第3話「チュートリアルはスキップされました。」

 ガルセイアには四季がない。

 土地ごとの寒暖差は激しく、北は暑く、南は寒い。必然、人間たちの居住区域は大陸中央に集まった。

 各地にはその気候に適した種族が住むようになり、自然と住み分けるかたちとなった。

 そして、東と西とでは寒暖差以上に大きく異なる点があった。


 ――魔力だ。


 大気中の魔力濃度は西に行くほど薄く、東に行くほど濃くなるのだ。

 種族ごとに魔力に対する抵抗値は異なる。

 ゆえに、ガルセイアでは世界の中心を流れる大河……ヴィタール川を境界線として、西の大地が人間たちの領土、東の大地が魔族たちの領土だとされてきた。

 これらの取り決めは『人魔じんま不干渉協定』と呼ばれ、大昔に人間と魔族の間でのみ交わされた。

 そしてこの協定が、後の世に大きな禍根を残すこととなったのである。


  †


「……その話を聞く限りだと、別に悪いモノでもねえように聞こえるけどなあ」

「そうじゃな。互いに適した土地を分割するという理に適った協定じゃ。しかしそれは、土地の状態が何百年経っても変わらないものであればの話じゃ」

「あぁ、そういうことか……」


 無事に街道へ出られた俺たちは、ボーダニアを目指しすでに二時間以上歩きっぱなしだった。

 整備された街道は歩きやすく天気もいい。空気はうまいし風はおだやかで、まさに平和そのもの。

 だが、一つだけ問題があった。

 

 ――クッソ暇だ。

 

 上空から見えた幻想的な生物や異世界らしい不思議な植物なんかは、影も形も見えない。

 見渡す限り一面の草原に、ぽつぽつと木が生えて岩が適当に転がっているだけの何もない道を、ポメラニアンを連れてただひたすらに歩くだけ。

 ……犬の散歩かよ。

 誰かとすれ違うようなこともない。

 時折聞こえる鳥の声でさえ貴重なBGMに思えてくる。

 こんな状態でできることと言えば、雑談くらいしかなく。

 町に着くまでの暇つぶしとして、俺はメルコからこの世界の歴史について簡単に教わっているのだった。

 ちなみに、歩き疲れたメルコは俺の頭の上で一休み中だ。

 器用に頭に乗っかったまま、メルコは話を続ける。


「協定が結ばれたのは今から五百年以上も前の話じゃ。それだけの時間があれば、気候の変化や自然災害など、数え切れぬほどあったじゃろう。そして、それらの負債は得てして子孫たちが被ることになるものじゃ」

「だろうな」


 人間……というより、生き物は案外しぶといもんだ。

 俺は適当に相槌を打ってため息をついた。

 人と魔族の対立は、思ったよりもかなり複雑で根が深いらしい。

 もっと単純な異種族戦争を想像していただけに、正直コメントがしづらい。


「人間たちは嵐や洪水、飢饉、魔獣による被害に頭を悩まされた。対して魔族たちは吹雪や地割れ、魔力濃度の低下に苦しむこととなったのじゃ」

「魔力が少なくなったってことか? つーか、魔族にとって魔力って生きる上で必要不可欠なもんなのか? ほら、ゲームとかだとMPとか精神力みたいな扱いだったりするじゃねえか」

「絶対ではないが、ほとんどの種族が魔力を命の糧としておる。人間たちと同じように水や食料を摂取することで栄養を得ている種族もおるが、まあこの辺はよりけりじゃな。ただ、どうしても食料にだけ頼るワケにはいかない事情があったのじゃ」

「なんだよ、その事情って」

「東の土地の魔力濃度ではまともな動植物が育たなかったのじゃ。限られた一部の土地の生産量だけでは、日常的に必要な分の水や食料を確保することは現実的ではなかったのじゃ」

「なるほどな。そりゃ領土侵攻でもなんでもするしかなくなるわな」


当時の魔族にはきっと、何も育たない大地を捨てる以外に選択肢はなかったんだ。

その土地で生きていくことを選んだのは他でもない彼らの先祖だが、彼らが望んだわけじゃない。

捨てることに、ためらいはなかったかもしれないな。


「結局、魔族側が一方的に『人魔不可侵協定』を反故にし、侵略を始めてしまった。これが、今よりおよそ二百年ほど前の話……先代の魔王グァープによる西方侵略じゃ。たしか人間たちは『ヴィタール川防衛戦』と呼んでおったか」

