第13話 私に傷ついて

――水島悟と佐藤百合が付き合った。


 私はあの子、百合にそう指示したからだ。水島悟と付き合え、と。百合は戸惑いながらも私には逆らえないのだが、だが、それだけでは不十分だと思った。私は付き合ったことを普段仲良くしてる女子に漏らすよう百合に言った。


 優君も水島もクラスメイト達が普段どれだけスマホ上でやり取りをしているか知らないだろう。情報の共有も暗黙の合意も実は学校とは別の場所ですでになされているものだ。そしてその輪に入っていない者は弾かれ、取り残され、置いてけぼりにされる。


 百合の周りの女子達もクラスメイト達もゴシップに飢えているはずだと思った。他もならない佐藤百合ならなおさらだ。本人は気づいているか知らないが百合には人望がある。百合の普段一緒にいる女子のグループ。その中心にいるのは間違いなく百合だった。地味でか弱そうに見えてちゃんとすべきところはちゃんとしている学級委員の女の子。私とは違ってみんなに好まれるキャラクターを彼女は素でやっていた。


 そんな百合の恋愛話だ。あっという間にみんな食いついた。無関心な者。面白おかしく仲間内で茶化してネタにする者。狙ってたのにと少なからずショックを受ける者。どうせ緊張してるだろうし私達で二人が一緒に帰れるように手助けしてあげよう、と勝手に盛り上がってる者。


 本当にどいつもこいつも自分勝手だな、とわたしは自宅で流れるメッセージをどこか遠い場所の出来事のように見ながらクラスメイト達を冷笑していた。

 

 次の日。私の作戦が功を奏した。二人はクラスの異様な雰囲気に気づいて、すれ違っていた。その日朝登校して以来一言も話さなかった。そして、水島と百合が付き合っていることを知った瞬間の彼のショックと絶望に染まった顔。そうだ。この顔が見たかった。私はつい恍惚としてしまっていた。


 優君は素敵だよ。でも私は彼の脆さも分かっていたつもりだった。恋人の存在や他人の好奇の視線で簡単に水島との仲を引き裂けると思った。ほら、君のいう親友なんて、友情なんてその程度のものでしかないんだよ? そう囁いてあげたかった。


 私はその日、弱みにつけこむ絶好のチャンスだと思って帰り道に待ち伏せした。かなり時間が経って校舎から出てきた彼に、水島君のことで悩んでるんでしょ、私が話聞くよ、とまるで女を持ち帰ろうとするナンパ師のようなセリフを吐いた。横を歩く彼の和らいだ表情を見て、堕ちた、そう思った。


 だが――


 私の思惑は外れた。彼がいつまで経っても水島のことで悩んでいるのだ。そして口を開けば水島の話。苛立ちが募る。私の中で描かれていたのは水島を引き剥がせば優君は孤立して私に依存して私だけを見てくれるというシンプルで単純な図式。それがガラガラと崩壊する。


 おかしい。おかしい。私の理論に綻びなど何処にもないはずだ。

 

 確かに水島との悩み事があったら聞くと言ったが、あれは建前ですぐに水島のことなんてどうでもよくなると思っていた。確かに彼の心は私に傾いている、それは分かっている。だが、彼の心から水島が消える訳ではなかった。


 私は怖いとすら思った。彼にそこまで思わせる水島が得体の知れないものようにすら思えた。


 そもそも仮に水島と話し合ったとして水島が百合の告白を受けた、その事実が消えるわけではない。人間関係の変化は不可逆で、元になんて戻らない。既に彼の心地よかった関係とは変わってしまっている。だというのになぜ彼は未だに水島に執着しているのか……。


 ああ、そうか。そこまで考えて私は理解した。多分彼は――


 そこまで考えた私は親友と仲直りする機会を用意してあげるという名目で彼を遊びに誘うことにした。彼には適当な経緯をでっち上げたが、実際の所は他の誰が関わっている訳でもなく全部私が計画したことだ。百合には事前に細かく指示をしてある。百合の働きに命運がかかっているのだ、しっかり動いてもらわなければ。


