閑話 二人が親友だった日

 灰谷と水島が中学一年生の、ちょうど冬休みを目前に控えた時期の話だ。


「あ~学校つまんねぇ~」

「まあ、気持ちは分かるよ」


 小石を蹴っ飛ばしながら愚痴をこぼす水島に、灰谷は苦笑しつつ同意する。


「あそこの公園寄ってくか」

「そうだね。別にすぐ帰っても暇だし」


 横を歩く灰谷が答える。


 二人は学校の帰り道、通学路の途中にあるこじんまりとした公園へと向かった。


「この公園久しぶりだな」


 灰谷と水島はしばしば放課後に道草を食って帰っていた。寄り道のスポットはいくつかあり、ここの公園もその一つだったが、ここ最近は来ていなかった。


「おい、優! おい松ぼっくりが滅茶苦茶落ちてるぞ!」


 水島は松の木の下に駆け寄ると、興奮した様子で松ぼっくりを拾った。


「おい、これクソデカいぞ!」


 水島は灰谷に松ぼっくりを見せびらかす。


「松ぼっくりで喜ぶとか、小学生かよ……」


 灰谷は呆れた目で水島を見る。


「よし、優、松バトしようぜ!」

「いや、松バトってなんだよ」

 

 灰谷が突っ込む。


「えっ? 知らないのかよ」

「知らないよ。知ってて当たり前みたいに言われても困る」

「ほら、消しバトってあるだろ?」

「ん? ああ、小学校低学年の頃に流行ったあれか……懐かしい」 


 灰谷は男子達が休み時間になると誰かの机の上に集まって、自分の消しゴムを爪で弾き飛ばして相手の消しゴムにぶつけて机の上から弾き飛ばしたら勝ち。いわゆる消しゴムバトル、略して消しバトが大流行していたことを思い出した。


「あれの松ぼっくり版だ」

「何だそれっ、ははっ、めっちゃくだらねえ、はははっ」


 松ぼっくりをぶつけ合う自分達を想像して笑い声を上げる灰谷を無視して、水島は得意げに続ける。


「よし、やろうぜ!」

「うん、いいよ」


 公園にはベンチが置いてあり、灰谷と水島は対極に移動すると、膝まずいてお互いの松ぼっくりを置く。


「おらっ!」

「うわっ、あぶねー」


 結果、灰谷が三勝、水島が二勝して終えた。


「負けた〜 悔しすぎるな」

「あ~結構疲れたね」

「だな。ありゃ、多分次のオリンピックの競技に選ばれるぞ。強いフィジカルに高度な戦略が求められる奥深いスポーツだからな」

「いや、そんな訳あるかよ」


 灰谷が突っ込む。


「俺達、男子ダブルスで日本代表になれるぞ。あ、でも相手がいないか」

「そりゃ、競技人口二人だからね。まずは松バトを世界に広めないとな」


 くだらない話を続ける。


「ははっ、それにしても思いのほか、盛り上がったな」

「自分で提案しといて思いの外ってなんだよ。まあ、でも確かに結構楽しかったかも。中学生にもなってこんなくだらないことしてるの僕らだけだよ、多分」

「はははっ、違いねぇな」


 二人で仲良く笑い合う。


「ん……?」


 そこで灰谷が怪訝な声を上げる。


「どうした?」

「いや、これ」


 突然、灰谷はさっきまで遊んでいたベンチの下を覗く。


「これは……」


 さっきまで松ぼっくりをぶつけ合っていたベンチの下、たくさん茂った雑草に紛れてある物を発見した。


「財布、か?」


 そこにあったのは使い古してくたびれた黒の長財布だった。灰谷がそれを拾い上げて手に取る。


「……あれ、なんか分厚いような」


 灰谷は特に意図もなく財布のチャックを開く。


「………!」


 灰谷は目を見開いた。


「優……?」

 

 水島も近づいて開いた財布の中身を確認する。


「これは……凄いな。ざっと五十万はあるんじゃないか?」


 財布の中には綺麗な一万円札が大量にあった。中学生にとってはギョッとするほどの大金だ。


「…………」

「…………」


 二人は顔を見合わせる。


「……これ交番にでも届けてあげた方がいいよ」


 そう言って灰谷は財布を拾い上げようとすると――


「いや、やめとけ」


 眉を潜めた水島が押しとどめた。


「……なんでさ」

「だって普通、財布に現金で五十万も入れるか? 絶対ヤバいだろ。怪しすぎる」


 水島は財布に不審な目を向ける。


「そう、かな。 別に交番に届けるだけ。別に普通のことだよ。考えすぎじゃない?」

「考えすぎぐらいでいいんだよ、こういうのは。大体、考えてみろよ。別に首を突っ込んだところで俺らに得はないし、助けた人が善人とは限らないんだ。何なら犯罪に巻き込まれるかもしれないだろ?」

「いや、でもさ。きっと持ち主の人はきっと困ってるよ」


 灰谷は毅然と反論する。


「はぁ……」


 水島は溜息をつく。


「確かに俺はお前のそういうところ嫌いじゃないよ」

「なんだよ。急に、気持ち悪いな」


 灰谷は水島の目を見ることが出来ずに顔を逸らす


「茶化すなよ。俺はマジでいってるんだ」

「…………」

「だからこそ、俺はお前が心配だよ」


 別に本当はこんな柄でもないし、説教たれようって訳じゃないけどさ、そう言って水島は頭を掻きながら続ける。


「世の中には人の善意につけこんで利用する人間がいっぱいいる。テレビで聞いたことあるだろ? 振り込め詐欺だとか美人局だとかマルチ商法だとか。世の中ってのは俺達みたいに田舎の小さなコミュニティの中だけで生きてる子供には想像つかないくらい恐ろしいんだよ、きっと」