「はぁー……どこの世界でもやってることは一緒だな」


 生きるために必要なものがなくなったら、どうすればいいか。

 簡単だ。奪えばいい。

 ときには騙し、ときには力づくで。

 そうやって欲しいものを手に入れ続けるのだ。

 奪われる側の事情など、誰も気にも留めないのだから。


「……余は好かん。一度は協定を結び、互いの言い分を尊重し、同じ世界で生きる命として認めることができていた。なのに、今は真っ先に武器を手に取ってしまう。余はそれが、酷く悲しかった……」

「…………」


 正直、驚いた。

 まさか自称魔王の口からこんな言葉が出てくるとは。

 メルコに対する認識を少し改めて、俺はより真剣に耳を傾けた。


「この戦争でグァープは死に、余が次代の魔王として君臨した。魔王の力を手にした余はすぐに侵略を止めさせ、人間たちとの交渉の場を設けた。同胞たちからは批判の声が多く上がって……余に反旗を翻す者たちまで現れた」

「おいおい、戦争が終わったと思ったら今度は反乱かよ」

「それだけ余が嘗められておったということじゃ。魔族の序列は力がすべて。余が魔王として認められるには、力を示すほかなかった」


 ――だから、魔王の意に背く者たちを排除した。


 メルコは口にこそしなかったが、俺にはなんとなくわかってしまった。

 それは力を持つがゆえの苦悩。

 奪う側が背負う、命の重さだ。


「格の違いを教えてやる必要があったってワケだ。いいじゃねえか。それで逆らうヤツが居なくなりゃ統治もしやすいだろ」

「何が良いものか――!」


 メルコが喉を震わせて唸った。

 前足でベシベシと俺の頭を叩きながら、自身の無念を吐露する。


「戦争が嫌じゃから魔王になったというのに、余の最初の仕事は同胞たちをこの力で打ち負かすことだったのじゃぞ? こんなおかしな話があるものか!」


 人間との交渉を望んでおきながら、自分は力で仲間を黙らせてたワケだ。

 身勝手な振る舞いのようにも聞こえるが、俺はそうは思わない。


「お前はお前が使えるものを使っただけだろ。そこに意味なんてない。重要なのは、お前がその力のおかげで魔王として認められたことで、目指す理想に一歩近づいたってことだけだ。違うか?」

「……その通りじゃ。余は余が掲げる理想のために、使えるものはすべて使った。その結果に後悔はしておらん」

「ならもっと胸を張れって。そんなんじゃ魔王の威厳が台無しだぜ」


 俺はお返しと言わんばかりに、メルコの体をベシベシと叩いた。

 メルコは苦笑いしながらも、少しだけ吹っ切れた様子だ。


「戦争は終わったし、仲間たちにも魔王としてちゃんと認められた。これで万事解決……」

「――とはなっておらぬから、余が今ここにおるのじゃよ」

「だよなあ……」


 そう、これで話が終わるのであればメルコはここにいないし、ましてやポメラニアンに転生なんてしていない。

 親人間派の魔王として人間たちとの対話を目指すメルコは、恐らくこれから世界が平和に向かうであろうこのタイミングで――。


 ――勇者に殺されてしまう。                                                                                                                                                                                                                                       


 勇者とは、いったい何者なのだろう。

 メルコを殺した人間で、実質この世界で最強の存在と言っていい。

 俺たちの旅の障害になり得る存在であり、俺がこの世界に来た目的の半分でもある。

 そして何より、メルコの元の体をバラバラにした張本人だ。

 メルコの体をどこに封印したのか、勇者に直接問い質すのが一番手っ取り早いのだが、正直に教えてくれるはずもないし……。


「……待った。おかしくないか?」


 ――封印? 


 普通逆だろ。

 殺せないから封印するんだ。殺せるんなら封印する必要なんてないはずだ。

 なんで封印なんかする必要があるんだ? 

