第2話「ようこそ、ガルセイアへ」

 ――異世界への扉をくぐると、そこは空の上でした。


「おわああああああああああああ!?」


 川に飛び込んだはずなのに、なんで空から落っこちてんだよ⁉

 山よりも雲よりも高い地点から、パラシュート無しのスカイダイビング。

 周囲を見渡せば幻想的な世界が広がっているのだが、のんびり眺めている余裕はまったくない。

 俺は脇に抱えた犬を問い詰める。


「メルコお前どうなってんだよこれ!?」

「どうやら魔力が足りなくて転移座標が狂ったようじゃな。ワハハ」

「笑ってる場合か! このままじゃペチャンコだぞ⁉」

「そう慌てるでないカズヤよ。忘れたか? 我は第三十五代魔王、メル・クゥ・マルコシアスじゃぞ。この程度のアクシデント、タンスに小指をぶつけた程度のものよ」

「結構イテェだろそれ……ってだからそんなこと言ってる場合じゃねえって! いいから早く何とかしてくれ!」

「だから喚くなと言うに……まあよい。カズヤよ、しっかり我を抱いておくのじゃぞ。過って落ちては拾えんからの」

「もうすでに落ちてるだろ……って、な、何だあ!?」


 突然、メルコの体が膨らみ始めた。

 どんどん膨らんで、まるで巨大な風船のようになった。

 メルコは俺を乗せたままふよふよと浮いて、そのまま少しづつ降下していく。


「め、メルコお前……実はポメラニアンじゃなくてモンスターだったのか?」

「誰が魔物モンスターじゃ! これは我の魔法で体を膨らませておるのじゃ。文句があるなら、お主だけ先に地面に送り届けてやってもよいのじゃぞ」

「じょ、冗談。冗談だから、それだけは勘弁してくれ……」

「うむ。わかればよいのじゃ。それより見よカズヤ。これが我らの世界……ガルセイアの大地じゃ」


 言われ顔を上げると、そこには幻想的な風景が広がっていた。

 まず最初に目に入るのは大きな河だ。海なんじゃないかと疑ってしまうほどデカい大河が、地上の陸地を左右に二分している。

 左を見れば豊かな森が広がっていて、その森のさらに向こうに大きな城が見える。

 右を見れば果てしなく続く荒野の先に、噴煙を上げる火山が目に入る。

 他にも燃え盛る沼地や、雪の降る砂漠のような場所まである。

 まさしくゲームのワールドマップのような光景に、俺はガラにもなく興奮した。


「うおおおおおおおおお! これがガルセイアか……!」

「ワッハッハ。どうじゃどうじゃ、すごいじゃろう」

「あぁ、なんでお前が偉そうなのかはわからねえけど、こいつはたしかにすげえ!」


 空飛ぶ翼竜も、地上を駆け回る恐竜みたいな生き物も、何もかもが空想的だ。

 なんだ、あのクソでかいキリンみたいなヤツは。めちゃくちゃ気になる。もっと近くで見てみてえ!

