第19話 ぎこちない会話

 夏休みが明けた。


 新学期で一ヶ月ぶりの学校。クラスメイトとも久しぶりに顔を合わせることになる。


 こんな時にどこか緊張してしまうのは僕だけだろうか。


 僕は学校に登校すると、教室の扉を開けた。


「なあ、お前夏休みどこに行っていた?」

「ん〜、中学校の頃の友達と東京に旅行に行った」

「は? マジかよ」

「おう、めっちゃ楽しかったぜ」

「いいな、羨ましい。俺なんて部活ばっかりでどこにも行けなかったわ」


 自分の席まで移動する間、すれ違いざまにクラスメイトの雑談が聞こえてくる。各々が夏休みの出来事について話に花を咲かせているようだった。


 朝礼が始まるまで約十五分ある。僕は荷物を整理して机に突っ伏した。


 夏休み中は夜更かしをして、昼近くまで寝たりと生活サイクルが乱れてしまった。夏休みが終わる頃になるとさすがに生活リズムを直さなければと焦って、早く布団に入るようになったのだが、結局は暗闇の中目が冴えてしまって全く眠れなかった。当然の帰結として今滅茶苦茶眠い訳で……。


 まぶたの重さに任せて目を閉じる。


 クラスメイトのざわめきが遠ざかって、意味を持たない雑音へと変わっていく。僕はこうして机に突っ伏しているこの時間が嫌いではない。喧噪の中で一人隔絶されているような気分でどこか心地よくすら感じる。


 そこで足音が近づいてくるのが聞こえた。最初は誰かが僕の席の横の通路を通っただけだと思った。だが、その主は僕の机の横で足を止めた。


「……悠、おはよう」


 悟だった。心臓が跳ねる。


 どんな表情を向けていいのか分からない。


 一緒に水族館に行った日。僕達は仲直りをした。前みたいに普通に話し合おうと、そう約束をした。


 だから。今も普通に今まで通りに話をすればいいはずだ。


 悟に彼女が出来た日から抱いた、不安や遠慮や恐れ、そういった負の感情は全て捨ててしまおう。


 そう決めたはずだ。


 僕は自分に言い聞かせる。


 おもむろに顔を上げて、答えた。


「うん、おはよう」


 ちゃんと上手く振る舞えているだろうか。


「何ていうか、久しぶり、だな」

「そう、だね」


 どこか会話がぎこちない。


「あれから家に帰ったか?」


 僕と悟は同郷で去年は一緒に家に帰省していたが、今年は僕は悟の誘いを断ったのだ。


「うん……」

「今年は夏休み中に一回も会えなかったな」

「…………」


 悟が呟く。


「……いや、うん。用事があったんだよな。しょうがないよ。タイミングが悪かった。冬休みこそは一緒に帰ろうな」


 嘘だ。用事なんてない。ただ悟と距離を置くという自分本位な同期で誘いを断った。


 心が痛んだ。目を合わせられない。


 いや、きっとこれは必要なことなのだ。避けることの出来ない痛みなのだと、そう思った。


 悟は何も考えていないのだろう。そこには寸分の悪意もない。ただ僕といつものように接しようとしているだけだ。


 でもきっとこれを間に受けていてはいけないのだ。悟に甘えて今まで通りに悟の時間を拘束するようなことがあってはならない。悟には彼女がいる。悟が佐藤さんと過ごせるように僕が身を引く。それが親友というもので、今の僕の役割なのだから。


 そう決めただろ。何を今更。

 

「…………」

「…………」


 会話が途切れる。

 

 今までどうやって話してたんだっけ。


 不安が押し寄せる。


 いや。


 大丈夫。大丈夫だ。何も不安がることはない。ちゃんとあの日に仲直りしたんだから。僕らの間には何もわだかまりなんてないと確認できたのだから。


 きっと久しぶりに会ったから戸惑ってるだけだ。別に深刻に考える必要はなくて、よくあることじゃないか。


 僕は会話を続けるための無難な話題を探す。


 そうだ、夏休みの課題の話をしよう。


「……悟、数学の課題やった?」

「……ん、ああ。やったやった。あれな〜、めちゃくちゃ面倒だったよな。俺も昨日まで終わってなくてさ〜。死ぬかと思ったわ」

「あのさ、数Bの漸化式の所きつくなかった?」

「あ〜、あそこか〜。あの問題集自体量がえげつなかったけどさ、数列は特にキツかったよな」

「それで、ちょっといい?」

「ん?」


 僕は問題集を鞄から取り出して開いた。


「悟、これ分かる? 解説見ても全然分からなくてさ」


 分からなかったのは事実だが、話を繋ぐのに丁度いいと思ったのが本音だった。


「う〜ん、ああ。これは両辺をこれで割って括ると等比数列の形になるだろ?」

「……どういうこと?」

「えっと、ここ書いていいか?」


 悟は僕のシャーペンを手に取るとノートの端に書き出す。


「えっとこの漸化式をこう変形して……」

「ああ、なるほど……。よく分かったね。流石期末テストの数学が満点だった男は違うね」

「はははっ、お茶の子さいさい、これくらいは余裕のよっちゃんいかだぜ!」

「よっちゃんいか? なにそれ……親父ギャグか?」

「……うわ、やめろよ。そうやって冷静に言われると急に恥ずかしくなってきた」


 ペースを取り戻すように会話のラリーが続いていく。


 そうだ。これでいい。僕達はこうやって毎日くだらないことを言い合って一緒にだらだら過ごして来た。これでいつも通り。そのはずだ。


「お前ら、席に着け~」


 チャイムの音とほぼ同時に担任が教室に入ってくると、生徒達が自分の席につく。


「ん、じゃあ」

「ああ、また後で」


 僕らもまたそこで会話を打ち切った。


 二学期が始まる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る