 転生されないようにしたとか? ……いや、それもおかしい。転生されてしまうことがわかっていたんなら、殺す前に封印してしまえばいいんだから。

 転生ってのは、要は生まれ変わることだ。そのためには一度死ななければいけないはずで、わざわざ殺してから封印するなんてのはリスクでしかない。

 魔王を殺した後、バラバラに解体してから封印したのにも何か別の理由があったはずだ。

 メルコも知らないような、何か深い理由が――。


「どうかしたか、カズヤ?」

「……なあメルコ。もしかしてお前を殺した勇者って――」


 ――実はものすごく、悪いヤツなんじゃないのか。


 そう尋ねようとした……その時。


「きゃああああああああああああああああああっ!」


 突然、どこからか女性の悲鳴が響いた。


「なんだ、今の悲鳴?」

「どうやらこの街道の先からのようじゃ」

「チッ――走るぞ」


 俺は言いかけた言葉がなんだったのかも忘れて、一目散に駆け出した。

 街道から外れ最短距離で声のしたほうへ突っ走る。

 小高い丘を越えると、見下ろした道の先で馬車が謎の集団に襲われていた。

 見るからに野蛮そうな男たちが剣を手に、馬車の御者らしき人を脅している。

 その傍らでは、女性が捕まり人質にされているようだ。

 こんな真昼間の道沿いでやることかよ。

 俺は唾を吐き捨てて、ぐるぐると肩を回す。


「メルコ、お前はどっかその辺に隠れてろ」

「どうするつもりじゃ?」

「決まってんだろ。あんな胸糞わりいマネ、黙って見過ごせるかっての――!」

「なっ、おい! 待たんかカズヤ⁉」


 俺はメルコをその場に一人……いや、一匹残して、弾むように地を蹴った。

 不謹慎だと頭ではわかっているのだが、まるで人助けを兼ねたチュートリアルのようだな、と思った。

 気分が高揚する。

 どうやら俺は少し浮かれてしまっているらしい。

 まるで思春期の男子のように、はやる気持ちが抑えられない。


「ははっ、ははははは――ッ!」


 ついには笑い声をあげながら、俺は自ら騒動の渦中へと飛び込んでいく。


  †


 ――あぁ。今日はなんて日だ。


 ようやく王都へ向かう準備が整ったというのに、道中で積み荷が崩れるわ、馬が機嫌を損ねるわ……本当にツイていない。

 わかっている。どれもこれも自分がもっと念入りに準備して、注意深く立ち回っていれば起きなかったことだ。

 自分の行いを棚に上げて責任転嫁するなんて、商人として恥ずべきことだ。

 ……だが、これは違う。

 今度ばかりは、本当にツイていないかった。


「いやっ……放して!」

「ヨハンナ!」

「へっ、大人しくしてな。あとでたっぷり可愛がってやるからよ」


 小太りな中年男の下卑た声が妻に向けられる。

 内臓がひっくり返りそうなほどの嫌悪感と怒りが込み上げてくる。


「ヨハンナを放せ!」

「うっせぇなあ……せっかく後回しにしてやったってのに、そんなに先に死にてえのか?」

「おい、まだ殺すなよ。そいつには金目の荷を選別させるんだから。――ほら、嫁さんが殺されたくなきゃさっさとしな。時間を掛けるんじゃねえぞ」

「ぐっ……!」


 十人以上の集団で突然進路と退路を塞いだと思えば、すぐにヨハンナを拘束した手際の良さ。

 そして、積み荷すべてを奪うのではなく、一部の高価な品のみを狙うこの特徴的な犯行。

 間違いない……こいつらが最近ちまたで噂の盗賊団だ。

 犯行を瞬時に終え、自分たちが居た痕跡も極力残さない。ゆえに、捕まえるのが最も困難な盗賊たちだと言われている。

 きっと奴らに従って荷を明け渡したところで、私はどうせ最後には殺されてしまうだろう。

 だが、そうしなければヨハンナの命が……いや、命を奪われるよりもっと悲惨なことになるかもしれない。

 私はヨハンナを見た。ヨハンナも私を見ていた。彼女の瞳には涙がたまっていた。

 なのに彼女は目が合った瞬間、小さく笑って頷いたのだ。


 ――あぁ、本当に。今日はなんてツイていないのか。


 彼女の覚悟に、応えないわけにはいかないじゃないか――。


「わかった。言うとおりにするから……だから妻には手を出さないでくれ」

「もちろん、手荒な真似はしない。お前が大人しく言うことを聞いている間はな」


 私は積み荷を下ろそうと馬車の後ろへと回り込んだ。

 そこで、護身用にと積んでいた剣を手に取り、男たちへと切りかかった。


「はああああっ!」

「おいおい、正気かよ。嫁さんがどうなってもいいのか?」


 無謀なことはわかっている。馬鹿なことをしている自覚もある。

 ――それでも。

 彼女が……大事な人が目の前で誰かに奪われるのを、黙って見過ごすなんてこと、私にはできない!


