第5話 共通の趣味

 委員会決めも終わって、その週の金曜日になった。僕はそわそわと緊張していた。どうしてか?

 今日は遂に委員会の初めての集まりのある日なのだ。つまりは来瀬さんと顔を合わせる日。

 断じて彼女とどうにかなろうとか思ってないし、なれるとも思わない。あっても事務的な会話のみで特に話すことすら無いだろう。しかし、手の届かない高嶺の花である彼女と同じ委員会というだけで妙に緊張してしまうのは日陰者の僕にはどうしようもないことなのだった。


「あ~あ、嫌だな~、よく考えたら、前期だから文化祭の仕切りとかもしないといけないんだよな」


 悟が机に突っ伏して泣き言を言っている。そう前期の委員会の任期は十月頃まで。文化祭の仕切りが前期の学級委員の最大の仕事になるのだ。


「いや、そんなこと最初から分かってただろ? 本当にどうして引き受けちゃったんだよ……」

「だってさ、仕方がなかったんだよ……ううっ……あんな頼まれ方しちゃさ」


 悟がわざとらしく泣き真似をしているのを見て、僕は呆れる。


 授業が全て終わって委員会が始まる直前、悟と僕はいつも通りこうして駄弁っていた。話題は専ら委員会活動の愚痴だ。悟は自分で引き受けたもののやっぱり学級委員が嫌らしく、この通り、ことあるごとに愚痴を言っているのだ。休み時間も放課後もあまりにも学級委員の愚痴ばっかり言うものだから、最近は適当に受け流している。ごめん、悟。


「灰谷くん?」


 その時。肩を後ろからトントンと叩かれた。振り返るとそこにいたのは来瀬さんだった。僕を覗き込むそのキレイな瞳に思わずドキリとしてしまう。


「図書委員で一緒だよね。よろしくねっ」

「えっ……あっ……はい」


 ニコリと微笑む彼女に思わずどもってしまう。不審に思われなかっただろうか。恥ずかしい。

 


「えっと……君は水島君だよね」


 来瀬さんが横で居心地悪そうにしている悟に目を向けた。自分が話しかけられると思ってなかったのか悟が肩を跳ねさせる。


「は、はいっ……」

「確か学級委員だよね、百合のこと、ちゃんとリードしてあげてね? 私、百合と同じ中学校だったんだけど、ちょっと真面目すぎて根詰めちゃう所があるから、ね?」


 教卓前の自席で教科書を鞄に詰めている佐藤さんを一瞥すると、ニコッと悟に微笑みかけてそう言った。


「うっす……」


 悟、お前もか……。たちまち陰キャ二人が人気者の女子に対して萎縮している構図が完成。滅茶苦茶情けない。

 ただその可憐な容姿だけではなく、僕たちのような日陰者にもこうして気さくに接したり、クラス全体を見て気配りが出来る所が来瀬さんが人気者たる理由なのだろうな、とそんなことを思った。



「場所は図書室だよね、一緒に行こ?」

「…………」


 別に一緒に行く予定ではなかったが、彼女の申し出を断ることも憚られたので、僕は来瀬さんの後ろをついて行く形で図書室へと向かった。


「行ってこいよ」


 席を立つ時にポンと悟に背中を叩かれたのが少しうざったかった。



 来瀬さんと一緒に図書室を開けると既に十数人な生徒が集まっていた。委員長と副委員長、そして書記と思われる三人の生徒がホワイトボードの前で何やら書きながら話し合っている。恐らくは今日の議題や進行について確認しているのだろう。


 他の生徒は思い思いの席に座って雑談に興じている。

 

「あっ……あそこ空いてるから一緒に座ろっ」


 来瀬さんが指さす方には空席が丁度よく二つ。そして彼女は片方の席に座ると、もう一方の席に座るように手招いてくる。僕はそれを拒絶することも出来ずに彼女の横に席を確保する。


 沈黙。


 予想はしていたが、やはり気まずい。何か自分から話題を出した方がいいのだろうか。でも、女子と二人だなんて何を話したらいいんだ……。今の僕には経験値が足りなさ過ぎる。他の生徒のガヤガヤとした声だけが聞こえてくる。


「灰谷くんはさ、本、好き?」

「え?」


 沈黙を破ったのは来瀬さんの方だった。


「ほら、図書委員に立候補するくらいだから」

「まあ、はい……そうですね。好きです」


 楽そうだからというのが一番の動機だったが、本が好きというのは間違いなかった。特に小説に関しては人並み以上には読んでいるという自負がある。


「えっ、そうなんだ! 実は私も結構本、好きなんだ」


 意外だった。彼女はクラスでいつも誰かに囲まれて話している姿ばかり目に入ったので、読書が好きという印象がなかった。

 彼女は、実は図書委員を選んだ理由はね、と続けた。


「他の委員会はどれも大変そうだし、私、みんなの前に出て何かするの得意じゃないから……。図書委員なら人前に立たなくていいし仕事の途中に読書とかしててもいいでしょ? だから図書委員にしたの」


