第10話 少し気になること

「生意気なことなんかないよー。喋ると、かわいいんだから」

 町田の言葉に富井が反論。

「私は生意気そうだって言ったんです。断定はしてないでしょうが。それより、あの声はかわいいと言うよりも、ちょっと不釣り合いじゃなあい?」

「あ、ひどい」

 二人のそんな応酬を苦笑しつつ横目で見やった純子は、遠野へ確認を取る。

「遠野さん、これでいい?」

「ええ、もちろん」

 答える遠野の声が、純子の予想外に、弾んでいた。

「あれ? ひょっとして遠野さん。香村綸の……ファン?」

 すると遠野は、頬を赤らめ、こくりとうなずいた

「……大ファンのつもり……」

「あは。ちょうどよかったね」

 目を細める純子の横では、富井と町田が、井口をも巻き込んで香村論争を続けていた。


 連休を目前にして、気が急いていたのかもしれない。

 掃除の仕上げにごみ捨てを終え、階段を昇る途中の純子は、二階と三階の間にある踊り場で身体の向きを換えた途端、降りて来る人とぶつかってしまった。

「あたっ」

 姿勢を崩し、その場にぺたりと座り込む。片手に持っていたごみ箱が床に当たり、かつんと音がした。

「あ……ごめんなさい」

 振り返り、そう言った少女は、純子の見た覚えのない子だった。きっと、向こうも純子のことを知らないだろう。

 手には鞄。上履きの色から、同じ一年生だと分かる。

 長めの前髪がその目を隠すようにかかっており、表情が判然としない。とにかく、急いでいるのは見て取れた。

 すでに降りかけていた少女だったが、引き返してきて、純子に手を差し伸べる。

「つかまって」

「あ、うん」

 自分一人で立てるのだが、相手の必死さが感じられたような気がして、素直に手を握った。

(……痩せてる……。それに肌、かさかさだわ……)

 骨張った手の甲に内心、少し驚きながら、純子は起こしてもらった。

「ほんと、ごめんなさい」

「何度も謝らなくていいって。気にしてないし、私だってよく見てなかったん

だから。それよりあなた、急いでるんじゃない? だったら、もう」

「う、うん。じゃあ……ごめんね」

 気にしつつも、振り切るようにして階段を駆け下りていく。

(大丈夫かな。起こしてもらったとき、かえってあの子の方がふらついてたような気がする)

 純子も再び階段を昇り始めたところ、今度は知っている顔と出くわした。にやにや笑っている。

「涼原さん。大丈夫かい?」

「唐沢君」

 どうやら転んだところを見られていたらしい。そう判断した純子は、急に気恥ずかしくなった。

「見てたのね。笑うなんてひどい」

 唐沢の隣に並び、歩きながらいくらか抗議する。

「笑ってるつもりはないんだけどな。しかし、あの愛美まなみちゃんと初対面であれだけ話せるなんて、珍しいかもしれない」

「さっきの子のこと、知ってるの、唐沢君?」

「知っているというか、小学校が同じだったってだけで、特に仲がいいってんじゃないよ。フルネームは西崎愛美にしざきまなみ。確か……今は八組だったかな」

 女子の誰がどのクラスにいるか把握に努める唐沢にとって、これぐらいは造作もないことだろう。

「西崎愛美さん、ね。それで、初対面がどうこうって、さっきのはこっちも悪くて、ただ謝ってくれただけだから」

「いやいや、俺から言うのも何だけどさ、無愛想なんだぜ、あの子。声をかけても、逃げていくようなところがあってさ」

「それは、唐沢君にだけじゃないのかしら?」

 純子の冗談を、唐沢は真面目に否定した。

「違うよ。ほとんど誰に対しても、同じさ。暗いってわけでもなく……何て言えばいいかな。ともかく、ちょっと付き合いにくいタイプ」

「ふうん? そんな感じ、しなかったけど」

 何となく気になったが、この話題はここでタイムアップ。教室に到着してしまった。

 その上、ごみ箱を元あった場所に戻す前に、同じクラスの有村ありむらが話しかけてきた。

「あー、唐沢君、遅いと思ったら、すずちゃんとお喋りなんかして」

 有村は純子のことをを「すずちゃん」と呼ぶ。第一小学校出身のクラスメートの中には他に、「りょうちゃん」と呼んでくれる子も多い。涼原の「涼」の字を「りょう」と読むわけだ。

「やあー、悪い悪い」

 ちっとも悪いと思っていないように、慣れた受け答えをする唐沢。

「私とのデート、すっぽかすつもり?」

「誤解だよ。涼原さんとはたまたま話してただけ」

 唐沢に続いて、純子も事情説明を。

「そうよ。他のクラスの子の名前、教えてもらっただけなの」

「……すずちゃんもそう言うなら、信じる。だけど、すずちゃんまで引き込む気なの、唐沢君たら?」

「そのつもりがあっても、涼原さんがつれないもんだから」

 唐沢が肩をすくめるのを見て、純子は大慌てで首を振った。

「あのね、唐沢君っ」

「何でしょーか?」

「その、これ以上付き合う相手を増やしてたら、みんなから恨まれるわよ、きっと」

「そうかな? 咲恵さきえちゃん、どう?」

「一対一のデートのときは、私のことだけを考えてくれるんだから、満足してる」

「あ、そうですか……」

 もはや何を言っても無駄だと思い、純子はそそくさとその場を立ち去った。

(馬鹿らしくなっちゃった。あーあ、早くごみ箱を置いて、帰ろうっと。明日から休みだ)

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