第26話 私の復讐


 私の書いた脚本の披露と主役とヒロイン以外そして演者以外の裏方等の役割決めを終えた。まだ劇について細かい所を詰めなければ指示出しが出来ないため、今日の所はひとまず解散して、明日から本格的に準備に入ることとなる。


「部活もないし、今日は遊んで帰るか」

「駅前のゲーセンでも行こうぜ」

「おっ、賛成」


 数人の男子が意気揚々と教室を出ていく。文化祭準備期間は部活が休止される。そのため、この機会に遊ぼうと浮足立っている生徒達が散見された。男子生徒達が出ていったのを皮切りにみんな続々と荷物をまとめて教室を出て行く。


 別に先に帰れる彼らが羨ましい訳でもなんともない。私には早く家に帰りたいとか、放課後が待ち遠しいとかいう感情が分からない。当たり前だ。今までずっと家も学校も帰り道も私の居場所はなかったのだから。学校に心を通じ合える人はいなくて、家に帰れば変わってしまった父親とそれにただ怯えるばかりのあの女がいるだけだった。


 帰っていくクラスメイト達に紛れるように優君も一人荷物をまとめてそそくさと出て行った。水島が文化祭の仕事で残るため一人で帰らざるを得なくなったのだろう。


 私はまだ帰れない。脚本としてはセットの構想など決めなければならないことが山積しているからだ。優君に少し残ってもらって一緒に帰ることもできたけど……。うん、まあ、今日のところは別にいい。昨日は家にまで行っちゃったし。あんまり多くを望むのは欲張りだよね。


 それにもうすぐ、この文化祭が終われば私と優君は永遠に一緒になれるのだから。


 ん? だからといってこんな回りくどいことをする必要があるのかって?


 確かにカロン役として優君に演劇に出るように頼んだのも、もっと言えば演劇をやろうとしているのも、こんな脚本を書いたことも端から見れば迂遠で一貫性のない行動に見えることだろう。


 それは自分でも分かっている。


 実際の所、ここまで突き動かしている物の正体を自分自身分からないでいた。


 こんな回りくどいことをして、文化祭という形でクラスメイトを巻き込んで私は何がしたいのだろう。優君以外の人間に期待することなんて何もなかったんじゃないのか。今更私は他人に何を求めているのか。


 私の紡いだ物語。


 表向きは主人公リオとリシテアの純愛の物語だが、実のところあれはカロンの物語だ。そこにあるようにみえる美しい深い愛も友情も全てはまやかしで、ただ裏では強者が弱者を搾取していたというだけのただ酷く醜く悲しく虚しいだけの物語。


 あの脚本を見せた時優君はその背景に気づいただろうか。……いや気づく訳がない。誰かが気づくようには出来ていない。あれはただ私だけが知っていればいいと思って考えた裏設定のはずだ。


 ああそうか、きっと。


 気付いた。


 これは私を追い詰めた人間達、そしてこのクソみたいな汚泥にまみれた世界への置き土産。私なりの復讐だ。今、私のやっていることは結局、最初から最後まで全て私の自己満足に過ぎない。だが、それでいい。誰も私を救わないのなら、あまつさえ自分の欲望の為に踏みつけにしようというのなら、それで誰が私のことを責められるのだろうか。


 すっと、私の中で腑に落ちたような感覚だった。


 もう迷いはない。


 その時、後ろから肩を叩かれた。


「……!?」

「や、麗華っ」

「ああ、美咲か……びっくりした」


 私に声をかけてきたのは美咲だった。


「ね、たまには一緒に帰らない? 最近あんまり一緒に帰れてないし……」

「ああ、ごめん実は――」


 今日はまだ学校に残らないといけないんだ。だから先に帰っててくれない?