 このままゆっくり異世界観光も悪くないか、とちょっと本気で思ってしまった。


「なあメルコ、俺たちこれからどこに行くんだ?」

「まずは北に見える境界の町、ボーダニアを目指す。そこで聞き込みをし、封印された余の体の情報を集めるのじゃ」

「……あそこか? 立派な城壁じゃねえか。この辺りからだと、そこそこ距離がありそうだな」

「地上に降りてから歩いてでも陽が落ちるまでには着くじゃろう。地上に着くまでの間、しばしこの景色を楽しんでおるがよい」

「あぁ、そうさせてもら……いや、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないかもしれねえぞ」

「なんじゃと?」


 高高度の空の上で、何かの鳴き声が耳に届いた。

 北東の空に見えていた数匹の翼竜たちが、徐々にこっちに近づいて来る。

 突然現れた空に浮かぶ奇妙な物体を警戒しているのだろうか、翼竜たちが何かを知らせるように大声で鳴くと、周囲からさらに多くの翼竜が集まってくる。

 もしかしなくてもマズイんじゃねえか、これ。


「ギャアアアアス――ッ!」

「なんじゃこ奴ら!?」


 翼竜たちは風船状態のメルコを見て威嚇するように周囲を旋回する。

 どうやらメルコのことを敵だと認識したらしい。

 メルコの体をクチバシで突っついたり、鉤爪で引っ掻いたりし始めた。


「いたっ! イタタタタっ! お、お前たち、余を誰だと思うておる! 第三十五代魔王、“氷炎の黒狼”メル・クゥ・マルコシアスじゃぞ!」

「自己紹介してる場合か! お前が痛がるたびに揺れて……落ちっ、落ちちまう!!」


 翼竜は自分より大きなメルコの反撃を警戒しているのか、ヒット&アウェイを繰り返す。

 おかげで大した傷を付けられてはいない。

 でも、空の上でこいつらの攻撃から身を守る手段がない。


「おいメルコ! 魔法で追っ払うとかできないのかよ!?」

「できたらすでにやっておるわ! この状態では他の魔法を使うことができんのじゃ!」

「じゃあもう少しだけ辛抱しろ! あと少しで地上だ。それまでは絶対に魔法を解くなよ! いいな、絶対だぞ!」

「言われずともわかって――」


「ギャギャアアアアアアアス――ッ!」


 その時、一匹の翼竜が勢いをつけてメルコに体当たりした。

 どんっ、という音と共にぐらりと体が斜めに傾く。


「やばっ……!」


 俺は滑り落ちそうになって、とっさにメルコの毛を掴んで耐えた。

 ……だが。


 ――ぶちっ。


「え?」


 所詮は犬の体毛。蜘蛛の糸よりも細く小さな命綱だった。

 メルコの毛は俺の体重を支えきれなかった。

 俺は丸っこいメルコの体を滑り落ち、ものの見事に空中へと放り出された。


「結局こうなるのかよおおおおおおおおおお!?」


 再びやってくる浮遊感と耳を通り過ぎる風切音。

 空気抵抗に押し返されながらも、凄まじい勢いで地面が近づく。


「カズヤあああああああああああ!?」


 メルコの叫び声を聞きながら、俺はどこかの山の木々の中に突っ込んだ。

 無我夢中で体を丸めて頭を守る。何本もの枝をクッションにして勢いを殺すが、それでも落下の勢いは止まらない。


 ――あぁ、これはさすがに死んだかも。


 なんて嫌な想像が頭を過ぎった瞬間、俺の体は灰色の何かに衝突してボヨンっ、と跳ねた。

 トランポリンのように宙を舞い、そのまま地面にべちゃりと叩きつけられる。


「ぐえっ! 痛ってえ…………は、ははっ。なんか生きてら」


 多少の打ち身や切り傷はあるが、骨は折れていないようだ。

 あの高さから落ちてこの程度で済んだのは奇跡としか言いようがない。

 あと数センチ落下位置がずれていたらどうなっていたことか。

 考えただけでゾッとする。


「……そういえば、さっきの灰色のヤツは一体……」


 一瞬だけ視認できたそれは、とても見覚えのあるシルエットだったような気がする。

 俺はおそるおそる振り返る。

 するとそこには見たこともない巨大な灰色の毛の熊が、血走った目でこっちをにらんでいた。


「グルルルゥ……!」

「あー……もしかして、寝てた?」

「グォオオオオオオオオオオオンッ!!」


 これはおそらく肯定の雄叫びだ。

 どうやら、俺はそこでちょうど眠っていた熊の上に落ちてしまったらしい。

 いやいや、そんなのマジで奇跡じゃねえか。

 自分の幸運っぷりに驚き苦笑する。

 灰色毛の巨大熊は安眠を邪魔した外敵……つまり俺を始末しようと、その太い腕を振り上げた。


「ちょっ、タンマ! うおぉああああ⁉」


 問答無用で襲い来る黒い爪を間一髪のところで回避する。

 背後にあった大木の幹が半分以上抉られ、あっさりと木が倒れてしまう。


「おいおいおいっ、シャレになってねえぞ⁉」


 立ち上がった巨大熊の体長は、ゆうに三メートルを超えている。

 体の奇妙な模様に、異様に尖った赤黒い爪、おまけに変な形の耳……こんな熊、見たことねえ。

 激昂した熊の鋭い眼光が、俺の心に突き刺さる。

 無意識のうちに足がすくんだ。手が震えて拳もうまく握れない。

 生物としての格の違いを実感する。

 勝てない。ただの人間が生身で熊に勝てるワケがない。

 ここはどうにかしてうまく逃げるしか……。


「……いや、ダメだ」


相手は熊だ。これがこの世界の動物だとして、能力もおそらく熊と同じかそれ以上と考えたほうがいい。体重は余裕で数百キロを超えるだろうし、その気になれば車と同じくらいの速さで走れるはず。

