第16話 答は優しさとプライド
「え?」
と絶句した純子に対して、高校生の方は、まずいなとばかり、片手を後頭部にやる。
「聞かなくても、分かってるよ。――すまない」
唐突に頭を深々と下げる高校生。
純子が戸惑っていると、相羽が横から言った。
「そんな大げさに謝ると、あの子達が変に思いませんか?」
「あ。ああ、そうか。そうだな」
相手は威厳を保とうとするかのように、上半身を起こした。
「昨日、君のパンを取ったこと、悪気はなかった。許してほしいんだ、この通り」
高校生は胸の前で、小さく手を合わせてきた。
「え、えっと、その……謝ってもらえたらいいんですが……どうして、あんなことしたんですか」
戸惑いを続けながら、純子は一番聞きたい点を尋ねてみる。
「あの……ガキ共の大好物なんだよ、あのパン」
肩越しに、子供達を親指で示す高校生。「ガキ共」という表現がわざとらし
い。無理をして悪ぶっているのが、ありありと窺えた。
「ま、何て言うか、色々と事情あって、毎日食わせてやることになってんだよ、胡桃クリームパンを」
「そ、そうなんですか。分かりましたけど、でも、私のお盆から取らなくたって……」
言っていいのかなと感じて、うつむき、上目遣いに相手を見やる純子。
高校生は、気まずそうに目をそらし、鼻の頭をかいていた。
「せ、せめて、理由を言ってくれたら、私も気分悪い思いしなくて済んだのに」
「昨日は、その、時間がなかったし、たまたま仲間と一緒だったから……中坊に頭下げて頼むなんて、できなくて……悪い、謝る」
結局、頭を垂れる高校生であった。
「さて、どうするの?」
相羽がぽつりと聞いてきた。もはや、楽しんでいるのがありありと、彼の表情から伝わってくる。
「どうするって……謝ってもらえたんだし、もうしないと思うし……いいよ。あの、次からはわけを言ってくれますよね?」
「あ、ああ。もちろん」
ほんの少し、顔を赤くしながら、高校生は答えた。年下の女の子に諭されるのは、どうにも格好が悪いものであろう。
「し、しかし、君ら、どうやって俺のこと見つけたんだ? 昨日の今日で、よくやるなあ」
話をそらしたいのか、早口でまくし立てた高校生。
「その子が執念深いからです」
純子を指差しながら、けろりとして答える相羽。
「あ、あのねえっ。こうやって見つけることができたのは、あんたの推理のおかげですよーだ」
「それは、そっちが頼んでくるから」
「頼んだ覚えはありませんっ」
初対面の人の前だというのに、いつもの調子でやり取りを始めてしまった二人。相羽の方に、故意に仕掛けているような節もあるが。その証拠に、目が笑っていた。
「君ら、恋人同士か? ませてやがるな」
先ほどやり込められたせめてもの仕返しか、高校生がからかい気味に言った。
「ち、違います!」
純子は両手に握り拳を作り、大声で否定。相羽は首をすくめ、声もなく曖昧に笑うだけ。
「せいぜい、仲よくやれよ。俺はガキ共の相手で忙しいんだ。はははっ」
快活な笑い声を上げ、背を見せた高校生。だが、もう一度、振り向いた。
「おい、おまえ」
と、相羽を手招きする。
「僕ですか」
「そう」
相羽が高校生に駆け寄り、小さな声で何か話を始めた。
(な、何なの、今さら?)
急に不安になったが、純子は様子を見守るしかできない。その手は、お祈りの形に組まれていた。
そんな心配をよそに、二人の会話はすぐに終わった。最後、高校生が拳で軽く相羽の胸辺りを小突いて、「大事にしろ」とでも言ったようだ。
相羽の方はと言えば、参ったなという風に、前頭部の付近に手をやっていた。
「行こう」
純子の横に並ぶと、相羽が言った。もうすでに、高校生は子供達の相手に戻っている。
「あの人と、何の話をしていたの?」
自転車のハンドルに手を掛けた純子。
「ん? 大したことじゃないよ」
相羽は純子から目線を外すと、真っ直ぐ前を向いて、自転車に跨った。
「教えてよ」
「いいじゃないか、大したことないんだから」
スタートした相羽。急いで純子も追う。
「大した話じゃなけりゃ、教えてくれたっていいでしょっ」
「聞くだけ、時間の無駄ってやつ」
「何よそれ? けち」
「けちだよ、僕は。涼原さんにおごるぐらいのけち」
「ああ、もうっ。わけ分かんないっ」
「悩まない悩まない。折角、昨日からのわだかまりが解決したんだから、すっきり忘れよう?」
「それはそうだけどね」
先を行く相羽を見る純子の目に、助けてもらった大きな感謝と、言いくるめられたちょっぴりの悔しさが入り混じっていた。
――『そばにいるだけで エピソード8』おわり
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