第21話 テーマ決め


「えっと、これから文化祭のテーマ決めをします」


 始業式を終えると先生が言っていた通りにホームルーム学園祭のテーマ決めが行われる運びになった。例によって先生は話し合いを生徒に丸投げしてその場を去っていった。


 前に立つのは学級委員の佐藤さんと悟だ。


 悟は書記として黒板に向かって板書をしており、主に進行役は佐藤さんが務めていた。見ると前に立つ悟の顔は少し強ばっていた。悟は僕と同じで多くの人の視線に晒される場所に立つのは得意ではないはずだが大丈夫だろうか、と少し心配になる。


「何か意見がある人は挙手してください」


 水族館デートでの佐藤さんの様子を思い出す。ずっとおどおどとしていたあの時と比べて、今の佐藤さんはつつがなく話し合いを進行しており、その様はまるで別人のように思えた。僕ならああやって人前で話して取り仕切るなんて到底出来ないだろう。


「どうする?」

「ゆかり、なんか言いなよ」

「え~、なんで私が」


 佐藤さんが呼びかけると、教室の後ろのほうで女子生徒数人が姦しく囁き合い出す。文化祭に向けて浮足立っているな、とその様子を横目で見る。


「…………」


 他のクラスメイトも同じようにざわめいてはいるが誰も手を上げて意見を発することもない。


 こういう場で発言するのは大抵の人間にとってハードルが高い。建前の上ではあたかも全員に発言権があるように見えるが実際の所はそうではない。発言力のない人間がこの場で何を発言しても無駄だ。口を閉ざしている方が無難だと考えるのが普通だろう。


 例えば僕がこの場で何かやりたいことを提案して意見が暖かく受け入れられるだろうか。そんなわけがない。多分話した所で教室は微妙な空気に包まれることだろう。白けるからお前は空気を読んで黙っていろ、と大勢のクラスメイトの視線で刺されるかも知れない。そうなれば針の筵にも等しい。


 つまるところこういう場で意見を言えるのは一部の選ばれた人間に限られるのだ。


「はい」


 そう――


 例えば彼女のように。


 澄んだ声音が教室の空気を切り裂いた。来瀬さんだった。


 バラバラに話していた生徒たちは一斉に静まり帰って来瀬さんの方を向き直る。


「ちょっといいかな」


 そういえばこうしてクラス全体に向かって発言する来瀬さんを見るのは初めてだったなと思う。


「……どうぞ」


 佐藤さんが来瀬さんを指す。


「演劇なんてどうかな」

「演劇……ですか?」


 佐藤さんが問う。


「うん。たしか去年も先輩がやってたでしょ? 悪くないと思うんだけど、どうかな?」


 見に行ってはいないが去年の文化祭でも今の三年生が演劇をやっていたのは知っていた。大方どこかのクラスが毎年やっている定番の出し物なのだろう。


 悪くはないと思った。演劇ならば恐らくは役者として出演するのは一部の人だけだ。僕のようなクラスでも目立たない根暗な人間は裏方に回ることになる。多分小道具作りか、もしくは役割すら与えられないだろうな、と自身の文化祭での身の振り方を考える。


 去年の文化祭は悟と駄弁って過ごしたが、今年の文化祭は一人で過ごすことになる。一人で文化祭をやり過ごすにはその方が都合がいい。


「えっ、演劇? それって私達が演技するってことだよね」

「え、どうする?」

「っていうか演劇なら脚本がいるんじゃないの」

「大丈夫かな。俺演技とか出来ないんだけど」

「いやいや、どうせ全員は出ないんだから、俺もお前も裏方だろ? 何、要らない心配してんだよ。自意識過剰だぞ」


 ひそひそと盛り上がり出す。


「いや、でも演劇となると万が一、他のクラスとのかぶりもあるかもしれないので、まだ決定というわけじゃ……」


 佐藤さんは困ったような顔をしているが誰も佐藤さんの話を聞く者はいない。悟は助け船を出そうとしているのか、何かを言いたそうにしているが結局は何も言えずに口を閉ざしてしまった。