もし今背を向けて走り出そうものなら、すぐに追いつかれて背中から爪でバッサリだ。


「すぅー……はぁー……」


 深呼吸。落ち着け。ビビるな。前を向け。敵を視ろ。

 たしかにこの熊は狂暴で規格外の大きさだが、それでも熊だ。

 熊にだって弱点が存在する。

 そこを狙えば、助かる可能性はある。

 そのために――。


「どうした、掛かって来いよクマ公! なんならもっかいお昼寝しとくか⁉」

「グオォオオオオオオオオオッ!!」


 煽られた熊が、再び右腕を振り上げた。言葉はわからなくても、おちょくられていると本能で理解したのだ。

 俺は熊に向かって全力で駆け出した。

 こいつの巨体から繰り出されるパワーはたしかにすごいが、その分スピードは遅い。


「――ふっ!」


 走りながらさらに限界まで身を屈めることで、迫る凶悪な爪を回避する。

 腕を振り下ろした熊はやや前傾姿勢となり、頭が少し降りてくる。

 この距離ならギリギリ拳が届く。

 狙うは顔面――ど真ん中の鼻!


「喰らいやがれぇえええッ!」


 ――ドパァンッ!!


 俺の渾身の右の拳が熊の鼻っ面に直撃した。

 痛快な打撃音を響かせて、


「………………………………は?」


 もう一度言おう。

 

 それはもう、具体的な表現をさけたくなるくらい、ぐちゃぐちゃに。

 頭を失った熊の体は、そのまま前のめりに地面に倒れてぴくりとも動かなくなった。


「な、なんだこりゃあ……? お、俺、いま普通に殴っただけのはずだよな?」


 殴っただけ……そう、ただ思いっきり殴っただけ。なのにまるで至近距離でショットガンでもぶっ放したみたいに、熊の頭は跡形もなく消し飛んでしまった。

 こんなこと普通はありえない。


「それが余がお主に与えた権能の力じゃ」

「メルコ⁉」


 空の上からようやくメルコが地上へと降り立った。

 メルコは倒れた熊を見ながら、どこか誇らしげに言う。


「ほう、グリード・グリズリーか。全身が分厚い脂肪と筋肉で覆われた狂暴な魔獣じゃが、お主の敵ではなかったようじゃな。さすが、余が見込んだ男じゃ」

「ま、待ってくれメルコ。なんなんだよ、その〈魔王権能イヴィル・マークス〉ってのは……?」

「なんじゃ、もう忘れてしまったのか。最初に言ったはずじゃぞ。余と契約すれば、魔王の権能の一部を譲渡すると。それが、今お主の中にある力、〈魔王権能〉じゃ」

「〈魔王権能〉……」


 そういえば、たしか俺の特性がどうとかって言ってたな。


「お主の特性に合わせたお主だけの権能が発現したのじゃ。その証拠に、右腕に余の力の象徴を表すアザがあるはずじゃ」

「……そういや、さっきから右肩が妙に熱いような……うわ、マジか……」


 袖をまくると、右肩に何やら狼のようなアザが刻まれている。

 タトゥーは趣味じゃないんだが……。


「どれ、余がお主の権能を読み取ってやろう。……ふむふむ、なるほどなるほど。ほう、これは面白い!」

「なんだよ。もったいぶってないでさっさと教えろよ」

「よかろう。では、心して聞くがいい。お主の権能は――『握力EX』じゃ!」

「…………は?」


 あくりょく? ……アクリョクって、あの握力のことか?


