第27話 リハーサル
「はあ………」
僕は最後の出番が終わると早足気味になる足を抑えながら舞台脇に引っ込んだ。暗幕の裏から舞台を見ると照明に照らされて主役二人の演技が続いている。だが、今の僕には他人のことを気にする余裕は全くなかった。
ドッドッと高鳴っていた心臓の鼓動がゆっくりと静まっていく。
今は誰の目にも晒されていないんだという事実に少しだけ安心する。
思えば僕は昔からあがり症だった。小学校低学年の時に先生に当てられて泣き出してしまったのは忘れたい記憶だ。
年齢を重ねれば治ると思っていた。いつかは人前で堂々と喋れるようになるのだと思っていたのだ。実際ここ数年は人前に立たされた時のあの頭が真っ白になるような緊張を味わうことはなくなっていた。
そうして僕は上がり症を克服したような気でいたのだ。
だが、違った。僕は今こうして小学生の時と何も変わっていなかった。ああ、僕は何も成長していなかったんだな、と思った。
成長するにつれ物事の選択の幅は増えていく。親や教師に強制されていたことを自分で選べるようになっていく。それは一見いいことのように見えるが、意思の弱い人間にとっては残酷で過酷な現実だ。なぜなら逃げることも容易になるからだ。困難に立ち向かわなくてもいい。苦手を克服しなくたっていい。何もせず御託を並べていたって誰にも何も言われない。だが、困難こそが、それに伴う失敗の積み重ねこそが人を成長させる。結果、何も成長せずに大人になった時には後悔しても遅い。未熟で、幼稚で、役立たずで、話が通じないと、ただ社会から冷たくあしらわれるだけだ。
今ここにいるのはただ自分の苦手から逃げて、精神的に成長せずに歳を重ねた幼稚な男。あまつさえ克服できたと思い込んでいた。実際はずっと僕は人前に立つような状況から逃げてきたに過ぎなかったのだ。
そんな僕が、皆の前に立って演技をするなんて信じられない。それでも今は立ち向かわなければならない。
今もちゃんと出来ているだろうか不安で不安でしかたない。
そんなことを考えているうちにリハーサルが終わっていた。
「はい! カット〜みんなありがとう。お疲れ様」
来瀬さんの声で皆の緊張の糸が解ける。
そう、リハーサルだ。劇の配役が決まってから一週間が経ち、文化祭開幕まであと四日と迫っていた。今日は初めて体育館を僕達のクラスが一時間貸し切って本番に近い形で練習する。
知り合いのいないアウェイの環境でやっていけるのか最初は不安だったが、来瀬さんの人望の賜物か、何だかんだみんな各々の役割に集中していて、僕の心配は杞憂に終わった。実際僕も自分の演技のことで精一杯だったのでそんな事を気にする余裕もなかった。皆が一つの方向を向いて何かを成し遂げるということは案外悪くないのかもしれない。むしろ、柄にもなくそんなことを思ってしまった。
だが、同時に真剣に演劇に取り組む周りを見て自分も失敗するわけに行かないと身の引き締まる。演技に関しては素人、セリフを覚えるだけで精一杯。
それでも投げ出すわけにはいかない脚本監督である来瀬さんの助言を貰いながら何度も繰り返し練習した。来瀬さんやみんなの前で演技をするのは緊張して仕方がない、だがそれでも四の五の言っていられない。僕はできるだけ声を張り上げて何とか最後まで演じきった。そうして体育館で劇の開演から終演までの最初の通しが終わったのだった。
よかった。ミスはなかったはず。緊張でセリフが飛んだらどうしようと、怖くて仕方なかったが、練習の成果はあったようで何とか乗り切ることが出来た。
来瀬さんにも他のクラスメイトにも迷惑はかけられない。それに、失望したような、こんな奴に大事な役割を任すんじゃなかったと言わんばかりの目で見られたなら僕はきっと耐えられないだろう。今の僕には群れる仲間はいないんだ。
「来瀬さん、ここなんだけど」
イオ役の山崎君が来瀬さんに声を掛ける。台本を開いて演技の方針について話し合っているようだ。
「ねえ、何話してるの」
そこにリシテア役の白鳥さんまで駆け寄ってきた。
僕は一人取り残されてその場に立ち尽くす。今丁度舞台脇には主役級の二人とついで最後の方まで出番のあった僕しかいなかった。他の裏方の人達は体育館の後方に固まっている。
にこやかに話す三人を遠巻きに眺める。こういう場合僕も話し合いに参加すべきなのだろうか。いや、そう思って自嘲してしまう。僕なんかがあの場所なんかはふさわしくない。
手持ち無沙汰だ。
いつもこういう時どうしていたっけ。何度だって経験してきたはずだ。ああそうだ。いつもなら悟がいたんだ。今の僕は一人ぼっちで、孤独を紛らわすように片腕で自分を抱きすくめ床を見つめるしかない。
だが、今度は来瀬さんは話していた二人の元を離れて僕に話しかけてきた。僕は思わずギョッとしてしまう。目線が泳いでいるのが自分でも分かった。
「灰谷君。緊張してる?」
「うん……まあちょっとね」
見栄を張った。本当はちょっとどころではない。
「でも、完璧だったよ? 本当に凄いよ。セリフだって結構あったでしょ?」
「……ううん。リオやリシテアに比べたらたいしたことないよ」
かぶりを振って話を続けている山崎君と白鳥さんを見る。
「全然そんなことないって。前も言ったかもだけど、もっと自信をもっていいんだよ?」
「……ありがとう」
しまった、と思った。気をつかわせて僕を肯定するような言葉を吐かせてしまった。ただ自分が気持ちよくなりたいが為に来瀬さんを利用してしまったのではないかと罪悪感を覚える。
「ん、じゃあ、頑張ってね。私も私で頑張るからっ」
来瀬さんはそれだけ言うと僕に背中を向けた。
「……じゃあ」
彼女の空気に当てられたか無意識のうちに柄にもなく小さく手を振っていた。だが、恥ずかしくなりすぐに下ろす。
だが、その時ふと気づいた。今の行動が周りに見られてなかったか確かめようと少し周りを見渡した時のことだ。
僕を見つめる周りの目……目、目、目。
なぜだ。どうして僕を見ている。
僕が何をしたんだ。変な格好でもしているというのか。演技が下手で間抜けでうすのろで足を引っ張っていると僕を嗤っているのか。それとも――
いや、きっと勘違いだ。いつもみたいに考えすぎているだけ。ただの自意識過剰。周り目が気になって仕方なくて、いつもビクビク怯えて、こんなことでどうやってこれから生きていくんだ。まさか働かず誰とも関わらず引きこもって生きるつもりか。いい加減僕も大人になるべきだ。
突飛で、飛躍した極論のように思えるかもしれないが、それくらい僕は今の自分が嫌いで、殻を破りたかった。自分も成長したかった。他の人に取り残されたくなかった。
僕は全てを気の所為だと断じて考え込むのを辞めた。
「じゃあもう一回通すよ。今日はこれでラスト。皆、準備出来た……?」
「うん。準備出来たよ」
「じゃあ始めようか」
来瀬さんがそう言うと主役の山崎君以外の皆が舞台から掃ける。僕も後を追うように退場した。
舞台が暗転した。
――遠いどこかの世界であったかもしれない、異国の物語がまた舞台上で始まる。
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