第3話 体操服と委員会決め


 新学期が始まって二週間ほどが経過した。僕はすっかり電車で痴漢を追い払ったこともすっかり忘れて、平凡な学校生活を送っていた。

 授業を受けて、休み時間は悟と話してて、放課後になったらすぐに悟と帰宅するそんな今までと何も変わらない毎日を繰り返す。


「あれ……? おかしいな……」


 だが、今日朝礼を終えてロッカーをのぞいてみた僕は困り果てていた。ロッカーには教科書や辞書が積まれている。だが、目的の物がどこにも見当たらない。


「なあ、僕の体操着何処にもないんだけど」


 今日は三時間目に体育があるというのに体操着がない。前回体育があったのが一昨日。大して汗もかいていないし教室のロッカーにしまい込んでいたはずだ。だというのに今日見たら、なくなっているじゃないか。これでは授業に出れない。


 僕は焦りつつ悟に打ち明けた。悟に話した所で解決しないことは分かっていたが、とにかくこの状況を誰かと共有したかった。


「えぇ……どっかに置き忘れたんじゃないのか?」

「いや、そんなはずないんだけどな……家にもなかったし」

「じゃ、仕方ないから今日は体育準備室で体操服借りろよ。今の内に言えば別に怒られないと思うぞ」


 悟は何とでもないように返してくる


「うん……」


 はぁ……。僕は心中で溜息をつく。でもまあ、今はとりあえずそれしかないか。一時間目が始まる前に体育準備室に行くことを決めた。


「……どうかしたのか?」

「え?」


 すると悟が急に改まった様子で僕に尋ねてきた。どうかしたのか、というその曖昧な質問の意図が理解出来ずに呆けてしまう。


「いや、なんか浮かない顔してるからさ、忘れ物した以外でなんかあったのかと思って」


 悟は少しニヤリと表所を崩して言った。図星を当てられて少し驚く。いや、でも悟は意外と鋭い所があるのを小学生からの親友である僕は知っている。


「くくくっ、なに、何でバレたの?みたいな顔してんだよ。お前、表情に出過ぎなんだよ」


 僕ってそんなに感情が表情に出てるかな。まあ、でもこいつになら相談してもいいか。


「――いやさ、実は最近何か最近ちょくちょく物がなくなることがあってさ」


 そう。実は体操服だけではなく自分の物が最近よく無くなるのだ。ここ二週間くらいだろうか。消しゴム、シャーペンから始まり、ノート、そして今度は体操着。最初は勘違いだと思った。ただ自分が物をなくしているだけだと思っていた。だが、体操服が無くなったことでもう勘違いだとは思えなくなっていた。


「えっ……どういうこと? お前もしかしてイジメられてんのか?」


 悟が眉を顰めて不安そうに言う。僕のことを心配してくれているようだった。


「いやいや、違う違う! そんな大事じゃないから」


 不用意に騒ぎ立てて大事にしてほしくは無かった。というかだからこそ、悟には今まで黙っていたのだが。


「でも、それ……何か不気味だよな……」


 悟が眉を潜める。


「ああ……」


 そう、不気味なのだ。仮に勘違いじゃなかったとして誰が何の為にやっているのか分からない。悟以外にクラスの誰ともろくに話さない僕が恨みを買うともとても思えなかった。

 まさか、悟が……? ふと、そんな考えが頭によぎるが、それをすぐに掻き消した。そんな訳が無い。悟は小学校からの親友なのだ。現に僕のこと心配してくれている。悟が僕の私物を裏で隠すなんて陰湿な悪戯をする訳がない。ありえないことだ。


「幽霊の仕業だったりしてな」

「いや、やめろよ」


 悟が茶化すように笑って言う。僕も笑って突っ込む。少し空気が和らいだ。


「まあ……お前の気のせいなんじゃないのか? 見落としてたとか。普通に考えればその可能性が一番高いと思うぞ」

「そう……なのかな……まあ、そうか」


 僕は悟の言葉で自分を何とか納得させたが、ついぞ胸の中で膨らんだ違和感は無くならなかった。

 結局その日は体操服を借りて体育の授業を受けた。



 その日の最後の授業になった。チャイムの時間から暫く経って担任の先生が現れた。担任は三十代半ばくらいのいつも気だるそうにしている男の英語教師だ。去年は僕たちのクラスの英語担当だった。