 そう、断ろうと口を開いたときだった。


「来瀬さん、それから白鳥さんも」

「あっ、晴翔くん」

 

 声をかけてきたのは山崎晴翔その人だった。


 めんどくさいな、私を巻き込まないでよ。私は内心げんなりとする。


「どうしたの?」

「いや、二人とも何話してるのかなって」

「いや、いま、麗華を誘って一緒に帰ろうと思って……」


 美咲は頬を染め、急にしおらしい態度になる。


「あ、そうだ。来瀬さん」


 山崎はそんな美咲をスルーして何かを思い出したように私に向き直る。


「あの脚本すっごいよかったよ」


 山崎は私にオーバーリアクション気味に言って見せた。


 褒めれば私が堕ちる、そう思っているのだろうか。実に短絡的。しかし効果的だ。実際のところこうして、大抵の女子たちはこの男に籠絡されていたのだろう。

 

 まるで昆虫のようだな。ふと、そう思った。


 餌を捕らえるため蜘蛛は木の間に巣を張り、交尾の相手を見つけるために蝉は夏になると羽を鳴らす。


 虫に感情はない。悪意も善意も、喜びも悲しみもなく、ただ本能のおもむくままに巣にかかった餌を喰らい、相手を引き付ければ交尾するだけだ。


 こいつもそうなのだろう。


 なんの感情もなく、罪悪感もなく、ただ自分の我欲を満たすために甘い言葉を吐いているのだ。


 嫌悪感が、膨れ上がる。


「あはは……ありがとう」


 私は感謝の言葉でお茶を濁す。


「あのさ!」


 美咲は少し声を張り上げて会話をさえぎった。私達が話しているのが面白くなかったのだろうということがありありと見て取れる態度だった。


「えっと……山崎君、このあと暇?」

「ん? 暇だよ? 今日は部活もないし」

「えっと私も時間あるから、よかったらこのあと私と……」


 頬を紅潮させ、たどたどしく話す。


 精一杯勇気を出していったのだろう。


 今の美咲は誰もが頑張れと応援したくなるような恋する乙女に見える。


 でも、考えてみてほしい。


 美咲は今私を誘おうとしたんじゃなかったのか。それなのに私を排除して山崎と一緒に帰ろうとしている。こいつは親友だとか言いながら自分の我欲のために平然と私を切り捨てたのだ。


 やっぱりね。


 気持ちが冷めていく。


 別に傷ついてなんかない。


 最初からこんな女には期待してなかった。


 それにしても……。


 私は目の前の二人を瞥見する。


 私はなぜこんなものを見せられているのだろうか。ゴミとゴミ同士のイチャイチャ。浮かれてるんじゃねえよ。反吐が出る。私は苛立ちを抑えきれない。


「そうなんだ。じゃあ三人で一緒に帰ろうよ。主役としては劇について麗華ちゃんに聞きたいこともあるしね」

「あ、うん……そう……」


 美咲はしゅんと俯いてしまう。彼女の勇気は、期待は無残にも打ち砕かれてしまった。


「あっ、ごめん!」


 私はそこでパシンと手を合わせた。二人の注目がパッと私に集まる。


「私このあと用事あるから……二人で先帰ってくれる?」

「え……そうだったの?」


 美咲は目を丸くする。


「うん、ごめんね…?」


 私がそう言うと一緒の沈黙の後、山崎が反応した。


「そうか、なら仕方ないね」

「ううん、こっちこそごめんね。せっかく誘ってもらったのにまた今度ね」

「……そっか、麗華大変だね」


 一緒に出て行く二人の背を私は見送ると、私は教壇まで行ってじっと立ったままノートを見つめている百合に声をかけた。

 

「佐藤さん」


 百合はビクリと肩を震わす。


「な、何ですか……」


 何を考えているか、私には手に取るように分かった。


 今度は何を命令されるのかと、怯えているのだろう。もうやめてくれ、そう思いながらも一度聞いてしまえば従わざるを得ない。


 別にそんなに怯える必要はないのに。だって私はもうこいつのことなんか、どうだっていいもの。用済みということだ。隣の男とこれからも付き合い続けるのか、それとも適当な理由をつけて別れを告げるのか、それも勝手にすればいい。目的は果たされたのだからもう私は興味ない。


