第23話 彼女の頼み事
校門で十分ほど待っていると小走りで来瀬さんが駆け寄ってきた。
「……はぁはぁ。ごめんごめん。ちょっとね」
ぜえぜえと肩で息をしながら膝に手をつき、息を整えている。わざわざ僕を待たせまいと走ってきてくれたのだろうか、と申し訳なく思う。
「大丈夫だよ」
「えへへ、ありがとね。待ってくれて」
歩きながら話そうか、来瀬さんは僕にそう続けた。
駅に向かう道を横並びに歩いていると来瀬さんがおもむろに口を開いた。
「私さ、演劇の脚本書くことになっちゃたんだ」
「うん……」
同じクラスなのだから当然知っていた。
その事実を僕に言ってどうするのか意図が見えない。僕は曖昧な返事しか返すことができなかった。
暫くの沈黙の後に来瀬さんは覚悟を決めたようにこう切り出すのだった。
「――脚本書くの手伝ってくれないかな?」
「……え」
脚本を手伝う……?
来瀬さんからの予想外のお願いに僕は混乱する。暫くの後、何とか状況を理解しようと言葉を発した。
「手伝うって……僕が?」
「うん。ああ、でも勘違いしないでね……? 脚本を書いてみたいって言うのは本当だよ。だって自分の紡いだ物語が舞台の上で再現されるなんて最高だと思わない?」
脚本を書くことの喜びなど考えたこともなかったが、恍惚と語る彼女の口調にはそうかも知れないな、と思わせるだけの感情が込められていた。
「でも、だけどね。やっぱり私も初めての経験だからさ、一人で全部決めるのは怖いの……」
「それで僕に……?」
「うん、灰谷君は沢山本を読んでるから。一緒に手伝ってくれれば、一人で書くよりいい脚本が書けると思ったの。元々は私が自分でやりたいって言い出したことだし、図々しいお願いだってことは百も承知だけど……駄目、かな……?」
来瀬さんの大きな瞳が僕に向けられる。
「駄目……ってことはないけど……」
「……ないけど?」
来瀬さんが小首を傾げる。
ホームルームでの出来事がよみがえった。
来瀬さんは山崎君と恋仲なのではないか。仮にそうでなくたとしても少なくとも意識し合う仲なのではないか。もしそうだとしたら僕なんかが来瀬さんと関わり続けていいのだろうか。
心が、軋む。
「でも、手伝うって何をすればいいのかな。来瀬さんはそう言うけど、僕に何か出来るとは思えないし」
誘いを断るような、否定的な言葉が口をついて出た。
「アイデア出しをしてくれれば大丈夫。セリフとかは私が考えるから」
いや。
違う。むしろ本人に聞いた訳でもないのに勝手に理解した気になって拒絶することの方が悪辣なのではないか。
それに僕の方から来瀬さんに近づいているわけではないのだ。来瀬さんから言ってきたことなのだから構わない。
僕が責められる謂れはないはずだ。
今度は打って変わって全ての責任を来瀬さんに転嫁する自己中心的な考えが頭を支配していた。
どうしてホームルームの時は自罰的な感情に囚われていたのにもかかわらず、今、来瀬さんに誘われた瞬間に自分への言い訳を重ねて誘いを受けようとしているのか。僕はその根底に横たわる自身の醜悪な感情に蓋をしてその一切を考えないようにした。
「……分かったよ」
うつむき加減に首肯する。
「ありがとう! えっと、それで相談なんだけど……」
彼女は感謝の言葉もそこそこに声をひそめて続ける。だが、その後に続く言葉に僕は絶句した。
「灰谷君の家を使わせてもらってもいいかな?」
「え……」
僕の家に……来瀬さんが……?
