第25話 選ばれた理由


 明くる月曜日。僕の通う高校では文化祭本番のちょうど二週間前にあたるこの日から準備期間に入っていた。今週から授業は午前中で終わりとなり午後からは小道具、大道具の製作や出し物の練習などの時間に充てられることになる。


 午前中の授業もどこか浮き足立った空気が流れていた。


「じゃあ、あとはよろしく~」


 昼休みが終わるとすぐに終礼を終えると担任はすぐに出ていってしまう。本当に生徒に関心がないのだなと思った。


「なあ」


 ひそひそと僕の後ろの席で誰かが囁く。


「帰ろうぜ。終礼終わったし、どうせもう先生来ないしバレないだろ」

「よし、帰るか」


 二人の男子生徒はそのまま周りを気にしながら荷物を持って教室を出て行った。恐らくサボるつもりだろう。だが、クラスメイトのうち数人が瞥見しただけで大して引き留める様子はない。まあ高校生にもなればそんなものなのだろうな、とぼんやりと振り返って見る。


 彼らのことを不真面目だ、非協力的だと罵る者もいるだろう。ちゃんとクラスの一員として参加しろよと、サボるのがかっこいいと勘違いしてて許されるのは中学校までだぞと、そう非難を受けることだろう。


 だが、僕には学校行事をサボる人間の気持ちがよく分かる手前、彼らを責める気にはならない。僕には分かる。なんと言おうか、行事の時に蔓延するクラス一丸となって何かをしようという空気感にどうしても耐えられないのだ。クラスが一体感を持てば持つほど、疎外感を覚えてしまう。


 恐らくそれは普段のクラスでの役割が定まっていないからだ。きっとリーダーシップを取る役、補佐する役、賑やかす役、何かしらの役割をクラスの人間関係の中で獲得している者だけが何の違和感もなく最後まで文化祭を楽しむことが出来るのだろう。普段の立ち位置が如実に現れてしまう、光と影がよりくっきりと別れてしまうのが文化祭と言う場なのだろう。


 きっと今出て行った彼らもそうだ。普段から学校に居場所を感じられていないのだろう。


 去年までなら僕も悟と一緒に帰っていた所だが、今年はそうもいかない。悟は今、委員の仕事で掛かりきりだ。今もこうして佐藤さんと一緒に学級委員として話し合いを取り仕切っている。赤信号みんなで渡れば怖くないとはよく言った物で、僕一人ではサボる勇気もなかった。


「皆さん、いいですか」


 佐藤さんが呼びかける。


「まず、話し合いの結果、正式に私達のクラスの出し物が演劇になりました。文化祭最終日の三日目に体育館ステージで本番の予定です」


 各クラスが出し物の希望を提示してすりあわせた結果、正式に僕達のクラスの出し物は演劇に決まったようだ。


 演劇自体が出来なくなって、来瀬さんの考えた脚本が無駄になるのではと少し心配していたが、それは杞憂だったようだ。


「脚本が出来上がったみたいなので、続きは来瀬さんにお願いします」


 来瀬さんはすくっと席を立ち上がると黒板の前に向かう。


「えっと、脚本担当の来瀬です」


 彼女はゆっくりと話し出す。クラスメイト達はみな黙って傾聴している。


 休日に来瀬さんを家に招いて来瀬さんの書いてきた脚本を見せてもらった。正直な所、すごいという感想しか出なかった。僕なりに意見を言ったけど、きっと参考にもならなかっただろう。きっとがっかりさせてしまったに違いない。本当に不甲斐ないな、と思う。


 だが脚本に事前に目を通して、関わった手前、少し緊張してくる。だが、一から脚本を考えた来瀬さんの緊張はその比ではないだろう。


 学級委員の二人が事前に印刷してきたであろう台本を皆に配る。


「皆さん、台本は行き届きましたか?」


 声は上がらない。台本の過不足は出なかったようだ。

 

「えっと……まず最初に一言いいかな」


 佐藤さんは黙って後ろに下がる。


「私なりに頑張って書きました。初心者だし、拙い部分も沢山あると思う。でも、きっと気に入ってもらえると信じてます」


 静寂が訪れる。


 皆が黙々とそれを読んでいる。


 パラパラとページをめくる音だけがやけに大きく聞こえた。


 僕も同じように完成した台本を読み進める。


 簡単に言えば、剣と魔法の世界で生きる少年と少女が出会い、挫折と回帰を繰り返して最終的にはラスボスを倒しこの世界を平和に導く冒険譚。そして最後には二人の男女が結ばれる恋物語ともいえる。良くも悪くも王道でひねりのないストーリー。


 うん。細かい台詞回しや、設定の齟齬が修正されている。


 偉そうな意見だが、非の付け所がないなと、思った。特に文化祭で演劇としてやるにはこれ以上ふさわしいものはないだろう。


「うん、凄くいいと思うよ」


 そうしている内に最初に声を上げたのは山崎君だった。大勢の前だというのに臆面もなくストレートに感想を伝えている。


「ありがとう。山崎君」


 それを皮切りに次々とクラスメイト達は感想を話し合う。


「ファンタジーっぽいね」

「何だっけ? 異世界系っていうの? こういうの」

「このイオって役を山崎君がやるってことだよね?」

「うわ、滅茶苦茶、ラブストーリーじゃん」

「でも、すごいね。よくこんなの書けるよね」

「うん。流石、来瀬さんって感じ」


 反応は概ね肯定的なものが多かった。甘酸っぱい純愛物に浮き足立つ生徒達も散見された。


「よかった」

    