「大げさだよ……」

「だから俺達は自衛しなきゃならない。危ないもの、不審な事には関わらない。そういう選択を取るしかないんだ。みんなそうやって生きてる」

「……そんなのって冷たすぎるよ」


 灰谷は目を伏せる。


「だとしても、だ。何か起きてからじゃ、お前が傷ついてからじゃ遅いんだよ。取り返しがつかない。全てが終わってしまった後で加害者が悪いと泣き喚いたところで何も元通りにはならない。受けた傷はなかったことにはならない」

「…………」

「だからこのお金を届けることに俺は反対だ。お前が何かヤバいことに巻き込まれるかもしれないのを黙って見ている訳にはいかない」


 沈黙。


「それは元の場所に置いて見なかったことにしよう。持ち主が気がついて取りに来るかもしれないし。な?」


 水島が言い聞かせるように言った。


「……分かった」


 水島と灰谷は財布をベンチの下に戻すとそのまま帰った。



 そして数日後。


 水島と灰谷は再び放課後にあの公園に立ち寄っていた。


「そういえば、あの財布どうなったかな」


 灰谷は財布を置いておいたはずの


「あれ……?」


 水島が灰谷のシャツの端を引っ張って建物の影に引き込む。


「えっ……何だよ?」

「あれ、見てみろよ」


 水島の目線の先を追うと、以前遊んでいたベンチの所でキョロキョロと周囲の様子を伺っている一人の老人の姿があった。老人だと分かったのは帽子の隙間から見えた男の髪が白髪だったためだ。老人は周囲に誰もいないことを確認するとベンチの下を覗き込んで、あの大金の入っていたはずの財布をポケットに突っ込むとそのまま立ち去っていた。


「あの人……財布持って行った、よな?」

「ああ……」


 水島は何か引っかかりを覚えていた。


「何? もしかして知ってる人?」

「……いや、悪い。分からない。もしかしたらとは、思ったんだけど……」


 二人のいる方向からは老人の後ろ姿しか見えなかった。ここから男が誰かを見分けるのは難しいだろう。


「そう……」


 灰谷は何も分からず。もやもやしたまま、この日は公園には寄らずそのまま帰宅する流れになった。


 だが、翌日の朝になり学校に登校すると、急転直下。灰谷は水島の口から事件の真相を聞かされることになる。


「優、犯人分かったわ」

「え?」

「いや、犯人って言うと大げさか。あの財布を持っていった男の正体が分かった」

「誰だったんだ?」

 

 灰谷は唾をゴクリと飲んで、尋ねた。


「多分だけど、あれは俺の家の隣に住んでる田辺さんだ」

「え?」


 灰谷は素っ頓狂な声を出す。


「ってことは、あれ、お隣さんだったの?」

「ああ、そうだ」


 灰谷はあの帽子を被った白髪の老人の後ろ姿を思い出していた。


「じゃあ、あの財布はお隣さんのものだったってこと?」

「ああ」

「でも、なんで分かったのさ」


 あの時は顔までは分からなかったはずだ。どうして水島は急にあれが隣人だと確信したのだろうか。当然の疑問だ。


「実は俺の母さんとあの人の奥さんが仲良くてさ、よく夕食の時に田辺さんの話を聞くんだよ。まあお隣さんだし別に自然なことなんだけどさ」

「…………」

「それで昨日の晩飯の時に母さんから聞いたんだよ。実は田辺さんの家に今度の連休に東京に住んでる息子夫婦が孫を連れて帰省するみたいでさ。それで滅多に会えない孫に会えるってことで田辺さんは舞い上がっちゃたらしいんだ」

「それが何の関係があるの?」


 灰谷は訝しげに聞く。


「まあ、聞けって」 

「で、田辺さん、孫にプレゼントを買ってやるって言って奥さんに内緒で銀行に溜めて置いた貯金を五十万円全部引き出したらしいんだよ」

「う、うん」


 五十万円。その単語で雲行きが怪しくなってくる。


「でも、最悪なことに田辺さんは帰り道の途中で財布落としちゃったんだ」

「…………」

「それで結局、どうしようもなくなった田辺さんは全部奥さんに白状して、財布を見つけるまで帰ってくるなって怒られて、見つけたはいいものの、今はずっと奥さんに無視されてるところらしい。母さんも苦笑いだったわ」

「……なんじゃそれ」

「だよな、ははっ……」


 灰谷と水島は呆れて乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


「僕が言うべきことじゃないんだろうけどさ。マジで何やってるんだよ……田辺さん」

「ほんとにな、ありゃ怒られても仕方ないわ」

「まあ、でも結局あのお金は別に怪しいものじゃなくてただの落とし物で、ちゃんと落とした人の元に帰ったってことだよな」

「そうだな」


 別に大きな犯罪が関わっている訳ではなかったことに安心する。


「っていうか、それなら交番に届けた方がよかったんじゃ。田辺さんが取りに来る前に盗まれる可能性だってあったわけだし」


 灰谷は水島をジトッと見る。交番に届けるのに反対したのが水島だった。


「……あの時点では分からなかったんだからしょうがないだろ? 結果論だよ、結果論。それに、誰だって落ちてる財布にあんなにお金が入ってたら警戒するって」

「まあ、そういうものか……」

「そういうもんだよ」


 二人はどっと疲れを感じながら、朝礼が始まるのを待つのであった。

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