第6話
敬二に会ったのは高二の夏休み、あいつは十一歳だった。汐織がイギリスにいた頃にお世話になった家族の息子だそうで、両親が残念ながら離婚することになり、母親と一緒に日本へ戻ってくることになったのだと聞いた。手続きや職探しで母親はずいぶん難儀していたらしく、夏休みのあいだだけ預かることにしたのだと。日本で暮らしたことのない敬二には頼れる友達もなく、汐織ができる限り面倒を見ることになっていた。その手伝いを、俺もしていたのだった。
その敬二が死んだと、汐織から聞かされたのはそれから一年後、夏休みに入る少し前のことだ。
雨続きの中で、ぽっかりとやってきた晴れの日だった。昇降口にしゃがみこんで、汐織が俺を待っていた。靴がまだあったから、と真っ白な顔で立ち上がり、くしゃくしゃっと顔を歪めた。
汐織は右手に携帯電話をにぎりしめたままで、それだけ言うと、俺に画面をずいっと差し出した。汐織の母親からのメールで、サッカーをして遊んでいた敬二とその仲間のところへ、飲酒運転の車がつっこんできたのだと書いてあった。敬二は、中学に入ったばかりだった。
「夏休みに遊びに来るって、言ってたのに」
ひくっと、鼻の穴が膨らんだのを見て、俺は猛烈に腹が立った。なんで今日なんだ。どうしようもないことに、一気に腹が立った。汐織は泣きたい。泣く場所を探して、俺を待っていた。それがわかっているのに、俺はいつものように、汐織に手を差し伸べることができない。
だって、今日は。
「ごめん、倉田、先生につかまっちゃって」
もしかしたら、あと一分、いや三十秒遅かったら、俺は汐織を抱きしめていたかもしれない。だけどそうする前に、声がした。よく通る声が背後から投げられて、そして同時に俺の腕を絡めとった。
今にも涙をこぼしそうだった汐織の瞳が、驚きに一瞬、乾いたように見えた。それは、俺のよくつるむ仲間の一人で同じクラスの香澄だった。そして俺のことを好きだと言ってくれた奴。
「模試の結果が悪くて、怒られちゃった。って、あ、ごめん。取り込み中?」
「あ、いや……」
朗らかな言葉とは裏腹に、腕を放すそぶりはまったくなく、汐織を牽制していることは明らかだった。女ってこええ、と一瞬、冷静な頭で思ったけれど、それを責めたり軽んじたりする権利が、俺にあるはずもなかった。
「……つきあうことになったんだ」
そう言うと、汐織の瞳が衝かれたように揺れた。
突き抜けるような空の青さとそこに浮かんだ入道雲。昇降口を駆け抜ける同級生たちの足音や、部活中の生徒たちのざわめき。拳を握り締めた汐織の、そうなんだ、と答えたぎこちない笑顔。
そんなことの全部が一気に、走馬灯のように駆け巡った。
敬二の眼が、ゆっくり、刺すように俺たちを巡った。絶望が、足元を揺らす。何かが軋む、音がする。
訝しげに俺たちをじろじろ眺めまわす敬二は、俺たちのことがわかっていないみたいだった。もしかしたらとてもよく似た別人なんじゃないか、そんなあがきのような疑問がわく。俺の理性が必死で目の前の現実を否定しようとする。
敬二がまた一歩、前に出る。無意識に俺は後ずさった。
「だれ? おれの知り合い?」
「……俺たちが、わからないのか」
声が裏返ってしまう。あと数歩で触れられるという距離までやってくると、敬二は肩をすくめた。
「ピーター!」
子供の一人が、敬二に向かってそう呼ぶ。敬二が片手をすっと挙げるとざわめきがやんで、規律正しく子供たちは整列した。
舐めまわすような視線を俺たちに向けたあと、敬二は仲間を振り返った。
「先行ってろ、あとで追いつくから!」
敬二が叫ぶと、子供たちは戸惑った表情を見せながらも、異論をあげることなく陽気な行進を再開した。振り向きもせずに、ずんずん先をゆく。
かったるそうに頭の後ろをかきながら、敬二はポケットからなにか真っ赤な実をとりだした。
「敬二か。……久しぶりに呼ばれたな、その名前」
齧りついてうまそうに汁をすする様子に、忘れていた咽喉の渇きを思い出す。
「なに、あんたたち、おれの友達?」
「と、友達っていうか……」
「まあいいや。どうせ言われても、覚えてないし。悪いね」
皮を残して全部食べ終わると、敬二はひょいっとそれを投げ捨て、指についた果汁をなめた。俺にもくれないか、思わずそう頼みそうになったけれど、今はそんな場合じゃない。言葉を失っていると、敬二は俺たちをちろりと見た。
「あんたたち、新入りだね。いつここに来たの?」
「ここって……公園に、ってことか」
「だから、【ここ】だよ。もうだいたい察しはついてるんでしょ?」
なにも答えられない。その先を聞いてはいけないような気がしたけれど、逃げられない。敬二の言うとおり、俺たちにはもう――察しがついている。
敬二は意地悪く、唇のはしっこで笑う。
「ここは死者の国だ。さっきのあいつらも、おれも、みんなとっくに死んじゃってる。生きてる奴なんてどこにもいない」
楽しそうに、歌うように敬二が話す。汐織を気にする余裕もなかった。全身を貫かれたように、冷たいものが頭のてっぺんから突き刺さったような感覚だけが、あった。
意地悪く、そしてどこか無邪気な敬二は、誰かに似ていた。さっきの子供たちの姿が再び、脳裏に浮かぶ。これは、そうだ、この光景は――。
「ようこそ、ネバーランドへ」
自分を正義と疑わない、自由奔放でそれゆえ残酷な永遠の少年。そんな少年とたわむれ一生遊び続ける迷子たち。
すべてが似ていた。それはピーター・パンの世界に生きる、子供たちの姿と同じだった。
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