第20話 私の日常

 いつも通り気怠そうな担任の教師が教壇に立つと朝礼が始まった。


「出欠は~、欠席者も遅刻者もなしっ、と」


 その声に夏休みが終わったのを私は実感する。


 ふふっ……。夏休み中に優君と二回も会っちゃった。嬉しくて堪らない。彼に会って話せたというだけで、今までの夏休みが霞んで思い出せなくなるくらい楽しかった。私服姿の優君も素敵だったなぁ……。


 彼はあの古本屋で私と会ったのは偶然だと思っているみたいだけど、実際は偶然なんかじゃない必然だ。


 私は彼が絶版になったあの本のあの巻を探し回って定期的にネットで検索をかけているのを知っていた。前に彼の口から話してくれていたのだ。私は、彼はネットで見たあの情報に食いつくだろうとあの本屋を何度か訪れていたのだ。結果は思った通りだった。実際口コミが投稿されてから二日も経たずに会うことが出来た。本当に行動が予測しやすくて笑ってしまう。


 横目で優君の様子を見る。


 朝礼が始まる前に彼は水島と話していた。


 ふふっ……ははっ……。


 思わず笑いがこみ上げて来そうだ。


 あの二人は気づいてないのか。いや、されとも気づかないふりをしているのだろうか。


 傍目にもよく分かる。


 ――あの二人の関係は決定的に破綻している。


 取り繕って、いつも通りに振る舞おう躍起になっている。


 優君。


 君はなんて愚かで素敵なのだろう。


 私は思わず上がってしまう口角を隠すのに必死だった。


 教壇に立つ担任は今日の予定についてざっくり話した後で一息置くと話題を変える。


「それから、お前らも知っていると思うが。もうすぐ文化祭が始まる」


 文化祭。


 反吐が出る。クソどもが群れる為のクソみたいな行事。去年も誰も彼もが浮足立っては馬鹿みたいに騒いでいた。


 私は笑顔を貼り付けながら、そんなクラスメイト達を内心は冷めた目で見ていることしか出来なかった。


 ああ、でも今年は……違うよね。


 だって――


「さっそく今日の午後のホームルームで何をするか決めて貰うぞ」


 担任が当たりを見渡す。


「え~と、学級委員は……」

「先生、一ヶ月会わないうちにクラスの学級委員も忘れたんですか~」

「おい、田島、うるさいぞ〜」

 

 剽軽者の男子が担任に突っ込むとドッと笑い声が起こる。


 私は心底下らないと思いながらも、軽く口に手を当てて周りに合わせて笑う。そう振る舞うのがここでは自然だ。


「あ、そうか。佐藤と水島か」

 

