閑話 夏休みの一日 前編
夏休みに入ってから一週間が経過したある日のこと。
僕は自分の部屋のベッドでただ眠るでもなく寝転んでいた。
部屋にかけられた時計の針を見ると時刻は午後一時を回る時間になっていた。
部活に所属していれば学校に行って練習に励むのだろうが、僕は帰宅部。夏休みといっても特にイベントもない。そうなれば自然と人間は堕落してしまうもの。僕はこうして昼過ぎになるというのにまだベッドに体を埋めているのだった。
去年の今頃は何をしていただろうか。
ああ、そうか。
ふと、一年生の夏休みに僕は悟と一緒にここから離れた親元に帰ったことを思い返していた。
僕と悟は同郷だ。ここから離れた田舎街から進学して一人暮らしをしている。だから去年は夏休みになるとどちらかが言い出す訳でもなく自然と一緒に実家に帰省するという話になったのだ。
だが、今年は違う。
スマホを取り出して、メッセージアプリを開く。夏休みに入る前に一度だけ交わされた悟とのやり取りをベッドの上で眺める。
『今年は何日に帰る?』
『ごめん、今年は用事があるから先帰ってくれる』
『そっか、分かった』
『本当にごめん』
そこで僕らのやり取りは途切れていた。
悟は去年と同様に僕に一緒に帰省しようと誘ってくれた。だが僕はそれを断ったのだ。
水族館に行ったあの日。僕は悟に彼女が出来たその事実を受け入れると決めた。変わっていく悟との関係を受け入れると決めた。
悟とは小学校の頃から今までずっと一緒にいた。だがら突然彼女の事で僕にはどうすればいいのかなんて分からない。これから僕らはどうなるのか、このまま疎遠になって僕らは親友ではなくなってしまうのか。怖くないといったら嘘だ。
それでも世界は無慈悲に僕を置いてどんどん先に進んでしまう。
過去ばかり振り返ってはいられない。
だから。いい。きっとこれでいいんだ。
「…………」
僕は寝返りを打つとメッセージアプリを閉じてマップを開いた。表示されたのは今日向かおうと考えていたとある場所だ。
「よし、行くか……」
こうしてなかなか外に出ない日が続くと、外に出るのがどんどん億劫になってくる。
カーテンを開けて外の景色を眺める。昨日まではらんらんと日の光が差し込んでいたというのに、今日に限って空は灰色の雲で覆われている。まあ、炎天下で出かけるより好都合だろう。
僕は服を着替えて準備を整えてアパートを出た。
*
いつも通学に使っている駅。その高架下をくぐり抜けてすぐのところにそれはあった。
両隣をシャッターの締った店に挟まれ、赤い看板はすっかり色あせており白のゴシック体で書かれた店名がこの店の古さをありありと伝えていた。
僕が足を運んだのは古本屋だ。出不精の僕がわざわざここまで来たのは「ピクルス大戦争」の絶版になっていたはずの十巻がこの古本屋に入荷したと聞いたからだ。今まではどこにもなく大手通販サイトでも取り扱っているのを見なかったり、あったとしても手を出せない値段だったりしたが、定期的に検索をかけているうちに僕の最寄り駅近くのこの古本屋に僕の求めているものがあるという情報を目にしたのだ。
「ここか……」
チェーン店とは違う雰囲気に少しは気圧されながらも、店内に入る。昔ながらの店だからなのか中はあまり広くなく縦に細長い形になっており両壁と中央の三列に本棚があり、それが奥まで続いていた。
僕はお目当ての本を探すため奥に向かってゆっくりと進んでいく。
そこで見覚えのある顔を見つけて僕は足を止めた。
「あ、れ……」
来瀬さんだった。本棚前で本を吟味していて僕が店に入ってきたことに気づく様子はない。
「ん……あれ? 灰谷君?」
僕はそのまま立ち去ろうとしてしまう。
本棚に戻す音。来瀬さんは僕の肩を叩く。彼女は僕の耳に顔を近づけるとこう囁いた。
「ここで話すと迷惑だし、一旦外に出ようか」
来瀬さんの呼びかけに僕はうなづき返した。