状況が理解の範疇を超えていた。
「確か一人暮らしだったよね」
「え……あ、う、うん、そうだけど……。え、ちょっと待ってよ……。そもそも学校じゃ駄目なの?」
僕は慌てるように問いただした。一緒に脚本を考えるとは言っても当然場所は学校だとばかり思っていたのだ。
「いや、それは来週の頭までに脚本を書きあげないといけないらしくてさ……。学校だけでは間に合わないかな。使える時間も放課後くらいだし。だから次の土日に缶詰で書くしかないかなって」
「…………」
「私の家は家族が、ね……。灰谷君と会わせるのも恥ずかしいし、気を遣わせると悪いから……。あと、喫茶店とかも考えたけど迷惑になるし長居は出来ないからね」
照れ笑いを浮かべながら僕に言う。
「…………」
「だから今週の日曜日……いいかな? お願いっ!」
懇願するように、来瀬さんは手を合わせる。
「……分かったよ。お昼からでいい?」
僕は目を逸らして答えた。
「本当に? ありがとう! うん。十二時でいいよ」
来瀬さんはパッと表情を明るくさせる。
「ごめんね。私の我儘に付き合わせちゃって」
「……ううん、全然大丈夫だから」
僕らはそのまま同じ電車に乗って帰宅した。
*
週末。
「ここが灰谷君の家?」
「……ごめんね。古くさくて」
「ううん、全然大丈夫。素敵な家だと思うよ」
二人分の靴が駐車場の砂利を踏みならす。
僕は駅前まで来瀬さんを迎えに行くと、二人で駅から十分ほど坂を真っ直ぐ上がった所に立つ僕の家までやって来ていた。
辿り着いたのは二階建て、各階六部屋の計十二部屋ほどの古く小さなアパート。一階端の角部屋が僕の部屋だ。こうして見ると高校入学と共にここに引っ越して来た日のことが懐かしく感じられる。
「でも一人暮らし大変じゃない? ご飯とか」
「…………」
正直なところ自炊はしていなかった。お昼ご飯は学校の購買で買って、ご飯だけ炊いてオカズはスーパーのお惣菜で済ませることがほとんどだった。仕送りは十分に貰っていたため自炊をして節約に努める必要もなかった。
僕は鍵を開けてドアノブに手をかける。自分の私的空間に他人、しかも来瀬さんを招くという状況に今更ながら緊張してしまう。どこか今の状況に現実感
「おじゃましま~す」
来瀬さんは僕の部屋を見渡す。そこは八畳ほどの狭い空間。他に部屋はなく古びたトイレとキッチンだけが備え付けてある。狭い部屋だが、一人で暮らすのには十分だ。引っ越して以来、不便だと思ったことは一度もなかった。
「意外と綺麗にしてるんだね」
来瀬さんがニマリと笑う。
昨日まで散らかっていた部屋の姿を思いだし、苦笑いを浮かべてしまう。来瀬さんを汚い部屋に招く訳にはいかないと前日の内に何とかして片付けたのだった。
「結構本あるね。すごい……」
来瀬さんの姿を追うと彼女は壁際の本棚に釘付けになっていた。
「見ていい?」
「うん」
背表紙をなぞりながら、時折気になる本を見つけると手に取ってパラパラとページをめくる。
「今は電子書籍とかもあるけどけっこう紙の本も揃えてるんだね~」
「結構好きで買うから溜まっちゃってさ。あはは……」
確かに昨今は電子書籍が発達して紙の本を買う人が減っていると聞く。もちろん僕も電子書籍を利用することはある。実に手軽に多くの本を読むことができる。
だが、それでも僕は紙の本が好きだった。ページを開く時の音、その重量感、紙とインクの匂い、本屋でたまにいい本に出会う時のワクワク感。その感覚を僕は失いたくなかったのだと思う。
「それじゃあ始めようか」
来瀬さんは片手に持っていた白地のバッグからノートを取り出した。
そうだ、ここに来瀬さんが来たのは演劇の脚本を考えるためだ。僕なんかが意見するのは憚られる。だが、わざわざ家まで来てくれたのだから、何か役に立たなければと気を引き締める。
「一応ある程度は考えてるけど、まだ、なんていうかな……ふわっとしか決まってなくてさ。恥ずかしいんだけどさ、まずはちょっと読んでみてくれるかな」
恥ずかしそうに薄く笑って、彼女はそう言ってノートを差し出してくる。
「うん……分かったよ」
僕はノートを両手で受け取ると、折り目のつかぬようにそっとページを開いて読み始めた。
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