第12話 胡桃クリームパン
続いて出て来た椎名が、扉に錠をかけながら聞く。
「疑ってるな。古羽探偵の生みの親よ。探偵以上に格好いい人じゃないと、生み出せないと思わない?」
「それはそうかもしれないですけど……幻滅するの、恐いし」
「大丈夫。少なくともいい人だってことは、私が保証するわよ。興味はあるでしょ?」
「……うん」
「じゃ、色々と質問するつもりで、一度会ってみたらどうかな。古羽探偵のこと、知りたくない?」
「それはもう、知りたいです」
うつむいていた顔を起こし、力強く言った椎名。
純子は笑みを浮かべて応じる。
「相羽君――書いた人、相羽君て言うの。相羽君に頼んだら、新しいお話を聞かせてくれるかもしれないわよ」
「それ、いいですねっ」
飛び跳ねんばかりに、椎名は黄色い声を上げて喜ぶ。
「それで、また劇をやってもらえたら、最高!」
「そ、それは、どうなるか分からないけど」
たじろぎながら、純子。
「とにかく、会えるように話をしておくから。いつか、ね?」
「はい。お願いします。そのとき、涼原さんも一緒に来てくださいね」
「もちろん。それぐらいは」
椎名とそんな約束をしてから、彼女と別れ、純子は小学校を出た。
(時間取っちゃった)
もはや完全に急ぎ足になっていた。
(成り行きで、約束しちゃったけど……相羽君にとっては迷惑かも……。でも、前に、古羽探偵ファンの子に会ってみたいって言ってたから、平気よね)
自分を納得させてから、一路、パン屋を目指す。
ベーカリー・ういっしゅ亭の木彫りの看板が見えた頃には、また汗をかいていた。
ドアをくぐる前に、額にうっすらと浮かんだ汗をハンカチで拭く。
「いらっしゃいませー」
レジに立つ女の人の声で出迎えられ、純子は黙って会釈してから、トレイとトング――パンを挟む道具――を取った。まずは、お目当ての胡桃クリームパンを探す。
あった。
が、一個だけ。
(まあ、いいや。あったんだから)
と、その一つをつまみ上げ、トレイに載せた。
(あとは、何にしよう……)
考えている間に、自動ドアの開閉する音がした。間髪入れず、店員さんの声。新たなお客だ。
髪の毛越しに横目で見ると、詰め襟姿の四人が、「デザートに菓子パンかあ」とか「おまえ、こんな店、よく知ってるな」等と、わいわい喋りながらやってきたのが分かった。校章から、近隣の高校生らしいと知れる。
何となく居心地悪くて、早く済ませようと純子は思った。
(えっと、お母さんが好きなのは)
考えつつ首を巡らせた瞬間、トレイを持つ手の感覚が変わった。
「え?」
軽くなったのだ。首を戻し、トレイを見やれば、そこは空っぽ。
何が起こったのか理解するよりも早く、純子はさっき来たばかりの高校生の一人が持つトレイに、胡桃クリームパン一つが載っているのを目にした。
「あ――」
横取りされた!と純子が気付いたときには、すでにその高校生はレジへ。
「わ、私の……」
抗議しようとしたが、声はどんどん小さくなる。何しろ相手は高校生の男子。しかも、人相が悪い……ように感じられる。こちらをちらちら見て、ばかにした風に笑っている。
パンを買ったのは、四人の内の一人だけだった。しかも、買った個数も胡桃クリームパンを含めて五つだけ。故に会計も早い。
「どうもありがとうございました」
店員の声に送られ、高校生四人は行ってしまった。
「……」
呆気に取られていた純子だったが、やがて悔しさがこみ上げてきた。
(な、何よー!)
店員の人が見ていなかったのかと思い、レジの方へ恨めしさを込めて、じっと視線をやった。が、焼き上がったパンを並べる仕事もしているせいか、その女の人はたまたま何も目撃しなかった様子だ。
(見てくれてても、あの高校生、恐そうだったから、注意してもらえなかったかなあ……)
弱気になる。
とにもかくにも、菓子パンを何個かトレイに取り上げ、レジに持って行く。
その際に聞いてみた。
「あの……胡桃クリームパン……」
「え? ああ、売り切れてますね」
やや背伸びするようにして、胡桃クリームパンを盛るバスケットが空なのを確認した店員さん。
「四時まで待っていただけたら、焼き上がりますが」
「あ、はい……そうします」
屈託のない笑顔に、純子はそんな返事しかできなかった。
――好物を手に入れずに帰るのは悔しくてできないので、純子は四時まで時間をつぶした。
純子は案外、執念深い。自分でもそう思うことがある。
(どう考えても、間違ってる!)
思い出す度に悔しさが増し、昨夜はよく眠れなかったほどだ。もちろん、胡桃クリームパン横取り事件のことである。
(せめて、謝らせなきゃ気がすまない!)
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