ポメラニ・アンタッチャブル! ー動物好きのヤンキー、魔王権能『握力EX』で異世界の裏番になるー

春待みづき

第1話「真っ黒な運命との出会い」

 はじめて人を殴ったのは、五歳のときだった。


 母親を殴る酒臭い男の足を、何度も殴りつけた。

 もちろん、子どものひ弱な力で、大人にかなうはずがない。


「邪魔すんなクソガキがッ!」

「ぐぁっ……!」


 お返しとばかりに顔面を殴り返されて、左の頬がジンジンと熱くなった。

 これが本当の暴力だと言わんばかりの痛みと、口の中いっぱいに広がる血の味。

 子どもの頃の俺は、それだけで心を折られてしまった。

 俺は母親が殴られる様子を、ただ眺めていることしかできなかったのだ。


  †


 ――この世界は、力がすべてだ。


 世の中みんな『暴力はよくない』と口を揃えて言う。

 本当にそうか?

 正しいことに使われる力と悪いことに使われる力とで、何がどう違う。

 同じだ。力は力だ。

 力に伴うのは善悪なんかじゃない。

 

 ――勝つか負けるかだ。



「オラァッ!」

「ぐおっ……」


 だだっ広い草原が何百メートルも続いているような、とある河川敷の高架下。

 俺はいつものように見覚えのない他校の生徒に囲まれて、突然ケンカを吹っ掛けられていた。

 意気揚々と殴り掛かってきた男を踏みつけながら、俺は周囲を見回した。

 数はだいたい十人くらいか。まあ、どうせ全員ぶっ倒すから数える必要もねえか。


「何人集まろうがザコはザコだしな。一人じゃ怖いから保護者同伴って、情けないとは思わないのかねぇ」

「チッ――うっせぇんだよ死ねや折上おりがみ!」

「お前が死んどけ――ッ!」


 上級生と思われる男の拳をさらりとかわし、鳩尾みぞおちに拳をお見舞いする。


「ぐはぁ――っ!」

「体のデカさだけはいっちょ前っすね、先輩。もっと筋トレした方がいいっすよ。特にその、たるんだ腹筋とかさっ!」

「ぶっほぉ……!」


 ダメ押しに膝蹴りを腹に叩き込むと、大柄なだけのデクの坊はそのまま地面に倒れた。

 技術もクソもない体重を乗せただけの力任せなパンチだった。おまけにバランスの悪い体幹に貧弱な下半身。

 控えめに言ってただのデブだ。

 ケンカする前に痩せてちゃんと筋肉つけろ。


「お、お前ら何ぼーっとしてやがる! 囲んでボコボコにしてやれ!」

「おっせーんだよバーカ。やるなら最初からやれってンだ――オラッ!」


 一斉に襲いかかってくる男たちの攻撃をさばきながら、拳と蹴りを的確に叩き込む。

 一発重いのをお見舞いするだけであっさりと戦意喪失してしまう程度の連中に、俺が負ける道理はない。


「くそったれええええ!」


 こんなヤケクソ気味のヘナチョコパンチ、避けるまでもない。

 俺は一歩踏み込んで、拳を額で迎えに行く。


「なっ……⁉」

「――っと。かりいなあ。もっとしっかり踏み込んで腰入れろや、こうやってよォ!」

「ぐあっ……ちっ、くしょぉ……!」


 右の拳でガラ空きの脇腹を殴り付けると、メリメリと骨が軋む感触が返ってくる。

 殴られたら倍の力で殴り返す。

 蹴られたら倍の力で蹴り返す。

 そうやって格の違いを教えてやると、強面の連中はすぐに怖気付いた。

 歯ごたえがないにもほどがあるだろ。


「だ、ダメだ……やっぱりコイツ、バケモンだ!」

「だから俺はやめとけって言ったんだよ! も、もう付き合ってらんねえよ、あとは勝手にやってくれ!」


 一人が逃げ出すと、周りの連中も血相を変えて逃げ始めた。


「あ、おいテメーら待ちやがれ!」

「クソッ、覚えてやがれ折上! 次はゼッテー地面を舐めさせてやるからな!」

「あーはいはい。いいからとっとと失せろ。おい、ちゃんとそこでのびてるヤツらも連れて帰れよ」


 放課後に校門の近くで待ち伏せして、わざわざこんなところにまで連れて来たくせに、ものの数分で返り討ちとか……恥ずかしくねぇのかよアイツら。

 あまりにも時間の無駄すぎて、もはやため息も出ない。


「はあ。だりぃ……さっさと帰って動画でも見るか」


 ボーダーコリーの羊追いの動画、なぜか無限に見てられるんだよなぁ。

 なんの利益にもならないケンカを終えて、俺はその辺に放り投げたカバンを拾い上げた。

 その時――。


「いやー見事見事。お主、若い人間とは思えぬ剛腕っぷりじゃな!」


 どこからか、そんな褒め言葉が飛んできた。

 声の感じからして女だろうか。

 周囲を見渡してみるが、この広い河川敷には誰も居ない。


「誰だ……? 俺に言ってんのか?」

「お主以外に誰がおる。自分より大きな相手を一撃で昏倒させる腕力もさることながら、あれだけの数に囲まれて起きながら、臆することなく前に出るその胆力、実にあっぱれじゃ」