 百合はこう思うのだろう。私に見捨てられたと。ふふっ……。せいぜい罪悪感に苛まれながら自分の過ちを後悔していればいい。


「演劇班は私が見たほうがいいと思います。いろいろと細かい指示とかもあるので。大道具班と衣装係は佐藤さんと――」


 黒板を消していた水島に目を向ける。


「水島君で、お願いしていいですか?」


 水島と目が合う。水島は私の方をじっと見つめているが、微笑んでやると顔を強張らせてふっと目を逸らした。


 この男はきっと私に不信感を持っているはずだ。どうして優君が演劇に参加することになったのか。何を企んでいるのか。頭の中は疑問符で埋め尽くされているはずだ。


 水族館の時、お前は優君を助けなかった。お前の伸ばした手は優君には届かなかった。私に言いくるめられてお前はその手を下ろしてしまった。


 お前も自分の無力さを、未熟さをせいぜい悔やめばいい。


「……そうですね。分かりました」


 百合は小さく呟いた。


「それじゃあ、よろしくね」


 私は愚か者たちに見切りをつけるようにしてその場を去った。



「あっ、麗華」


 全ての用事を終えて私は荷物をまとめて教室を出た。あれから皆が帰ってから三十分ほどが経っていた。


 廊下を歩く。他のクラスは準備を続けているらしく引き戸の向こうからガヤガヤと話し合う声が漏れてくる。


「……!」


 すると、廊下を曲がった角から誰かが飛び出してきて私に声をかけてきた。


「意外と早かったね」


 美咲だった。


「……あれ、まだ帰ってなかったの?」


 どうしたというのだろうか。私は訝しげに美咲を見る。美咲は山崎と一緒にとっくの前に帰ったと思っていたが。


「うん。麗華を待ってたの」

「……私を?」


 どういうことだろうか。


「えっと……ありがとうね」

「ん? 何のこと?」

「もう……とぼけないでよ」


 美咲はもじもじと少し体を揺らしながら口を尖らせてそっぽを向く。


「麗華、私と山崎君を二人きりにしようとしてくれたでしょ?」


 ああ、そういうことか。私が美咲をヒロイン役に押して、山崎との恋愛が成就するように後押ししたとでも思っているのだろう。まあ、あながち間違ってはいないんだけど。


 山崎が私を狙っていることに美咲が苛立っていたのは明らかだった。想い人が自分には見向きもせずに友達を狙っている、その状況は耐えがたかったはずだ。だから、今きっと胸中では安堵していることだろう。よかった、ライバルが一人消えた、とそう思っていることだろう。


 そう思っているはずなのに、彼女は感謝をするという体で、あくまで自分が悪者にならないように立ち振舞う。自らの加害性から身をそむけている。


 さらに悪辣なのは、安堵をただ私に吐き出したいがために話しかけに来ているという点だ。我欲で他人を振り回しておきながらそれを省みない。


 別にこの女が特別悪いとは思わない。所詮は人間だというだけの話だ。


「ふふっ、ごめんって。でも、頑張ってね。文化祭なんて絶好の機会なんだから」

 

 笑いながらそう言うと、美咲はふっと表情を和らげる。こいつは私の表情が作り物であることなんて気づいてもいないのだろうな。


「うん。ありがとう」

「ううん。気にしないで」


 心中で渦巻く感情をおくびにも出さず微笑んでみせた。


「でも、良かったの? 山崎君と一緒に帰る折角のチャンスだったのに」

「麗華を置いてお礼も言わずに自分だけ帰るなんて出来ないよ……。大体、そもそも今日は麗華と一緒に帰るつもりだったもん」


 偽善者。


 その一単語だけが頭に浮かんだ。


「私も麗華を手伝うからね」

「え?」


 一瞬何のことなのか分からなかった。


「脚本は完成したみたいだけど、まだいろいろ大変でしょ? 私なんかがどこまで手伝えるかは分からないけど……それでも麗華の力になりたいから」

「……はは、ありがとう」

「当然でしょ? 親友なんだから」

「…………」


 そう返された私は閉口する他なかった。

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