 来瀬さんは胸をなでおろす仕草をすると、仕切り直すように教室を見渡した後に口を開いた。


「来週になったら体育館が使える予定です。それまでにある程度は仕上げられるように頑張りましょう」 


 もう僕が深く関わることもないだろう。僕は肩の荷が降りたような気持ちでいた。


「えっと、それで」


 来瀬さんが続ける。


「主人公のイオを山崎君、ヒロインのリシテアを美咲がやってくれるって事になるけど、私の脚本を読んでもその意思は変わらないかな?」

「うん、大丈夫だよ」


 山崎君が答える。


「美咲は?」 

「私も大丈夫」


 二人の意志が確認された。


「それじゃあ、他の役も決めたいんだけど……」


 メインとなるのは二人だが、当然他にも役はあった。


 もうすぐだろうか。心臓が痛いほど高鳴る。皆はどういう反応をするだろうか、温かく迎えてくれるだろうか。


「まず、カロンっていうイオの幼馴染がいるんだけど……」


 ああ。


――遂に来た。


「あの二人と一緒にやるのキツくない……?」


 誰かがボソリと言った気がした。


 だが、今の僕には周りの声を耳に入れる余裕すらない。


「――これは灰谷君にやって貰うことになってるけどいいかな」


 ふと顔を上げると黒板の前の悟が目を丸くしてこちらを見ていた。



――昨日来瀬さんを僕の家に招いた時のことだ。


『大体まとまってきたね』

『うん。僕から意見が言えるのはこのくらいかな』

『ありがとうね』


 僕は脚本を読んでいくつか気になった点を来瀬さんに伝えていた。


『このカロンって役なんだけど』

『カロン……主人公の幼馴染みで一緒に冒険に出かけるっていう男の子だよね……それがどうしたの』

『――私はね……灰谷君。この役は灰谷君にやってほしいと思ってるの』

『え……あ……』


 ろくに反応を返せないでいる僕を意に返さず来瀬さんは続けた。


『灰谷君は私の中のカロンにぴったりなの。せっかく頑張って書いた脚本だし、出来るだけ配役は役のイメージに合わせたいから……』

『そう……なんだ』


 やっとのこと彼女の発言を飲み込む。


『でも……それだったらイオとリシテアの方が……』


 イオとリシテア、つまり主人公とヒロインは既に山崎君と白鳥さんがやることに決まっていたはずだ。そこには来瀬さんのイメージが反映されていない。カロンのような脇役よりもずっと重要な役柄なはずなのに、だ。それにもか関わらずカロンだけイメージ通りだからと僕を指名するのは道理に合わない気がした。


『ああ……』


 だが、目の前の彼女はそんな質問は予想の範囲内とばかりに嘆息すると、薄く笑顔をたたえた。


『そもそも私は二人を主人公とヒロインにすることを想定して脚本を書いたの』

『そう……なの?』

『うん。ほら、こんなことを言うのはアレだけど、あの二人って何ていうか一際特別で、眩しいっていうか主役って感じがするでしょ』


 来瀬さんはまるで内緒話でもするように悪戯な笑みを浮かべ声を潜めた。


 眩しい。確かにそう言った。来瀬さんでもそういう風に感じていたのかと、意外に思った。僕からすれば山崎君達と同じ、いやそれ以上に来瀬さんの方が眩しく見えたから。


『いや、別にその他の人達を悪く言うわけじゃないんだよ? でもやっぱり薄々みんな感じるはずだよ。主役を張れるのはあの二人しかいないって、みんなどこか共通認識として持ってるはず』

『…………』


 来瀬さんがそう言われてしまえば僕からは何も言うことは出来なかった。山崎君達は来瀬さんからすれば近しい人達だし、そういうこともあるのだろう。


『まあ、でもこの物語の主役はカロンの方なんだけどね……』

『……?』


 何だろうか。来瀬さんがボソリと言ったが、僕はその意味を理解する事が出来なかった。


『とにかく!』


 来瀬さんは話を仕切りなおすように声を張る。


『カロンは灰谷君にやって欲しいの』


 自分がステージ上に立って大勢の人に見られながら演技をするなんて考えただけでも目眩がしそうだ。


『大丈夫。私がちゃんとサポートしてあげるから』

『…………』

『どうしても無理だったら断っても大丈夫だよ』

『分かった……分かったよ』


 首肯する。


 言った。言ってしまった。


 僕は断るということが決定的に苦手だということをこの時初めて自覚した。


『ありがとう』


 来瀬さんの柔らかい笑みが頭に焼き付いている。



「灰谷君?」


 ハッと気付く。


 僕は今、教室にいて来瀬さんの目線が僕を真っ直ぐに射抜いている。


 ああ、そうだ。今は演劇の役者を選んでいる途中だ。そして来瀬さんは僕にみんなの前で再度確認を取っている。カロン役を、やってくれますか、と。


 僕はこくりと頷いた。


 約束してしまったのだ。今更断れる訳が、ない。


「灰谷って誰だっけ」

「俺、アイツが喋ってるの見たことないかも」


 僕を見つめる目。目。目。目。


 やめてくれ、僕を見るな。認識しないでくれ、頼む。


 前を向くことも出来ず、メデューサにでも睨まれたかの如く硬直してしまう。僕は早く時間よ過ぎよと念じながら机の木目を見つめることしかできなかった。


――だが、幸いなことに緊張の瞬間はそう長くは続かなかった。


「それじゃあ、特に異議はなさそうなので決定」


 来瀬さんが言う。


「えっと次は敵役だけど………」


 話題は別の役柄の決定に移っていった。それなりに行事に協力的な人達が他に誰も立候補しないのなら、と手を上げていき、順調に役が決定していく。その頃には僕に対する注目もまるで何事もなかったかのようになくなっていた。


 緊張がほどけていく。だが、これから二週間にわたる練習、そして文化祭本番で自分が上手くやれるだろうかという不安を僕は胸中で渦巻かせていた。

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