「そりゃどうも。で、そういうアンタは誰だ? どこにいやがる?」

「ここにおるではないか。下じゃ、下」

「下ァ……?」


 謎の言葉の指示通り下を見る。

 するとそこには、ふわふわの真っ黒な毛並みをした小さな犬がちょこんと座っていた。


「……ポメラニアン?」

「いかにも。かように愛らしい姿じゃろう」


 ポメラニアンの小さな口が動くのに合わせて、女性の声が耳に届く。

 信じらんねえ……。


「い、犬がしゃべってやがる!?」

「おっと、あまり驚いてくれるな。騒ぎになると余も少々面倒なのじゃ。喋る犬が珍しいのはわかるが、ここはひとつ、どうか余の話に耳を傾けて欲しい」


 いや、珍しいとかそういう問題じゃねえだろ……。

 首輪をしてるってことは、どうやら飼い犬のようだ。

 だからどうだという話ではあるのだが。


 偉そうに喋るポメラニアンは、前足を持ち上げてこほん、と器用に咳払いした。


「自己紹介がまだじゃったな。余は第三十五代目の魔王にして“氷炎の黒狼”、メル・クゥ・マルコシアス。お主、余の従者となってはくれまいか?」


 ま、魔王? こくろう? なんかのゲームの話か?

 従者って……え、俺が? ポメラニアンの?


「いやいやいや。何言ってんだお前。どこの世界に犬っころに付き従う人間がいるってんだ」

「だから余は魔王だと言うておろう。ゆえあって、此度はかような姿に転生してしまっただけじゃ。転生前の姿であれば、お主が直視するのもためらうようなナイスバディな美女だったのじゃぞ」

「犬の口からそんなこと言われても信じられるかよ。ていうかなんなんだよ、その転生したワケってのは?」


 俺の当然の疑問に、このポメラニアンはなぜか口ごもった。

 今までの威勢はどうしたのか、恥ずかしそうに尻尾を丸める。かわいい。


「……聞いても笑わぬか?」

「笑わねえよ。えーっと……メルコだっけ? お前が喋ってる以上に驚くこともねえしな」

「余の名前はメルコではない! メル・クゥ・マルコシアスだ!」

「なげぇんだよ、メルコでいいだろ。ポメラニアンっぽくていいじゃねえか」

「どういう理屈じゃ、まったく……」


 犬の姿のまま、メルコはため息をついた。

 俺はその場にどかっと座り、あぐらをかいて腕を組んだ。

 話を聞くときは、相手となるべく目線を合わせてやらねえとな。


「それで? 一体何があったんだ?」

「……余はとある者との戦いに敗れ、殺されてしまったのじゃ」

「魔王のくせに負けたのか。誰に負けたんだ?」

「…………勇者」

「――ぶっ」


 俺は秒で約束を破った。

 言いたくなさそうにしてるから何かと思えば、そういうことか。


「あははははっ! そうかそうか、魔王は勇者に負けちまったのか! そりゃ残念なこった!」

「お主、思いっきり笑っとるではないかッ!」


 怒ったメルコが毛並みを逆立てて牙を剥く。

 小さな体で威嚇するが、ちっとも怖くない。むしろかわいいくらいだ。


「わりぃわりぃ。それで? 勇者に負けた元魔王様はなんでまた犬になんて転生しちまったんだよ」

「別に余もなりたくてこの体に転生したワケではない。勇者に負けたときに、体をバラバラに切断されたあげく、丁寧に封印まで施されてしまってな……。おかげで転生魔法を起動するだけで精一杯で、転生先の体を悠長に選んでいる暇がなかったのじゃ」

「おぉ、やっぱ魔法とかあるんだな。さすが異世界」

「そういえば、この世界には魔法や魔術の類は存在しないんじゃったか。その分、科学力は異様な速度で発展を遂げているみたいじゃが……余から見れば、こちらの世界の方が恐ろしくて仕方ない」


 そりゃ隣の芝はなんとやら、って話だ。

 俺たちからすれば、魔法なんてファンタジーもいいところで。

 ましてや転生魔法ともなれば、全人類の夢みたいなもんだ。


「この世界に転生してはや二年。魔力も蓄え、元の世界へと帰還する手立ては整った。……だが、この姿のまま元の世界へ戻ったとて、勇者に復讐するどころか、魔獣どもの餌になるのが目に見えておる」

「そりゃあポメラニアンだしな。いや、でも魔法が使えるんだろ? 勇者に負けたとはいえ、魔王ならそれなりに強いんじゃないのかよ?」

「この体では溜め込める魔力量に限界がある。攻撃魔法なんぞ、数発放てばすぐに魔力が尽きてしまう。このままでは話にならん。どうにかして余の失った体を取り戻し、魔王として返り咲く必要があるのじゃ」


