第4話 私の家族

「ちょっとちょっと悟、何やってるんだよ! なんで学級委員なんかに……」


 ホームルームが終わると、すぐに僕は悟の席まで行って声をかけた。どうして悟は約束を破って図書委員に立候補せずに、学級委員になったのか。納得出来る説明がほしかった。僕としては急に梯子を外された形だ。問い詰めるように少し語気が強くなる。


「ごめん、本当にすまん!」


 悟は僕の姿を見ると手をパチンと合わせて再び謝って来た。僕はその姿を見て溜息をつく。


「はぁ……何で急に変えたんだよ。大体学級委員なんてお前は一番やりたがらないはずだろ?」


 そうだ。悟が学級委員というのがまず腑に落ちない。最初は耳を疑いさえした。だって、昨日までは出来るだけ楽な委員会にしようと話していたし、実際僕の見てきた悟も体育祭や文化祭といった行事で矢面に立つどころか、目立たない所でサボるような人間だ。とても


「頼まれたんだよ」 

「は?」

「いや、実はさ……ホームルームが始まる直前にさ、佐藤さんに一緒に学級委員やってくれないかって頼まれたんだよ」

「………」

「俺、ホームルーム始まる前にトイレ行っただろ? その時に廊下で佐藤さんに話しかけられてさ」

「いや、それは聞いたけどさ……」


 それは知っている。


「でも、おかしくないか? 何で悟に……お前、別に佐藤さんと仲がいい訳でもないんだろ」

「……いや、それは分からん。俺も一回は断ったんだけど、どうしてもって言われちゃって断れなかったんだよ。何なんだろうな、押せば言うことを聞いてくれそうなチョロそうな奴だとでも思われたのかな……」


 悟は憂鬱そうに答える。そりゃそうだ。学級委員なんてどう考えても一番面倒なんだから。


「はあ……」


 僕は溜息をつく。


「お前も可哀想だけどさ……僕だって半年間、一人で図書委員になっちゃたんだぞ?」

「はぁ? 俺なんて学級委員だぞ? クラスの仕切りとかしないといけないんだぞ? そんなに嫌なら何なら今から代わるか? 多分まだ先生に言えば間に合うぞ」

「勘弁してよ。悪かったって」


 悟がわざとらしく涙ぐんで僕に詰め寄ってくる。確かに僕達のような日陰者としては学級委員なんて一番なりたくない役柄だ。行事になったらクラスを仕切ってクラスの陽キャ共に指示をしないといけない。考えただけで最悪だ。同情を禁じ得ない。


「はぁ……本当は全部佐藤さんに任せたいくらいだけど、それは流石にダサいだろうしな……優、お前はいいよな。 お前来瀬さんと一緒だろ? 役得じゃないか?」


 しょんぼりと項垂れながら自分の机に突っ伏す悟がそんなことを言ってくる。


「お前……僕が女子とまともに話せると思うか? 二人っきりなんて絶対、話すことがなくて気まずくなるに決まってる。昼休みとか放課後のこと考えただけで胃が痛くなりそう……」


 図書委員は昼休みと放課後に同じクラスの委員二人で本の貸出の当番があるらしく、それは即ち当番の日は来瀬さんと一緒に昼休みや放課後に同じ時間を過ごさなくてはならないことを意味していた。


「はははっ……まあ、それもそうだよな。伊達に俺ら陰キャやってないもんな」


 悟と二人ならそれなりに楽しくやれるだろうと図書委員を選んだのが、完全に裏目に出た形だ。だが、悟も悟で学級委員なんていう一番面倒な仕事をしなくてはならなくなった訳で、むしろ僕より嫌な目に遭っている。悟のせいでこんな目に、と文句をも言えない。


「まあ、とにかく……お互い頑張るしかないな……」

「ああ、そうだな」

「それじゃあ帰るか」


 そうして僕達はダラダラと愚痴を言いつつ、いつも通り駅まで一緒に下校すると別れた。


 

 私が家帰るころには、既に日が暮れる時間になっていた。私は帰宅部だが、帰り際に付き合いせクラスメイトと遊ぶことも多いため、帰りが遅くなることが多かった。

 ただ、最近は別の理由で遅くなっているのだが。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 玄関に入ると、そんな女性の声が聞こえて来た。