「灰谷君この後、時間ある?」
「うん、大丈夫」
「少しこの辺りを散歩しようか」
僕らは駅の反対方向に向かって歩き出した。どちらが合わせているのか自然と歩調を同じになっていく。
「えっと……来瀬さんはどうしてあそこにいたの?」
一緒に下校したことがあるから分かるが、来瀬さんの最寄り駅はもっと先だったはずだ。わざわざここまで来なくても本屋はいくらでもあるだろうに、どうしてここにいるのだろうか。
「う〜ん、多分灰谷君と同じ理由だと思うよ?」
「え、同じって……まさか……」
自分がここに来た理由。
「ピクルス大戦争……?」
「その通り!」
来瀬さんは正解と言わんばかりに、ビシッと指を僕に向ける。
「ネットで調べたらここに今までどこにもなかったピクルス大戦争の十巻がこの古本屋にあるって言う情報をみたからねっ。まさか、私が行かないわけにはいかないでしょ」
どうやら彼女も僕と同じ口コミを目にしてここに来たようだ。
「でも、まさか灰谷君もいるとはね〜」
「うん、まあね。あはは……」
仄暗い考えが頭に浮かんでいた僕は乾いた笑いを返すことしか出来なかった。
最初から来瀬さんが来るかもと期待してここに来た。本のことなど全ては体にいい言い訳で、全ては来瀬さんに会うためだった。
そんな下心を来瀬さんに見透かされているような気分になったからだ。
いや、そんなことはなかったはずだ。僕はただ本を探してここに来た。それだけだったはずだ。そう断ずることも出来た。
だが、本当にそうだったのか。心の奥底では来瀬さんに会える事を期待していたのではないか。だとすれば、身の程知らずな自分に吐き気すら覚える。
いや、やめよう。すぐにこうして勝手に自己嫌悪に陥ってしまうのは僕の悪癖だ。僕はぐるぐると回っていた自己批判的な考えを頭の片隅に押し込めた。
「ちょっとあそこの公園で休憩しようか?」
古本屋からぶらぶらと歩くこと五分ほどだろうか、来瀬さんが指を差した先にはちょっとした広さの公園があった。小学生くらいだろうか二人の男児が駆け回って遊んでいた。
「よっと……」
「ふう、今日は曇ってるからそんなに暑くないけど、それでも汗ばむよね」
来瀬さんは白のワンピースをつまんでパタパタと動かして空気を送り込んだ。首筋には汗で髪の毛が張り付いている。
僕は見てはいけないとふと目を逸らした。
「お~い、そっちボール行ったぞ」
「おい、どこ蹴ってるんだよ……」
目線を逸らした先では公園で子供達が遊んでいた。ふと、昔の記憶が蘇る。僕が毎日悟と一緒に帰っていた頃の想い出。
「…………」
「灰谷君どうしたの? なんか悩みごとでもあるの?」
声をかけられて、ハッとする。
「いや、何となく昔の事を思い返しただけだよ」
「ん? よくボール遊びしてたの?」
「いや、ボール遊びっていうか……」
勝手にルールを作って変な遊びばっかりしてたから説明に困る。僕はどんな遊びをしてたかを少しだけ話した。
「――って感じでさ、よく遊んでたんだよ」
「ふ〜ん、楽しそうだね」
今になって分かる、僕はあの時本当に楽しかったんだ。
大切な物は失ってから初めてその大切さに気づく、と言う。だとすれば、悟との日々を感傷的にあの頃は楽しかったな、と振り返ってしまっている僕はもう二度とあの日々を取り戻せないのではないか。
ただ単に過去の出来事だからそう思うのか。それとも悟に彼女が出来て変わってしまった関係を受け入れないといけなくなってしまったからなのか。
僕には分からない。
「ははっ……めちゃくちゃくだらないけどね」
「ふふっ、確かにね」
「…………」
昔話は終わった。僕は口をつぐんでただ遊んでいる子供達の方を眺める。
「それで?」
来瀬さんは僕の目を見て真っ直ぐ促した。
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