「それではホームルームだけど、委員会決めをしてもらうからな」


 チャイムがなると教壇の上の先生が頭を掻きながら面倒くさそうに言う。この先生にとってはこれが通常運転だ。


「じゃあ、後は佐藤さんにお願いしていいかな。決まったら報告してくれ」

「はい」


 返事をしたのは佐藤さんだ。おさげで丸い眼鏡が特徴的なおとなしそうな女の子。真面目でリーダー気質なタイプなのか、このクラスの学級委員を゙務めている。


 先生がそそくさと教室を出て行った後、彼女は全ての委員会の名前を黒板にずらりと書き出していく。


「では順番になりたい委員会に手を挙げて下さい」


 委員会の定員はそれぞれ二人。そしてクラスの全員が一年のうちで少なくとも一回は何かしらの委員会に入らなくてはいけないという縛りがあることは事前に昨日の終礼で先生から聞かされていた。


 そこで僕は悟と話し合った。


 こういう時に友達の少ない人間は必死だ。何とかして友達と一緒にならなければならない。下手すれば全く仲良くない人と一緒になって気まずい時間を過ごすことになるからだ。

 委員会は前期と後期があるため、前期は委員会に所属せず後期に後回しにすることも出来たのだが、僕と悟は面倒なことは先に終わらせてしまおうと決めていた。何の委員会にするかも話し合って、僕の提案で一番仕事が少なそうな図書委員会に真っ先に二人で立候補しようと決まった。


「体育委員になりたい人は手を上げて下さい」 


 佐藤さんが声を上げる。立候補者はいない。体育委員は体育の時間に前に出て体操をしないといけない。数ある委員会の中で


「美化委員」


 やはり僕と同じで委員会活動など面倒だという考えの生徒が大半なのだろう。時折、ポツポツと手は挙がるがなかなか決まらない。


「なら、図書委員〜」


 よし来た。手はず通りに僕は手を真っ直ぐ上げる。


「えっと……灰谷君と――」


 チラリと後ろを振り返り悟の方を見る。


 えっ……。


 見て驚いた。悟が手を挙げていなかったからだ。嘘だろ何やってるんだよ。約束と違うじゃないか。忘れてるのか? 僕は悟の方を向いて口をパクパクさせて必死に伝えようとするが、悟は全く気づいている様子がない。くそっ。


 そして僕の頑張りは別の立候補者の登場によって無惨にも打ち砕かれた。


「後は、れ……来瀬さんですね」


 パッと手が挙がった先を見る。それは来瀬さんだった。これはつまり、僕は来瀬さんと一緒に 何で、こんなことに? 想定外の出来事が続き理解が追いつかない。女子と一緒に図書委員の仕事なんて百パーセント気まずいじゃないか。


「じゃあ図書委員は灰谷君と来瀬さんの二人で決定です」


 パラパラとした拍手で讃えられる。


 それからなんだかんだで、委員会が決まっていき全ての委員会のメンバーが決まった。


「これで全員埋まりました。じゃあこれで先生に報告したいと思うのですがいいですか」


 沈黙。反論は特に出ない。これで最終決定だ。まだ後期もあるため、このクラスの半分の名前が黒板に書かれたことになる。


「最後に」


 黒板の前の佐藤さんがそう言うと、その視線が窓際に向かった。


「学級委員は私しか決まってなかったんですけど、もう一人は水島君にお願いしたいと思います。事前にお願いしたら引き受けてくれましたので」

「えっ……」


 思わず声を出してしまった。隣の女子生徒が訝しげに僕を一瞥したの気づき、慌ててて口を押さえて俯く。


 悟が学級委員……? どうして急に……。意味が分からない。


 礼によって拍手が送られる中、悟は自分の席で居心地の悪そうな表情をしている。拍手が止んで全員の興味が悟から失われると、悟は手を合わせて謝るようなジェスチャーを僕に向かって送っているのに気づいた。多分、約束通りに挙手しなかったことを謝っているのだろう。


 だが、僕は今の状況の呆然とするばかりで、ろくに反応を返すことが出来なかった。

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