第7話 エリオスという息子


 リリアーノの胸中は、困惑一色であった。


 我が愛する息子、エリオスが【神の子】ではないのかと、司教の口から告げられたのだ。


 かの者よりも説得力ある者はそういない。

 それに何より自分の眼でも、魔力水晶が粉砕される光景を目撃したのである。

 規格外の能力を持つことは疑いようがなかった。


 魔力鑑定の儀に用いられる水晶は、竜の心臓から造られたものであり、規格外なほどの魔力耐久力を持つ。


 それをまさに木っ端微塵にしてしまうほどの魔力ということならば、神の子であると言われてもなんら不思議ではない。


 だが、はいそうですかと受け入れられるわけでもなかった。


 聖堂の別室にてエリオスの聴取を待つ間にも、未だリリアーノは困惑を拭いきれていなかった。


「エリィが、神の子だなんて…」


「あぁ、どうやらトンデモナイ子だったみたいだな。間違いなく歴代のクルヴィートの人間の中で……いや人類史上でも最も強い魔力の持ち主だ」


 ルーカスが感嘆混じりでそう言う。


 クルヴィートといえば、数ある貴族の中でも指折りの魔力強者の家系だ。

 

 その中でも飛び抜けて強い魔力であろうことは、その手に疎いリリアーノをもってしても理解できた。


「きっと、ものすごい傑物に育ってくれるぞ。今から将来が楽しみだ」


「…そう、だけど」


 わっはっはと豪快に笑うルーカスとは対照に、リリアーノの表情は明るくない。

 といってもルーカスとて余裕があるわけでもなかった。つまりは空元気というモノだった。


「もし、何か悪い人に狙われたりでもしたら…」


 リリアーノは、規格外の力は持ち主を滅ぼすということを知っている。

 この魔力強者の家に嫁ぐにあたって、そのような人間は何人も見てきた。


 さりとて、ルーカスもそれを知らないわけがない。


「あぁ。だから、俺たちで守ってやるんだ。大丈夫、長男ソールだって一時は大変だったけど、今は立派な魔法使いじゃないか」


 ソール、エリオスの前の息子。

 彼も…と言っていいのかはわからないが、荒れていた時期があり、未来に不安が伴っていたこともあった。


 しかし今はちゃんと自立して頑張っている。

 だからエリオスも大丈夫。


 ルーカスの意見はあくまで前向きだった。


「…そうね」


 彼の言葉のおかげか、少しだけリリアーノの強張りが緩む。


「また、リリィには迷惑かけちまうが…」


「いいのよ。貴方は私たちを…民を、ちゃんと守ってくれればいいから」


 寄り添いあって、決意をお互いに確認しあう。


 その時に。



「伯爵夫妻、少しよろしいですか」


 扉が開き、何か紙束を脇に抱えた司教がやってくる。

 微妙に渋い顔をしているが、それがいつもの仏頂面であるのか見分けがつかない。


「司教様っ。エリィは…エリオスは本当に神の子なのですか?!」


「…それについてもお話しさせていただきますゆえ、ひとまず落ち着いてください」


 未だ不安はぬぐい切れていなかったのか、立ち上がって迫るリリアーノを司教はたしなめる。


 ルーカスに手を引かれてソファに腰を下ろし、司教もその前に座ったところで、話は始まった。


「まず端的に申しますと……、エリオス様が神の子なのか、という質問にはどちらとも断言できません」


 実に曖昧な回答に、夫妻は釈然としないという様子だが、司教は話を続ける。


「今までに神の子とされてきた者たちには、何かしらの欠陥が生じています」


「欠陥…?」


「はい。例えば、隻腕であるとか、視える色が異なる、だとか。先天的に欠けた者が全てなのです」


「じゃあ、エリオスは違うということではないのか?あいつは五体満足だし、眼に何かあるというわけでもない」


 ルーカスの問いはもっともであったが、しかし問題はそう簡単ではない。


「おっしゃる通り、エリオス様は特別、身体的な欠陥は見られません。…ですが、精神面のほうで少し異常が存在している可能性があります」


 どきりと、リリアーノの胸にその言葉が刺さる。

 そんなわけがないと真っ向から否定ができなかった。


「今までに、何か兆候は見られませんでしたか?」


「兆候は…」


 心当たりは、あった。


 赤子の頃からあまり泣かない子だと、侍女から聞いていた。

 乳をやる時も便を処理するときも、ほとんど涙を見せることはなかったのである。


 その頃はまだ、病気ではないということもあって、手のかからない子と納得できていた。


 が、しばらくたって、エリオスの異常ともいえる部分は見えてきた。


 毎晩、何かうわ言のようなものを発するのだ。


 まだ言葉を習得していないゆえなのかと思っていたが、よく聞いてみると、どうにも明確な意味があると感じられてしまう。


 身をよじって呻くようなときも、涙を流すようなときもあった。

 逆に言えば、その時くらいしかエリオスの涙は見たことがなかった。


 立って歩けるようになったころには、家の書斎に引きこもり、何やらまたぶつぶつ言いながら、幼児には到底難しいであろう本を読みふけっている。


 それが欠陥といえるのかはわからないが、確かにではあった。



「…なるほど」


「…」


 リリアーノの言葉を受け、司教は瞑目して言葉に逡巡し、ルーカスはなんともいいえない微妙な顔をした。

 

 貴族の仕事があるとはいえ、息子の状態を知らなかったことに、後ろめたさを感じたのである。


「たしかに、なんらかの異常性は抱えているようですが…やはり、彼が神の子であるかは判断できかねます」


 司教は言葉を続ける。


「ですから、そうですね。ひとまずは様子を見ることにしましょう。もし神の子であるならば、何らかの使命を請け負っているはずゆえ、いずれ目立った行動をとるかもしれません」


 司教はふたりのことを見ながらそう言った。



 神の子は、天より使わされし者としばしば言われる。


 世界を脅かす魔物や人物を滅するため、あるいは更なる発展へと導く叡智を授けるため、などなど、今まで神の子とされた人物はいずれにせよ世界に大きな変革をもたらしている。


 エリオスがもしそのひとりならば、いずれそういった変革をもたらす行動をとるはずだ、ということだろう。


「クルヴィート伯爵夫妻には、どうかエリオス様の監視…というと拘束的ですが、できるだけ見守れる場所にいてください。お二人だけとはいいません、従者をつけるだとか、行動を把握できるようにしてください」


 もし、エリオスが使命をもって行動した時のために。


「そして、おそらくエリオス様の力を求めて不届き者が現れるかと思われますが、できるだけ、そのような輩からは護っていただきたい。使命が曲がってしまわぬように、


 最後の言葉に、ふたりは真剣な顔になる。


 エリオスを、あの大いなる力で世界を脅かす存在にはしてはいけない。


 親として当然のことを言われているようだが、逆に考えれば世界を左右しうることを任されているともいえる。


「隔離して育てるという意見もあるでしょうが、やはり親が身近にいた方がよろしい。エリオス様を守れるのはあなた方ですから」


「……はいっ」

「わかった」


 神の子なのかはわからない。


 だが確かに言えるのは、エリオスが我らが息子であるということ。

 それだけで護る理由は十分である。


 クルヴィートを率いる当主と、その妻は、今ここに決意を新たにした。

 


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