「なんだよそのクッッッソ地味な能力は……」

「何を言うか! ランクEXの権能は滅多に発現せんのじゃぞ⁉」

「そ、そんなにすごいもんなのか?」

「当然じゃ。歴代の魔王の中でも数えるほどしかおらぬ、才ある者の証じゃ」

「へぇー……」


 まったく実感が湧かない。

 なによりも名前がダサい。ダサすぎる。

 なんだよ〈握力EX〉って。握力が強くなるのか? いや握力が強くなったからどうだってんだよ。


「単純な疑問なんだが、〈握力EX〉とさっきのパンチの威力にどんな関係があるんだ? 俺は本当にただ殴っただけで、握り潰したりしたワケじゃないぞ」

「おそらくじゃが、お主の拳が強化されたのではないか?」

「握った拳って……ま、まさかそれだけの理由で、あんなトンデモねえパワーになったってのか?」


 メルコは尻尾を振って頷いた。


「〈魔王権能〉の力には制限がない。名に縛られることなく力の解釈を広げることで、余のような多彩で強大な魔王が生まれてきたのだ」

「……お前が多彩で強大かどうかはさておくとして――」


 さておくでない、と怒るメルコを放置して、俺は自分の右手をまじまじと見つめる。

 ……〈握力EX〉ねぇ。

 握った拳の威力が上がるというと、なんだかとてもゲームっぽいが、おそらくこの力の真髄はもっと別の何かだ。ダサい名前に目をつむれば、なんだか面白い使い方ができそうな気がしてくる。

 でも今はそんなことよりも……。


「この力を抑える方法はないのか? 俺が〈魔王権能〉を持ってるのが他のヤツにバレちまうのはマズいだろ」

「大丈夫じゃ。その力はすでにお主のもの。お主の意志で自由にコントロールできるうはず。そのためにまずはしっかりと己の力を自覚するのじゃ」

「自覚するって、具体的には?」

「お主が力を抑えたいと強く望めば自ずと力は引っ込む。スイッチのオンオフを切り替えるような感覚でもよいのじゃ」


 なるほど。魔王の力だろうがなんだろうが、今は俺の中にある俺の力。自分で操れなくてどうするって話だ。

 呼吸を整え、精神を落ち着かせる。

 力を内側に留めつつ、必要な時にだけ引っ張り出す……そんなイメージを頭の中で描いてみる。

 高揚した気分が鎮まるにつれて、身体の熱が徐々に冷めていく。

 やがて完全にいつもの調子を取り戻すと、右肩のアザも綺麗さっぱり消えた。


「ふぅ……よし、こんなもんか」

「ほう、これはまた」


(綺麗に魔力が凪いでおる。今まで魔力に触れたことすらなかったはず……なんという魔力操作のセンスじゃ。やはり余の目に狂いはなかった。お主は類稀なる逸材じゃよ、カズヤ)


メルコはなぜか俺のことを見て、うんうんと首を縦に振りながら一緒に尻尾を左右に振っていた。

かわいい。


「ところで、こいつはどうする。このままにしてて大丈夫なのか?」

「うーむ、グリード・グリズリーの毛皮と爪はそれなりに高く売れるが、今は剥ぎ取るための道具もないし、持ち運ぶすべもない。このまま放置するしかないのう」

「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃないんだが……」

「なあに、そのうちすぐに他の魔獣の餌にでもなるじゃろ。それが自然の摂理というものじゃ」


 結局、この世は弱肉強食。

 たとえどんなに強い魔獣でも、死んだら他の魔獣の餌になるだけ。

 それでも――この命を奪ったのは俺だ。

 一つのケジメとして、俺は首なしの死体に両手を合わせた。


「そんなことより、さっさと町に向けて出発するのじゃ。夜までに着かねば野宿するはめになってしまうぞ。余は別にそれでも構わぬのだが」

「バカ、俺が構うわ。犬と一緒にすんな」

「そこで余を犬扱いするでないわ!」

「少なくとも二年は犬として生きてきたんだろ? だったらもう犬でいいじゃねえか」

「確かに体は犬じゃが、魂は魔の上位存在なのじゃ! お主よりもよっぽど高貴な生命なのじゃぞ。ほれ、頭が高い。もっと頭を下げるがいいのじゃ」

「これ以上下げたらもうただの土下座じゃねえか」

「おお、よくわかったのう。なかなか賢いではないかカズヤ。褒美に余を撫でる権利をやるのじゃ」

「なんだテメェ、ケンカ売ってんのかこらァ!!」

「お主が先に余を蔑んだのじゃろうが!!」


 俺とメルコは互いに罵り合いながら、獣道を歩き山を下りる。

 目指すは境界の町ボーダニア。

 はたして、陽が落ちるまでに町へ辿り着くことはできるのだろうか――。


「――で、町はどっちの方角にあるんだ?」

「あっちじゃよ――多分」

「はぁ、マジかよこの犬……」


 魔王復活への旅路は、まだ始まったばかりだ……ってか。

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