「俺のタバコ、どこやったんだよ! おい、聞いてんのか! クズ」


 続いて男の怒鳴り声が聞こえてくる。あれは、私の父親、いや父親だった何かだ。

 廊下の先にある扉は空いており、居間の様子がよく見える。父親が何かを投げつけているのが見えた。


「ごめんなさい、すぐに買って来ますから……」

「チッ……自分で買いにいくから、いい」


 父親はそう言って私の横を通り過ぎるとそのまま家を飛び出していった。

 女性、いまは私の義理の母にあたる志穂さんが私の存在に気づいたのか、廊下まで出てきて声をかけてくる。


「ああ、おかえり。麗華ちゃん」

「…………」


 彼女の頬には痛しい傷がついていた。チラリと志穂さんの背後を見ると、居間の床には灰皿が転がっていた。彼女はハッとして傷を手で隠した。


「ごめんなさいね、見苦しいわよね。でも、これは私が悪いの」

「あの……何で離婚しないんですか」

「……だって、これは信次さんのタバコを無くした悪いの。あの人だって悪い人じゃないから。だって私たち家族でしょ」


 志穂さんはそう言って薄く微笑んだ。


 父親はもう何年も前から酒とタバコの重度の依存症だった。酒とタバコのどちらかが切れるとこうして志穂さんに当たるのがこの家の日常風景になっていた。

 私は志穂さんの言い草に苛立っていた。どうして何も行動しないのか。ただ、現状に身を任せて何も行動を起こさず、父親に隷属しているくせに、母親面をしてくるこの女に腹が立った。


「――いえ、もういいです。こんなこと貴方と無関係の私が言う資格ありませんよね。何でもありません。失礼します」

「あっ……」

 

 私は何か言いかけた志穂さんに背を向けた。


 本当に毎日毎日、いい加減にしてほしい。いつからこうなってしまったのか。いや、そんなことは分かりきっている。全ては十年前のあの日だ。あの日お母さんは……。


 あんな奴ら家族でもなんでもない。


 私は彼らのことを無視して二階に上がった。


 自分の部屋に入るとバタリとベッドに倒れ込むと、ベッドの下からビニール袋を取り出した。


 袋の中には体操着が入っている。刺繍された名前は灰谷。そう私の王子様の体操服だ。彼のことを身近に感じたかった。机の引き出しには彼の消しゴムやシャーペン、ノートも入っている。


 今日、体操服が無くなった時に優君、困ってたな。焦って水島君に相談なんかして。ごめんね? でも私耐えられなかったの。今の私が優君をいつでも身近に感じられる方法はこれしかなかった。でも、優君が私のせいで困ってるのを見て私は思わずにやけてしまいそうだった。私が彼に何か感情を与えられたことが嬉しくて堪らない。


 「はぁ……はぁ……優くん、優くんっ」


 彼の体操着に顔を埋める。少し湿っているのはきっとしみこんだ彼の汗。ねえ、優君、君の匂いでさっきまでの嫌な事全部忘れさせてよ。妄想が膨らむ。


「あっ、ん~~」


 彼の匂いが脳を満たす。下腹部がキュンと切なくなるのがよく分かった。その瞬間私はすっかり嫌な出来事なんて忘れていた。


 この前まではこういうことには嫌悪感すら感じていたはずなのに、私はどうしてしまったのだろう。オカシクなってしまったのだろうか。でも、いい。彼にオカシクされるのだったら本望だ。


 ひとしきり、堪能すると。私はベッドに寝転んで天井を仰いだ。


 運命の出会いから一週間が経過した。それからと言うもの私は彼の事について調べた。


 名前は灰谷優 君。友人は少なく話しているのは同じクラスの水島君だけ。部活には所属しておらず、授業が終わるとすぐに帰宅する。電車に乗る時間。何時に家を出て、何時に帰るか。好きな本。ちょっと尾行すればすぐに分かることだった。ちなみに最近私が帰宅するのが遅いのもそのためだ。


「えへへっ」


 そして最も大きな収穫は彼と同じ委員会になることに成功したことだ。まずは彼と距離を近づけることが先決だと考えた私は、委員会決めを利用することにしたのだ。図書委員になったのは都合がいい。きっと彼の好きな本の話題を利用すれば距離を近づけるのはそう難しくないだろう。なんせ彼、女慣れしてなさそうだし。ああ、でも彼の視線が言葉が私に向けられると考えただけでニヤけてしまう。


 あの娘は本当にいい働きをしてくれた。彼女にはこれからも協力して貰おう。


 私はそんな事を考えつつベッドから起き上がった。


 勉強机の横の棚の上に置いたお母さんの写真。幼い私と一緒に微笑んでいるお母さんを指で撫でる。


「ねぇ、お母さん。私これで幸せになれるんだよね」

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