 来瀬さんも委員会を面倒くさいとか思うんだな。アホみたいな感想だが、本当にそう思った。少し話しただけだが、それでも自分の中にあった彼女への偏見が崩れていくような気がしたのだ。

 僕は来瀬さんを自分とは全く別の世界の人間だと思っていた。悟に来瀬さんを人間味がない、嘘くさいだなんて言っていた。その時、僕はそれは偏見だろ、と突っ込んだけど、実際、僕も来瀬さんのことをどこか偶像として見ていた。

 かわいくて、明るくて、みんなに慕われる、完璧な少女。関わってきた人達も価値観も全く違う。僕と彼女は決して交わることはないと信じて疑わなかった。

 でも、実際はそんな事は無いのかもしれない。僕は彼女と少し話しただけで不思議と彼女に親近感が芽生え始めた。

 

「なら、一緒におすすめの本の話でもしようよっ。ほら、どうせ、これから委員会の当番一緒でしょ? 私もいろんな本と出会いたいし」


 心臓がうるさいほどに高鳴る。来瀬さんとこうして、共通の趣味で意気投合するなんて、ついさっきまでの僕なら信じられなかっただろう。


 彼女が自分のカバンをゴソゴソと探りだす、どうやら彼女の愛読書を見せてくれるようだ。上手くリアクションを返せるだろうか。知っている本ならいいんだけどな。


「ちなみに、私の好きな本はこれなんだけど、灰谷君知ってる?」


 取り出したのは一冊の本。表紙を見て僕は目を見開いて驚いた。一瞬何が起こったか分からなかった。


 それは『ピクルス大戦争』だった。


 僕が何度も読み返すほどの大好きな本。


 この本は少なくともこの学校の生徒では僕しか読んでいないものだと思っていた。人気もなく、評価は最悪、この良さは僕だけが分かっていればいいとさえ思っていた。それなのに、まさか――


「来瀬さんがこれを?」


 嬉しさのあまりつい食いついてしまった。この本の面白さを共有できるかもしれないという期待が先行し過ぎた結果だった。顔がニヤけてはいなかっただろうか、恥ずかしい。


「変?」


 彼女が小首をかしげて尋ねてくる。まずい。怒らせてしまったか……。僕は慌てて否定する。


「いや……ごめんっ。そう言うことじゃなくて……まさか、その本を読んでる人がいると思わなかったから……」

「ふふふっ……別にそんなに慌てなくていいよ。確かにこの本読んでる人はあんまりいないかも。本屋さんにもほとんど置いてないし。でも、ってことは灰谷君もこの本読んでるの?」


 彼女がグイッと顔を近づけてくる。近い。カッと顔が熱くなるのが自分でも分かった。それが彼女に気づかれたくなくて思わず顔を伏せる。


「うっ……うん」


 僕はどんな顔をしていただろう。何だか耳たぶまで熱くなってきた。もう正常な思考が出来そうにないほどだ。


「え! ホントに!」


 そう言うと来瀬さんが急に腰を浮かせて、ガタンと彼女の座っていた椅子が音を立てた。


「あっ……」


 僕が思わず小さな声を上げてしまったのも仕方のないことだ。――彼女が急に両手で僕の手を握ってきたのだから。


「ご、ごめんね。嬉しくてつい……」


 来瀬さんは自分の取った行動を今になって自覚したのか、パッと手を離して照れた様子でそっぽを向いた。


 人生で初めて触れた女の子の手だった。来瀬さんの手は、細くて、折れそうで、冷たくて、それですべすべで……って僕、何考えてるんだろう、気持ち悪いよね。彼女はただ同じ本を読む同士を見つけて嬉しくて手を握っただけなのに、こんな下心を持っては来瀬さんに失礼だ。


「え~と、それでは、委員会を始めたいと思います。まず、自己紹介から~」


 丁度その時、委員長と思われる男子生徒が話し始めた。私語で満ちていた空間が一斉に静かになる。それから、委員会の仕事内容、当番のシフト決めなどが行われた。


 来瀬さんは前を向いて、しっかり話を聞いていたようだった。だが、僕は来瀬さんのことが頭から離れず、彼女の綺麗な横顔を盗み見たりして、全く話が頭に入ってこなかったのだった。

 


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