 そして今私達は水族館の入り口。私達は券売機で入場するためのチケットを買った所だ。お互いにイルカの写真と水族館のロゴの入ったチケットを見せ合う。


「じゃあ、行こっか」

「うん、それはいいんだけど。えっと、あの二人は……」


 彼が私の顔を伺いながら言う。あの二人、水島と百合はすでに先に入場していて、既に順路の先を行っている。ふと見ると二人は壁一面を占める水塊とその中を悠々と泳ぐ魚の前でぎこちなく何か会話をしているようだった。水族館の薄暗い光の中、二人はまさに初々しいカップルそのものだ。


 彼は顔を強ばらせて二人の方を見ている。


 ねぇ、優君。きっと君はまだこう思っているんでしょ。別に悟に彼女が出来ても、別に友達は友達だろ? と。ちょっと驚いて動揺しまっただけで、何のことはない。別に今まで通り普通でいいじゃないか、と。


 そうだね。優君。普通の人ならそうかもね。でも君は男女が付き合うってどういうことか知らない。知ってるはずないよね。君はただ親友関係という名のぬるま湯に浸かって満足してきたんだもんね。お互いに仲のいい人が相手しかいない、それが気持ちよかっただけなんだよね。


 普通の男なら付き合いたての彼女と男友達のどちらを優先するだろうか。彼女に一緒に帰ろうと誘われてそれを断って友人と帰るだろうか。彼女とのデートを無下にして友達と遊びに行くだろうか。


 君はもう水島の中で一番の存在じゃない。君は親友に見限られたんだよ。いい加減気づきなよ。


――そして、その事実に気づいた時に君は耐えられるかな?


 私は答える。


「ああ。二人はとりあえず放っておこうか。今回は二人の仲を進展させるためのお出かけだからさ。私達部外者は遠目に見てるくらいが丁度いいでしょ」

「…………」

「それに灰谷君は水島君ともう仲直りしたんでしょ? なら、後は見守ってあげようよ。親友なんでしょ?」

「うん……」


 彼は力なく答える。


 優君。私、分かるよ。君の戻りたかった関係ってこういうことじゃないんでしょ。親友の恋を一歩引いて応援する。それが世間で言えば理想的な友人だということは分かっている。でもそれは君が水島に求めていた関係性では決してない。


「あっ、見てみて」


 私は声を潜めて彼に呼びかけて注意を再び百合と水島の方に向けさせた。彼の視線の先では百合と水島が向き合っている。


 私が百合に視線を投げる。


 二人は恥ずかしそうにはにかんで目を合わせては顔を逸らしたりを数度繰り返すと――そっと触れるようにして手を繋いだ。


 そのまま二人は手を繋いだままゆっくり順路の先に進んでいった。


 横の彼はその光景を見て呆然としている。ふふっ、ホントにかわいい。ねえねえ、ショックを受けちゃったのかな? 確か初めて水島が百合と付き合っていることを知った時もそんな顔をしていた。

 多分彼はあれ以来水島に彼女が出来たという事実を直視しないようにしていたのだろう。ただ水島がちゃんと話さなかったことに不満を持ってるだけで、水島に彼女が出来たこと自体が嫌で堪らないという本当の気持ちを誤魔化していたんじゃないか。


 そして今彼はその事実を直視せざるを得なくなっている。


「良かったね。私達が付き添う必要もなかったかもね」

「……え? ああ」


 彼は呆けた声を上げる。


「だって別に私達が何かしなくても勝手に仲良くなっていきそうな雰囲気だったよね。何なら今日で行くところまで行っちゃたりしてね」

「え……」

「佐藤さんが告白したらしいけど、水島君ももう佐藤さんにぞっこんなんじゃないかな。だって多分今手繋いだのって水島君が誘ったよね。ホントにお似合いだし、上手くいってほしいよね~」

「そう、だったかな……」

「あ~あ、私、佐藤さんが羨ましいな。あんなふうに自分を好きになってくれる彼氏がいて」

「…………」


 私は彼の心を折るために故意に言葉の刃を突き立てる。明らかに彼のリスポンスは悪かった、きっと私の言葉が追い打ちをかけるように彼の心を傷つけていることだろう。自分の見ていない間に親友はそこまで進展していたのか、集まった時に誤解を解いたはいいものの親友は自分のことをもう何とも思っていないのではないか。そんな不安がぐるぐると渦巻いていることだろう。


 ほら、私の言葉に傷ついてよ。もっと。もっと。


「じゃあ、私達も行こうか」


 そして私と彼はゆっくり二人の後をついて行った


 

 




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