「ヨハンナに触るなぁああああ!」

「がははは! どこ狙ってやがる」


 私はただの商人だ。剣を扱うどころか、握った経験すらほとんどない。

 のろまな剣はかすりすらしない。剣の重さに振り回される私の姿を見て、男たちは笑っている。

 それでも、私は無我夢中で剣を振るった。ヨハンナへ手を伸ばすように、一歩ずつ踏み込んで、一歩ずつ彼女へと近づいた。

 だが、それもここまでだ。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


 何度か剣を振っただけで、私は体力を使い果たし、満足に剣を構えることさえできなくなってしまった。


「はー、笑った笑った。そんじゃあ、そろそろ死んどけや」

「ダメ……逃げてマリウス!」


 ……ごめんよ、ヨハンナ。こんな不甲斐ない私で、本当に申し訳ない。

 だからどうか、そんなに泣かないで欲しい。

 でも、そんな君の泣き顔も、私はとても綺麗だと……思ってしまうんだ。


 男が剣を振り上げた。

 冷たい刃が振り下ろされる、その瞬間が来るまで、私はヨハンナのことを見つめつづけた。

 ごめんよ、ヨハンナ。不甲斐ない亭主ですまない……。

 震えた唇では、言葉にはならなかった。

 最後に見るのが彼女の泣き顔なのは、ちょっとだけ心残りで、本当に心苦しかった……。


「どぉおおりゃぁあああああああああああああ!」

「なっ、なんだおま――ぐぅああああああっ⁉」


 だけど、その瞬間は訪れなかった。

 突如として、どこからか走ってやってきた少年が、男の顔面を殴り飛ばしたのだ。

 猛牛に跳ね飛ばされたかのような豪快な打撃音だった。

 殴られた男は顔面を半分凹ませたまま気絶した。


「よし、力は抑えられてるな。これでまともなケンカができる」

「き、君は一体……」

「俺はただの通りすがりだ。おっさんの方こそ大丈夫か?」

「あ、あぁ……私は平気だが……って、私なんかより妻が……っ!」

「大丈夫だって。俺に任せとけ」

「い、いやしかし……!」


 私を安心させるためか、少年は自信満々にそう言うとあどけなく笑った。

 ……かと思いきや、今度は鬼のような形相で、少年は盗賊団の男たちをにらみ付けた。

 指の関節を鳴らしながら、獲物を前に舌なめずりする獣のように、にやりと笑って。


「な、何者だテメェは⁉ まさか、そいつの用心棒か⁉」

「ちげーわ。俺はただの高校生だっつーの。んなことより、そんなモン使って女性を人質に取るなんて汚ねえマネしやがって……お前らの曲がったその性根、俺がぶち折ってやるよッ!!」

「ひっ――⁉」


 少年に気圧された男たちが後ずさる。

 剣を握った大の男たちが、素手の少年たった一人に恐れをなしている。

 そんな異様な光景に、さらに闖入者が現れた。


「ちょぉおおっと待ったああああああッ!」

「なっ、なんだおま――ぶぅへぇえああああああっ⁉」

「きゃっ――!」


 突如として、いつの間にかそこにいた枯草色のローブに身を包んだ何者かが、妻を人質に取った男の顔面を蹴り飛ばしたのだ。

 男は顔面を凹ませたまま地面を転がり、十数メートル先の木に激突して気絶した。

 謎の人物は解放された妻を抱き留め、目深に被っていたフードをまくり、高らかに宣言する。


「私が来たからにはもう大丈夫! 野盗だろうと何だろうと蹴散らしてあげるわ。だから後で気持ちばかりの報酬を頂戴な!」

「えっ、えぇっと……はい……?」

「ふふ、交渉成立ね。待ってて、こんなザコ共すぐに片付けてあげるから」


 月光を浴びたかのように鮮やかな銀色の髪が風になびく。整った顔立ちに、長く尖った特徴的な耳は、間違いなくエルフの特徴だ。

 どうしてエルフが一人でこんなところに? 本来北の森で暮らしている種族のはず。

 もしかして、先にやってきた少年の仲間なのだろうか……。


「誰だァお前? あとから出て来て人の獲物を横取りするんじゃねえよ!」


 違う。これは絶対に、断じて仲間などではない。

 ……ということは、盗賊団に襲われた私たちは偶然近くにいた彼らに、偶然助けられたということになるのか。

 この広い街道の真ん中で、それは奇跡と言っても過言ではないかもしれない。

 


 ――あぁ。もしかしたら今日はツイているのかもしれない。

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