 僕はそんな悟の様子を見て少し安心している自分に気がついていた。佐藤さんと付き合ったことで悟はすっかり変わってしまったのではないか。自分のよく知る悟がいなくなってしまったのではないか、そんな昏い思いが頭をもたげていたのだ。


 もしあの場で悟が颯爽と割って入って佐藤さんを助けていたら。人としての殻を破り成長した悟の姿を見せつけられたとしたら。そう考えるとぞっ、とした。


 だが実際はそうはならなかった。悟は佐藤さんを助けることは出来なかった。しなかった。


 まだ、悟は自分と同じこっち側の人間なのだと考えると酷く安心した。


 僕は今まで悟は親友だから、そう思っていた。親友だからこそ、今までの関係性が壊れるのが怖い、変わってしまうことが恐ろしいのだと思っていた。


 だが、実際の所は自分の酷く自分勝手で傲慢な考えを親友などという都合の良い言葉を持ち出して誤魔化していただけなのではないか。自分と同じ根暗で惨めなままでいて欲しい。そんな堕落しきった、ただ自分が安心したいがために、相手を自分が成長しないことの言い訳に使うために利用する。友情も親愛もそこには何もない。もしそうだったとしたなら僕と悟の一緒にいた十数年は……。


 僕はそこまで考えると恐ろしくなって思考を中断した。


 クラスでは尚も話し合いが続いている。


「えっと、他に案がないなら演劇でいいかな」

「いいと思いま~す」

「来瀬さんが言うなら私も賛成かな」


 来瀬さんが呼び掛けると賛同の声が上がり拍手が起きる。


 いつからか佐藤さんは完全に発言権を失ってただ黙りこくっていた。


「でも、脚本はどうするの」


 一人の女子から声が上がった。それに応えるように来瀬さんは話し出す。


「それでなんだけど………」


 来瀬さんはもじもじとしながら照れ笑いをして言葉を詰まらせる。


「ちょっと自分で脚本を書いてみたくて……」


 ちらちらと視線を向けて反応を伺っている。


「どう、かな……? みんな」


 そこまで言うとクラスメイト達は一斉に反応を見せる。


「え? 来瀬さんが書くの?」

「そういや来瀬さんって、めっちゃ頭いいらしいよ? この前の模試も学年一位だったって」

「マジで? なんかよく分からないけど凄そうだな」

「っていうか、なら既存の話じゃなくてオリジナルのシナリオをやるってこと?」


 クラスメイトは口々に囁いて、教室は一掃の盛り上がりを見せる。


「よかった。大丈夫そうだね」


 話は既に演劇をやるという方向に流れて、シナリオや配役の方にまで話題が進んでいた。

 普通ならばオリジナルの脚本などに反対意見が出てもおかしくない。先行きが不透明である上にシナリオの出来によってはクラスの出し物自体が見るも無惨な出来になる恐れもある。それでも賛成意見が多いのはやはり来瀬さんの人望の大きさが可視化されているな、と感じた。


「そういえば演劇をやるとしても役割決めはどうするの?」

「脚本がまだ出来てないんだから、役も何の役があるかわからないんだから無理じゃない?」


 そして来瀬さんはそんな声を予見していたかのように続けた。


「それでね、確かに脚本はまだ出来てないんだけど、えっと大筋は決まってる。一応男の子の主人公とヒロインがメインの話っていうことは決まってて……。うん、セリフのほとんどはその二人のやり取りになるはず。だから先にそこを誰がやるかだけ決めちゃってもいいかも。他の役もあるけど出番はそれほど多くはならないはずだから。多分その方がやりやすいでしょ?」


 そこまで言うと来瀬さんは佐藤さんに目を向けてニコリと笑いかける。


「ってことで大丈夫かな。ごめんね、佐藤さん。勝手に話を進めちゃって」

「いえ……」


 そう答えた佐藤さんの表情からは何も読み取れなかった。

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