 佐藤百合と水島悟。この二人 ああ。我ながら


 でも、仕方ないよね。


 全部私をはじき出している、私をこうさせている世界が悪いのだから。こいつらが私をこうさせた。全部こいつらのせいなんだから。


「二人を中心に何をするかと、あと、役割分担を決めてくれ。本番までそんなに時間はないからな~」


 担任はダルそうに言う。


「それじゃあ、始業式があるから。遅れないように体育館に移動すること。以上」


 朝礼を手短に終えると担任は教室を後にした。みんなが話し始めて教室は朝礼の始まる前のざわめきを取り戻す。 


「おはよう」


 私の席に一人の女子がやってくると私に声をかけてくる。


「久しぶり、美咲」


 白鳥美咲。


 茶色の髪に整った容姿に竹を割ったような性格の女。


 一年の時に同じクラスになってから知り合った。他人の目を引く容姿で、はっきりとした物言いの彼女は、周りの様子から一目置かれる存在であることがすぐに分かった。


 ああ、この女がこのクラスの中心になっていくんだ。そう、思った。 


 だから私は高校に入ってから白鳥に擦り寄って、上手く利用しながら立ち回ってきた。この学校という酷く閉鎖的な環境で生きていくためにはそうするしかなかった。


「一回遊んだきり、じゃない?」

「そうだね」


 夏休み中に私は一度だけ白鳥に誘われて一緒に買い物に行ったのだった。本当は断ってしまった。なんで夏休みまでこの女と一緒にいなきゃならないのか。


「来瀬さん、白鳥さんおはよう」


 他の女子二人が私達の会話に混じってくる。


「あれ、白鳥さん、その色付きリップ。前と変えた?」

「うん、麗華が選んでくれてさ。ね?」


 私に全員の目が向けられる。


「えへへ、まあね」

「え、めっちゃかわいい! どこで買ったの?」

「えっと、桜町のお店。知ってる?」

「あ〜、あそこか。行ったことあるよ」

「夏休み中に麗華と二人で行ったんだ」

「へ~、ほんと、仲いいね」


 別に仲良くなんかない。そう見えているだけだ。打算で一緒にいるだけに過ぎない。


「おはよう、麗華ちゃん」


 そこで、長身の男が爽やかな笑顔を向けながら話しかけてきた。


 山崎陽翔。


 サラリとした短髪に茶色の瞳。顔立ちは整っており、サッカー部のエースということもあって女子からの人気も高く、男子生徒からも一目置かれている。


「……おはよう。山崎君」

「久しぶりだね」


 そこで美咲が慌てた様子で割り込んできた。


「あのっ……陽翔君。お、おはよう!」


 私と山崎の間に美咲が割って入る。その頬は薄ら桃色に染まっている。


 美咲は山崎に好意を抱いている。はっきり好意を口にしていた訳ではないが、数ヶ月も端から見ていれば明らかだった。さっきまで話していた女子達も黙り込んで美咲の様子をそっと見守っている。


「……うん、白鳥さんもおはよう」

「えっと……そうだ! 最近サッカー部はどう? 夏休み中も練習忙しいかったんでしょ?」

「あ〜、まあ大変だったけどみんな頑張ってるよ」

「……そっか、大変だね。今度の大会が近いでしょ? 私、応援いきたいな〜」

「ははっ、それは嬉しいな……」


 山崎は薄く笑う。美咲のアピールを受け流しているように見えた。別にこいつらがどうなろうと私は興味がない。美咲の好意が報われようと、そうでなかろうと私には無関係だ。勝手によろしくやっていればいい。


 だが、私の期待に反して山崎はとんでもないことを口走った。


「だったら来瀬さんも来てくれると俺は嬉しいかな」


 その場が凍りつく。


 私は誰にも気づかれないように心の中で歯がみした。


「…………」


 チラリと美咲の方を見る。鋭い瞳が私を射貫いていた。悲しみか、あるは憎しみか。その瞳に映るのは私に対する負の感情だった。


「お誘いはありがたいけど、私ちょっとスポーツ観戦とか苦手だしな。ははは……」


 大丈夫。恐らくはこれが最適な反応のはずだ。


「ああ、うん。そっか、ごめんね」


 ごめん。ただ、自分の評価を上げるために謝罪の言葉を口にして低姿勢を見せていると感じてならない。


「だ、大丈夫。あたしが麗華の分まで二倍応援しちゃうから」

「うん。ありがと。嬉しいな」


 その場は一旦落ち着いたようだった。


 恐らくこの男は私に好意があるのだろう。


 露骨なアピールだった。山崎が美咲よりも私に話しかける回数が多いとは前々から感じていた。


 いや、好意というのも浅ましい。恐らくはただステータスで見ているだけなのだろう。周りにいる異性を比較したときに最もスペックが高いのが私だった。きっとそれだけの話なのだ。


 気持ち悪い。


 だが、それでもこの男はその浅ましい思考を省みることはない。別にそれでも他人から嫌われ自分の地位が落ちることなどないのだから。ただ自分の欲望のままに振る舞い続けることを許された存在。


「えっと、ごめんちょっと抜けるね」

「えっ、大丈夫? 体調でも悪いのかな」


 山崎が私に優しく声を掛けてくる。


 やめろ。これ以上私に関わるな。


 きっとこいつは自分の行動が善意によるものだと疑いもしていないのだろう。自分の行動が周りをどう振り回すかを理解していない。


 何をしても評価される。何をしても愛される。


 後天的に他人に嫌われない振る舞い方を獲得し常に自分の身の振り方に細心の注意を払ってきた私とは違って、生まれながら人に愛されてきた人間なのだと直感的に感じていた。


 嫌われるかも知れないだとか、はじき出されるかも知れないだとかいう引け目も負い目もないのだろう。


 ただ、自分の思うままに自由気ままに動いたとしても、人に嫌われることがない。ただその人であるというだけで許されてしまう。


 取り繕って人に合わせて生きてきた私とは本質的に相容れない生き物。


「うん、大丈夫だから。心配しないで」


 私は廊下に出た。


 ぞろぞろと他クラスからも人が出てくる。あと十五分もすれば体育館で始業式が始まるのだ。


 ああ。ホントに最悪……。せっかく気分が良かったのに。なんで私がこんな思いしないといけないわけ? 本当に何でこんな下らないことに気を揉まないといけないわけ? 私はただ幸せになりたいだけなのに。


 歩く。歩く。人の少ない特別棟の方に歩いて行く。今は誰とも顔を合わせたくなかった。


「あいつらのせいで………クソクソクソ」


 ストレスのせいか無意識のうちに親指を口元に運んでいた。ガリガリと爪を噛む。


 本当に――


 どいつもこいつも死ねばいいのに。


 

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