 メルコは小さな牙を見せてぐるるぅ、と唸った。

 なるほど。ようやく話が見えてきた。


「つまり、魔王として元の力を取り戻すまでの間、お前は俺にボディーガードとして、その異世界に付いて来て欲しい、と。そういうことでいいんだな?」

「その通りじゃ。どうか、余にお主の力を貸してはくれまいか……!」


 メルコは立ち上がって、興奮気味に尻尾を持ち上げた。

 いちいちかわいいのが腹立つなあ。撫でまわしてやろうか。


「もちろんタダでとは言わん! 余が魔王としての力を取り戻したあかつきには、お前をきちんとこの世界へと送り還すし、報酬として財宝も用意しよう」

「そりゃあなんとも魅力的な話だ。でも、俺はケンカにはそこそこ自信があるが、それでもただの人間だぞ。魔法なんて使えないし――」

「なあに、問題ない。お主が余の従者として契約を交わせば、余の権能の一部を譲渡することができる。その力さえあれば――お主は無敵じゃ」

「権能……?」


 聞きなれない言葉に、俺は首を傾げた。

 メルコはにやりと笑って、前足で器用に自分を指差した。


「魔王のみに許された特別な力、〈魔王権能イヴィル・マークス〉だ。力の内容は、お主自身の特性に由来するため、どのような力が発現するかは余にもわからぬ。だが、強大な力となるのは間違いない」

「俺自身の特性ねえ……正直、あんまり興味ねえなあ」


 そんなゲームのスキルやアビリティみたいなもの、突然くれると言われても実感が湧かない。そもそも、別に力には困ってないしな。

 けどまあ、相手が魔法や超能力を使うってんなら、話は別だ。

 目には目を、歯には歯を。要は効率の話だ。法には魔法をぶつけるのが一番手っ取り早い。

 それになにより――。


「その勇者には興味がある」

「……何じゃと?」

「お前が負けちまうくらい、その勇者ってヤツは強いんだろ? ――ってことは、ほとんど人類最強みたいなもんじゃねえか。人類最強の勇者VS地元最強の不良か……くっくっ、悪くねえな!」


 俺はニヤリと笑った。

 俺の言っていることが理解できないのか、メルコはぽかんと口を開けている。


「メルコ、そっちの世界には勇者より強いヤツっているのか?」

「あ、あやつは規格外だ。あやつより強い存在などそうは……ってお主、一体何を考えておる⁉」

「決まってるじゃねえか。その勇者にケンカを売りに行くんだよ。どうせお前もそのつもりなんだろ?」

「そ、それはそうじゃが、それはあくまで余が力を取り戻したらの話で……お主がそんなことをする必要はないのじゃぞ⁉」

「関係ないね、そんなこと。異世界の勇者とのケンカなんて滅多にできるもんじゃねえ。ここで逃げるなんて選択肢はありえねえ」


 立ち上がって拳を握る。

 毎日毎日つまんねえケンカばっかで、飽き飽きしてたところだ。

 いいじゃねえか、異世界。上等だ。レベル上げでもなんでもやってやる。

 その勇者の鼻っ柱、俺がへし折ってやるッ!


「メルコ、お前の話に乗ってやる。一緒に勇者に借りを返してやろうぜ」

「……よいのじゃな? 本当に――」

「だからいいって言ってんだろ。いちいち確認すんなって。あ、でも従者ってのは気に入らねえな。もっと対等な関係でいようぜ」

「まったくお主という奴は……。よかろう、お主を余の眷属として認める。改めて名を訊かせてもらうのじゃ」

「そういやまだ名前教えてなかったな。俺は和也かずや折上和也おりがみかずやだ。よろしくな、メルコ」


 俺が右手を差し出すと、メルコは小さな前足をポンと手の上に乗せた。

 お手をしてるように見えるが、これは立派な握手だ。

 勇者を倒して、メルコを再び魔王にする――。

 その契約の証だ。


「――カズヤ、お主の覚悟、このメル・クゥ・マルコシアスがしかと受け取った。では、共に征こうぞ。余が生まれし故郷、ガルセイアへ!」


 メルコと繋いだ右手がじん、と熱を帯びると、謎の光が俺たちの間から迸った。


「な、なんだっ、何が起こってるんだ⁉」

「二つの世界を結ぶ導きの光柱リード・ピラーじゃ。――さぁカズヤ、我を抱いてそこのゲートへ飛び込むのじゃ!」

「そんなこと言われても、ゲートなんてどこに……って、なんっだこりゃあ⁉」


 後ろを振り返ってみれば、光の柱の影が川の水面に映り込み、そこには見たこともない世界が広がっていた。

 ゲートって、この川のことかよ⁉


「どうしたカズヤ。よもは怖気づいたワケではあるまいな?」

「……クソったれがっ。いいぜ、やってやるよ。もうどうにでもなりやがれッ!」


 俺はメルコを脇に挟むように抱きかかえ、地面を蹴った。

 水面に映る扉をくぐり、未知の世界へとダイブする。

 この瞬間、俺はこの世界に別れを告げた。


 ――あばよ、退屈クソッタレな日常。

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