、逆。正直に答えなさいってば」

「――女子の中に男が一人なら、もてるだろうと思った」

 しれっとして答えると、相羽は舌を出した。

「もう!」

 純子は立ち止まり、相羽の腕を強く引いた。のらりくらりとかわされているのが、よく感じ取られたのだ。

「隠すつもりなら、私から言おうか」

「え?」

 無理矢理立ち止まらされた相羽は、ぎょっとしたように顔をしかめている。

 かまわず、純子は続けた。

「いい? 相羽君、あなたね、お母さんのことを考えたんでしょう?」

「……」

「苦労をかけたくないから、夕飯を自分で作るつもり? それともお手伝いして、少しでも役に立とうとしてるのかしらね」

「……両方だよ、できればね」

 渋々ながら、相羽は認めた。

「参った。本当に言い当てられるとは思わなかった。さすが探偵」

「もうっ、それはいいっての」

「……母さん、この頃、疲れているみたいなんだ」

 静かに始める相羽。隣で、黙って聞き耳を立てる純子。二人はゆっくりと歩き出した。

「仕事がきついのかもしれない。よく瞼やこめかみをもんだり、自分で自分の肩を叩いてる。僕も肩たたきぐらいはしてたんだけど、それだけでいいのかなって思うようになってさ。けど、アルバイトは絶対にしなくていいって言われてるから、たとえやっても、お金、受け取ってもらえそうにない。他にできることを考えていったら、結局、家のことを手伝うぐらいしか浮かばなくて。家事も色々手伝ってるつもりだけど、料理を作るのだけは母さん一人に任せきりだったから、やるとしたらこれしかないなと考えたわけ」

「……相羽君らしい、ね」

「そうかな。分からないけど、料理の本を買ってきて、家で勉強しても仕方ないだろ、この場合? それで、調理部に入って実際に経験すれば役立つんじゃないかと思ったんだよ」

「成果は出た?」

「今のところ、包丁さばきがうまくなったような気がする。具体的な料理は、だし巻き卵と肉団子を新しく覚えた程度だけどさ。包丁が使えるだけで、前より手伝えるようになったと思うから、よかった」

 そう答える相羽の表情には、心の底から喜んでいる様がありありと窺えた。

「ふうん。ねえ、ずっと調理部を続けるつもり?」

「うん。最低でも一年生の間は続ける気だよ。時間に余裕ができたら、掛け持ちも考えたいんだけど、無理だろうな」

「そんなに時間が足りないのなら、委員長を引き受けなければいいのに」

 不可解さに、純子は口を尖らせた。相羽はのんびりした調子で反論する。

「選ばれたからには、やるべきでしょ」

「忙しいとかの事情がある人は別よ。小学四年生のときだったわ。病気で休みがちの子が学級委員長に選ばれたんだけど、まともに務められそうにないからみんなに迷惑をかけるかもしれないって、その子自身が言ってね。結局、その子は副副委員長って言えばいいのかな。学校に来たときだけ、それなりに仕事をしてもらうことに決まったの」

「通院とは違うよ、僕の場合」

 一言の下に断ずる相羽。強い口調だった。

「それに、委員長に選ばれたのを断って、家の手伝いしても、母さんは喜ばない気がする……。僕自身、忙しさを盾に、他の面倒から逃げたくはないんだ」

「……相羽君」

 自然と名前を呼んでいた。

「何?」

「え? ええっと……何だか……格好いいなあと思って」

 どうしてそんなことを考えたのか、純子自身、慌ててしまう。

 相羽は一瞬の戸惑いの表情のあと、吹き出した。すぐに大笑いに変わる。

「何がおかしいのよ。誉めたのに」

 純子が頬を膨らませても、まだ笑いやまない。歩みの方が止まってしまった。

「相羽君――こら、相羽!」

 純子も立ち止まって、今度は一転、呼び捨てにする。が、相羽の笑いは簡単には収まらないようだ。

「このお……。相羽信一!」

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