第6話 一緒の帰り道

「あ~、疲れた」


 僕より先に靴を履き替えた来瀬さんは外に出ると昇降口を出ると、ぐっと背伸びをする。グランドからは威勢のいいかけ声が聞こえてきた。腕を伸した時に出来たシャツのしわや薄ら透けて見えたブラジャーにドキリとしてしまい、僕は思わず目線を靴に落とした。


「ほら、何してるの? 早く早くっ」

「す、すいません。すぐ行きます」


 彼女がまだ靴を履き替えている僕の方を振り返って催促してくる。

 僕は返事をして彼女の横へと向かった。


「今日も誰も来なかったね」


 校門までの並木道、僕の横を歩く来瀬さんが問いかけてくる。春にはここはピンク色に染まるのだが、今はもう六月の初めだ。桜はすっかり若々しい緑の葉で覆い茂っている。


――図書委員になってから一ヶ月半ほどが経過した。


 図書委員の当番は週に一度のペースでやって来るが、放課後の図書室にほとんど人が来ることはない。いるのは僕たちと司書さんくらいなものだ。

 だから、大抵の時間は僕と来瀬さんは貸し出し用カウンターの向こう側に座り、静寂の中横並びで本を読んでいた。だが、気まずい。最初の方は緊張して来瀬さんの隣から早く逃げ出したいとすら思って、ほとんど本に集中出来なかった。


 だが、転機が訪れた。彼女とは通学路が被っていて同じ電車で通学していることが判明したのだ。


 そしてそれから、彼女の提案で当番のある日は一緒に下校するようになった。共通の話題があったからか、あるいは彼女の気さくさのせいか、気がつけば普通に会話できるようになるのにそう時間はかからなかった。


「ねえねえ、私、今日、あそこまで読んだよ」


 来瀬さんは大抵図書室では『ピクルス大戦争』を読んでいた。彼女が読んでいるのはまだ序盤の方らしい。だから、僕らの帰り道での定番の話題の一つが彼女が今日はどこまで読み進めたか、ということだった。


「えっと、ほら、主人公が周りの反対を押し切って敵のたくあん大帝国に単身乗り込もうとするところ! あれ、感動だよね、私もちょっとウルッときちゃった」


 ピクルス王国がたくあん大帝国に侵略されて、王様も含めて誰もが国の滅亡を覚悟する中で、主人公だけが敵地に乗り込んでいくという、多分序盤では最も感動的で、僕も大好きなシーンだ。

 

「ああ。いいですよね」

「よかった~、灰谷君なら共感してくれると思った」

 

 彼女はそう言うと、えへへと笑った。


「ちなみに灰谷君はどこまで読んだのかな?」

「僕は十巻の途中までですかね」

「えっ、めっちゃ先じゃん! 私なんてまだ三巻だよ?」


 僕は彼女とたわいも無い会話をしながら、ふとこの一ヶ月半くらいの彼女との出来事を思い返していた。


 彼女とは委員会が同じになって、同じ本が好きだと分かって、帰り道も同じで。


 きっと僕は他人と壁を作って生きてきた。高い壁で他人を排除し続けて、結局今では内側に入れるのは親友の悟だけになっていた。小さな頃は物怖じせずに誰とでも仲良く出来ていたはずなのに、いつからか僕は他人を恐れるようになってしまっていた。他人どう思われるか怖くて結局関わらないと言う選択肢をとってしまう。


 でも、彼女はそんな僕の壁の中に内側に入り込もうとしてくれる。口下手で無愛想な僕に笑いかけてくれる女の子が現れたのだ。


 あれだけ人が怖かったはずなのに、いつしか彼女といる時間が心地よくなっていた。


――こんなの好きにならない訳がない。 


 僕はチョロいやつだ。ただ一緒に話してくれるそれだけで好きになってしまうのだから。僕にとって彼女が特別でも、彼女にとってはそうではないことくらいよく分かっている。彼女は僕にだけ優しいわけじゃない。みんなに優しいだけなのだ。

 それでも、芽生えてしまった好意は消すことはできない。


「何、ニヤけてるの?」


 ほら、油断すればこうやってすぐにバレてしまう。来瀬さんが僕の顔をぐっと覗き込んでニヤニヤしながら問いかけてくる。僕は思わず顔を逸らした。


「ほら、どうしたの? 言ってみ? 言ってみ?」

「……いや、こうやって一緒にこの本の話を出来るなんて思わなかったから。ちょっと嬉しくて……」

「へえ~、嬉しかったんだ?」


 来瀬さんはニンマリしながら問いかけてくる。時折こうやって僕をからかってくる癖がある。彼女と話している内に来瀬麗華という女の子のの色々な一面が見れるのが嬉しかった。


