第2話 私の王子様

 

 私、来瀬麗華の人生はあの日を境に決定的に変わった。


 ――いや、違う。変えられたのだ。彼によって。



 数日前。朝、私はいつも通り電車に乗って学校へ向かっていた。

 私が駅に到着した電車に乗り込む時には既に車内は満員だった。これだけ満員だと見知らぬ人と密着しないといけないと直感した。だが、学校に行くにはこの電車に乗るしかないため仕方のない。

 

 まあ、いつもの事だ。 


 私は閉まる扉のすぐ近くに場所を確保した。


 電車が発車して暫くすると私の背の方に何かが触れて来た。チラリと横目で確認するとスーツを着た中年の男が私の背中に軽くぶつかって来ていた。

 最初は偶然だと思っい無視していた。だが、男の行為はそれから何度も何度も執拗に繰り返された。


 はぁ……またか。


 心中で溜息を吐く。本人はバレていないつもりだろうが、電車の揺れでバランスを崩してぶつかった体を装い、故意に私の体に接触しようとしているのが見え見えだった。


 中学の頃から電車通学だった私は似たようなことを何度も経験していた。最初は嫌で嫌で堪らなかった。どうして私ばっかり、とも思っていた。だが、慣れとは恐ろしいものだ。今ではこんなことが起きても嫌悪感以上に呆れと諦観を感じるようになっていた。


 これもいつもの事。


 ……いつもの事。いつもの事。いつもの事。


 はぁ……。馬鹿らしい。


 毎日毎日同じ事の繰り返し。こんな思いで学校に行っても面白いことも何もない。つまらない勉強に息の詰まる人間関係。最近では学校を辞めたいとすら思っていた。ネットで学校の辞め方なんて調べてみたりして。


 息が詰まる。


 こんな毎日から抜け出したかった。


 誰も私を助けてくれない。誰もが私を無視する。誰も私の苦しみに気づいてくれない。


 ――やっぱり白馬の王子様なんていないんだ。


 その時、ぞくりと鳥肌が立った。男がまた私に触れてきたのだ。その時、ゾッとした自分に驚いた。ああ、駄目だ。あれだけもうどうでもいいと思っていたはずなのに……。やっぱり私は我慢していたに過ぎなかった。もう耐えられない。


 誰か助けてよ。


 その時だった。


 横の座席に座って本を読んでいた男子生徒が、本を鞄にしまうと席を別の人に譲って立ち上がった。まだ駅についていないのに席を立つという奇妙な行動が思わず目を引いた。しかもその男子生徒はあろうことか人をかき分けてこっちにやって来る。


 なんだ?


 よく見たら私と同じ高校の制服だ。もし痴漢されていることが彼にバレたら……。ふとそんな不安が頭をよぎった。学校で面白おかしく広められて、ネタにされるかもしれない。いや、もうどうでもいいか……学校なんて。


 そんな事を考えている内に、ついに男子生徒が私の体に触れてきたスーツの男を挟んで後ろの方までやって来た。

 

 ああ、どうにでもなれと、私は投げやりな気持ちになる。


 だが、その時。――何が起きたのか、スーツの男が踵を返して人をかき分けて移動し始めた。同時に私は不愉快な感触から解放される。その後ろ姿は何かから逃げているようにも見えた。


 あの男子生徒が助けてくれたのか。


 そう直感するとカッと胸が熱くなった。急いで辺りを見回すが彼は踵を返してスーツの男が向かったのとは反対側に歩き出していた。本当は呼び止めたかったのだが、満員の電車内では声を出すことは憚られた。


 私は暫く呆然としていた。


 ――いたよ。お母さん。本当にいたよ。白馬の王子様。


 あの人が私の運命の人。頭の後ろをハネさせた彼が人混みの間をすり抜けて離れていく。


 なんで彼はすぐにその場を去ったのか。きっと私の為だ。彼も私の制服を見て、私が同じ学校だということに気がついただろう。もし


 お母さん。私はこの出会いの為に今まで生きてきたんだね。


 私は今までにお全てが報われたような気がして涙すらこぼれそうだった。


 隣の車両に去ろうとする彼の丸まった背中を目に焼き付ける。


 ――絶対に逃がさないからね。



 教室。


「……あの……おはよ」


 私がガラガラと扉を開けると黒髪をおさげにした丸眼鏡の女子が俯きがちに真っ先に声をかけてきた。


 はぁ……もういい加減にしてよ。


 彼女は小学校の頃から一緒にいる佐藤百合だ。今私の周りにいる女子の中だと最も古くからの知り合い。


 彼女は私の事をまだ友達だと思ってるか。許してもらえると思っているのか。だから毎朝挨拶をしてくるのか。――自分は私の事を見捨てておきながら。よくもそんなこと。


 そんなドス黒い内心を臆面にも出さず私は笑顔を貼り付けて答える。


「うんっ、おはよう。佐藤さん」

「あっ……」


 そして彼女の横をそのまますり抜けた。去り際、彼女が悲しそうな顔をした気がするが私には関係ない。


 私は悪くない、悪いのはコイツだ。


 それから席に着くと、男女問わず、周りにどんどん人が集まってくる。


 私はいつも通り

 

 私は人気がある。別に自惚れではない。ただの事実だ。どういう振る舞いをすれば人に好かれるのか、私はよく理解していた。表情、仕草、声音。生き抜くためにそうせざるを得なかったから。


 でも、こんなに周りに人がいても、誰一人として私の内面を理解しているわけでない。貼り付けた笑顔とは裏腹にそんな冷たい感情を内に抱えていた。どうせ、こいつらも私の内面を見たら離れていくに決まっている。そうすればまた昔みたいに……。


 ふと心に暗い影が差した。


 いや――そんな事より早くあの人を探さなきゃ。


 あの人の後ろ姿を思い返す。私をこの醜い世界から連れ出してくれる王子様。あの制服は間違いない。この学校の生徒だ。駅に着くと急いで降りて彼の姿を探してみたが、乗り降りする乗客が多く、人混みにまぎれたのか見つけることが出来なかった。


 だが、大丈夫だ。彼はこの学校のどこかにいる。彼がいる場所だと思うと灰色に見えていた学校もとても素晴らしい場所に思えた。 


 まだ朝礼も始まっていないで各々話しているクラスメイト達を一人一人見ていく。まさか同じクラスなんて偶然はないだろうという気持ちともしかしたらという期待がない交ぜになる。


 目に焼き付けた彼の後ろ姿を思い返す。


 背丈は私と同じくらい。少し猫背気味の背中。特徴的な後頭部の寝癖。


 違う。違う。違う。


――そして、すぐに私達は再会を果たした。あの特徴的な寝癖。あの後ろ姿。間違いない。彼は席に座り、友人と思われる男子生徒と談笑している所だった。


 見紛うことのない、私を助けてくれた王子様だった。


 まさか同じクラスだったなんて。これを運命と言わずになんと言うのだろうか。


 私は運命を確信した。


 彼は何が好きで、誰と関わって、何を思っているのだろう。彼の事が知りたくて堪らない。いや、知らずにはいられない。彼の事を知らないままでいる程、今の私に怖いことは無かった。


 これから色々と調べなきゃな。

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