第22話 遠い世界の出来事
「……えっとじゃあ、男子の中で主人公役をやりたい人」
佐藤さんが呼びかける。来瀬さんは言いたいことは言い切ったとばかりに席に座った。
やはり手は上がらない。主役といえば最も人の注目を浴び、僕たちのクラスの出し物の顔とも言える役割だ。ここで手を挙げてしまえば、自意識過剰、目立ちたがり屋といったレッテルを貼られる恐れがある。この場で立候補するのは文化祭の出し物の案を上げる以上にハードルが高いように思えた。
「……お前やれよ」
「……いや、俺はいいよ。お前がやれよ」
「おい、よせよ。みっともない」
「にしても主役ってどんな役なんだ?」
「だいたい脚本が決まってないんじゃ、主役をやりたいかとか言われても何とも言えないよな」
「それは間違いないな」
後ろの方で三人の男子生徒が話し合うのが聞こえる。
「山崎君はやらないのかな」
「多分恋愛物だよね。え、だったら私山崎君に主役やってほしい〜」
「ね、王子様とか絶対似合うと思うけど」
「他の男子じゃ不相応だよね」
一方で一部の女子生徒から一人の男子の名前が上がる。山崎晴翔、その人の名前だった。サッカー部で明るい短髪の長身の男子。確か三年生が部活を引退した後の次の部長になることが決まっていると小耳にはさんだ気がする。クラスの中心でキラキラと輝いた青春を謳歌しており、僕のような人間からすると羨望、いやそれ以上にどこか引け目すらも感じられる人物だった。例えるならば田舎者が摩天楼を仰ぐような、そんな気持ち。
「ほら、晴翔呼ばてれてるぞ~」
「ほら、立て立て」
一人の男子がはやし立てる。
「えっ、俺? あははっ……」
山崎君ははにかみつつ自分の後頭部を撫でつけながら立ち上がった。クラスを一回り見渡して口を開いた。
「えっと、俺でいいなら……」
教室は拍手で包まれる。女子生徒たちの視線を
「……えっと、じゃあ山崎君がやってくれるってことでいいですか」
「うん。上手く出来るかは分からないけどね」
悟が黒板に山崎君の名前を書く。
「次にヒロイン役はどうしますか……?」
先ほどとは打って変わって教室は一瞬の沈黙に包まれる。ピリリと緊張感が走ったように思えた。
ああ、なるほど……。
ヒロイン役ならば必然的に主人公役である山崎君の相手役として見られることになる。そして山崎君に好意を抱いている女子は多くいることだろう。
この事実を鑑みれば彼女たちは牽制し合っているのではないか。誰がヒロイン役をするのか。お前なんかが出しゃばるなよ、そういった無言の圧力が交錯しているのではないか。
考えすぎだろうか。僕がうがった見方をしているだけなのだろうか。
いや。
そもそも僕には関係のない話だ。クラスで渦巻いている政治的なやりとりだとか、誰が誰に好意を向けているだとか、全ては僕には関係のない話。僕は関わる気もなければ、そもそもそこに関わることすらできない。そんな権利も資格も能力も僕にはない。目の前で起きていることだが、僕にとってはどこか遠い世界の出来事とそう違わない。
「来瀬さんはどうかな?」
山崎君だった。
「……私?」
「うん。やっぱり」
キザな台詞。僕が同じ言葉を発したら目も当てられないほど痛々しく見えるような台詞を山崎君は臆面もなく発する。だが、それを冷やかす者は誰一人おらず、実際にそれが様になっていた。根本的に僕とは異なる存在だ。そう思わされた。
「え……」
乾いたような声がした。僕の隣の席からだった。白鳥さんだ。僕は一度たりとも話したことはないが、来瀬さんと話しているのをよく目にする女子生徒。クラスでも目を引く存在であるため僕も認知していた。
まさか。いや、やはりといったほうが正しいと思う。
山崎君が来瀬さんに好意を抱いていて、友達の白鳥さんもまた山崎君のことを好いている。そして、いま文化祭の主役とヒロイン役として彼の隣を争っている。
単純な三角関係の構図が頭に浮かんだ。
確かに根拠もない邪推なのかもしれない。だが、それでも彼らが教室でよく話している点、彼らがとびぬけて容姿が良く人当たりのよい点、そして何より今のやり取りを鑑みれば、そう突飛な推測だとは思わなかった。
まるでラブコメの一幕のようだな。
どこか他人事のようにそう思った。美男美女たちの眩いほどに輝かしい青春の物語。ガラスで隔てられた場所を外から眺めているように、僕のような醜い人間の介在する余地など一つもない。
来瀬さんは山崎君のことをどう思っているのだろう。決まっている。悪い気はしないだろう。
最近は少しは来瀬さんと仲良くなれていたかな、などと浮足立っていた気持ちが急速に冷やされていく。こんなふうに落胆している自分にも腹が立った。何を身の程知らずに期待していたんだと、まさか彼女が僕に好意を持ってくれているのだと少しでも思っていたのか。クラスでいろんな人と交流している姿を見てそれでも僕だけは特別などと思い上がっていたのではないか。結局僕は心の中で自虐的に自分を貶めている癖に、一方では身勝手な欲求を来瀬さんに押し付けていたのだ。
僕がそんな思考に陥っている間に、クラスでは来瀬さんに注目が集まっていた。
「うん、推薦してくれるのは嬉しいけど、私はちょっと目立ったりするのは苦手だし、それに私は脚本で手一杯かな」
来瀬さんは苦笑しつつ言った。
「あの、美咲」
「え、私?」
白鳥さんが反応して肩を震わせた。
「私は美咲が適任だと思う」
二人は数秒間見つめあう。二人の間でどんな意思疎通が行われていたのだろうか。僕には図り知ることは出来ない。
「でも、私に務まるかな……。演技とかやったことないし。みんなに迷惑かけちゃうかも」
「そんなことないよ。ねっ、山崎君」
「……そうだね。俺だっても演技経験ないし大丈夫だよ白鳥さん」
白鳥さんだ。来瀬さんと一緒にいるところをよく見る。一番の親友で女子生徒だ。口では否定しながらも彼女の口元は緩んでおりまんざらでもないということが僕でも見て取れた。
「……うん。みんながそういうなら私、やるよ」
拍手が起こる。
その他の事項は一週間後に脚本が出来てから決めることが決定され、ホームルームは終了した。
そのまま午後に夏休みの課題テストを受け、放課後になった。
「うあっ……外、絶対暑いだろ。これで走りとか地獄だな」
「はははっ……お疲れさん精々頑張れよ」
「うぜぇな、いい気なもんだよな幽霊部員様は」
「嫌だったら、サボればいいだろ?」
これから部活に行く男子生徒達が騒がしく話しながら教室を出て行く。
僕は彼らとバッティングしないように少し時間を置くと、自分も帰ろうと黙って席を立ち上がり荷物を持った。
悟はこれから委員会の集まりがあるらしく居残りだそうだ。学級委員は生徒会の仕事の手伝いに駆り出さされ文化祭が終わるまでは一緒に帰れないのだと、悟は嘆いていた。ついさっき僕は慰めと同情の言葉をかけて、仕事に向かう悟を見送った所だった。
「…………」
ふと何となくスマホを見ると連絡が来ていた。
時間は三分前。
――来瀬さんからだった。
『放課後ちょっと校門前で待っててくれるかな? すぐ行くから。お願い!』
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