「いや、からかわないで下さいよ」


 俯きながらそう言うと、彼女はごめんごめんと、言いながら悪戯っぽく笑った。


「まあ、でも、この本って読んでる人全然いないもんね。多分この学校で読んでるの灰谷君と私だけじゃない?」


 灰谷君と私だけ、思わずその響きに心臓が跳ねた。


「い、いや、実は悟にも勧めたんですけど、全然読んでくれなくて。あいつ興味無いことはとことんやらない性格なんですよ。昔から何を勧めても自分はあんまり興味ないの一点張りで――」


 途中まで言ってから後悔した。何の前置きもなく悟の話をしてしまったからだ。僕にとっては悟は親友だが、彼女にとってはそうではない。これは失敗だったかもしれない。彼女の言葉に動揺したのを、咄嗟に取り繕おうと焦ってしまった結果だった。上手く話題選びも出来ない自分に嫌気が差す。

 

「……そういえば、灰谷君って水島君とは仲がいいんだっけ? 教室でよく一緒にいるよね」


 彼女の反応を聞いてほっとした。引かれた訳ではなさそうだ。折角こうして話せるようになったんだ。彼女に嫌われて話せなくなったら僕はショックで耐えられそうも無い。


「いつから一緒なの?」

「小学校からの親友ですね。あいつは――」


 緊張がほどけた僕は昔を懐かしみながら、僕の今までの悟のことを話し始めた。


 悟と出会ったのは小学校に上がって少しした頃だった。当時の僕らはここから離れた片田舎の小学校に通っていた。僕らは通学路が一緒で、気がついたら一緒に下校するようになっていたのだ。学校で他の友達と遊ぶのも楽しかったけど、悟との放課後の時間は今考えると凄く特別でかけがえのない時間だったと思う。帰り道に公園の寄っては誰も思いついていない遊びを思いついたと言って、互いに喜々として発表し合っては試していた。帰りが遅くなって、母親に怒られたりしたっけ。 中学校になっても僕らはともに帰宅部で、毎日一緒に帰っていた。


 そして去年から隣の市のこの高校に一緒に通うことになった。それなりに成績の良かった僕は先生に市外のこの高校を強く薦められたのだ。悟もこの高校に通うと聞いたときは嬉しかった。小学校から長い時間を共有した一番の親友である悟と疎遠にならずに済んだことに安堵した。そしてなんだかんだ、高校生になった今も僕らは一緒にいる。


「――と、そんな感じですね」


 そんな僕の昔話を彼女はただ黙って聞いていた。


「……本当に仲がいいんだね」

「え?」

「水島君のことを話している時の灰谷君、すごく嬉しそうな顔してたよ?」


 僕はそんな顔をしていただろうか。だとすれば本当に恥ずかしい。僕はまた顔を背ける。ああ。今日はこんな反応をしてばかりだ。


「それに、さっき言いかけてたじゃない? 灰谷君が本を勧めても水島君は読まなかったって」

「…………」

「それでも一緒にいるんだから、本当に仲がいいんだなって思ったの」


 そう言われてハッとした。確かにそうか。


 別に何もかも悟と趣味が合わないと言う訳ではない。漫画やアニメの話だって普通にする。それらは話題の一つであって、決して僕らの関係をつなぎ止めている物ではない。

 それでも僕らは小学校に出会って以来、ずっと一緒にいた。


「羨ましいな」


 聞き間違いかと思った。遅れて彼女は僕に羨ましい、と言ったのだと気づく。


 羨ましい? 何が? 決まっている。僕と悟の関係性だ。


 でも、来瀬さんには友達なんていっぱいいるはずだ。教室で見る来瀬さんはいつでも人に囲まれて楽しそうに笑っていた。僕からすれば、そんな来瀬さんの方がよっぽど羨ましい。


「私もそんな関係性の人がいたらな~」


 彼女がそう言って僕の方をチラリと見てくる。


 ふと、悟が以前に来瀬さんのことをどこか嘘っぽい、と言っていたことを思い出した。あれは彼女が無理をしてクラスの人達と仲良くしていたことに悟が感づいたのではないか。無理して笑って、周りに話を合わせている。そういうことだったのではないか。ただの憶測に過ぎない。でももしそうならば、教室で見た彼女の笑顔の意味が変わって見える気がした。

 

「えっと、それって――」


 僕はその発言の意図を聞こうとしたが、それは他ならない彼女によって遮られた。

 

「だから、まずその敬語!」

「え?」


 彼女が僕をビシッと指さした。


「え? じゃないでしょ? 灰谷君、私と知り合ってからどれだけ経つと思ってるの? もう一ヶ月半だよ? そもそも、クラスメイトなのに敬語っておかしいからねっ」 


 確かに来瀬さんはタメ口なのに、僕は彼女に対して敬語だった。今まで異性とほとんど話したことのない僕にとって、いくら共通の話題で打ち解けて来たとはいえ、タメ口で喋るのはあまりにもハードルが高いことだった。


「いや、そんな……急に」

「うるさいよ! ほら、今から敬語禁止ねっ」


 それから、僕は電車で来瀬さんの降りる駅までずっとタメ口で話すという羞恥プレイをさせられたのだった。

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