第16話 気味の悪い男

「どうぞ、これでよかった?」


 私は自販機でスポーツドリンクを二本購入すると、片方をベンチに座って待つ水島に手渡した。不信感を和らげる為にあくまで親しげに接することに徹する。


「あっ……そんな。お金を……」

「いいから、いいから。これぐらい」


 ポケットから財布を取り出そうとする水島を私は止める。


「うっす……お構いなく」


 水島は逡巡の後、素直にスポーツドリンクを受け取った。


「それで? 水島君は佐藤さんになんて言ったの?」


 私は水島の隣に座りながら、問いかけた。こんな男と話さなければならないのは不本意だが、水島が私を疑ってまわりを変に詮索したら困る。今のうちに疑念を解いておかなければならないだろう。仕方ないことだ。


「…………」


 水島は黙り込むと、私の表情を伺っている。恐らくは私を警戒しているのだろう。百合との間にあったことを話してもいいのだろうか、と。だが、悩んだ末に暫くしてようやく口を開いた。


「無理してるんじゃないか、って聞いたんです」

「無理?」


 続きを促すために私は聞き返す。


「後ろで見てた来瀬さんには気づかなかったかもしれないけど……今日一日ずっと佐藤さんは苦しそうな表情をしてました。苦しい表情をしながら空元気に振る舞っては俺との距離を縮めようと手を繋いできて、それから……とにかく俺の目には無理をしているようにしか見えませんでした」

「そう……」


 目聡い男だ、と思った。私は水島を見くびっていたのだろう。水島は優君と同じくらい異性や他人と関わりが薄いように見えた。ゆえに、百合の違和感に気づくという可能性を考えていなかった。いや、もし仮に気づいたとしても異性から迫られれば簡単に流されてしまうだろう。そう踏んでいた。


 だが、水島はそうはならなかった。私の想像の範疇を超えてきた。この男の洞察力と観察眼は無視できないのかもしれない。


 この男は、危険だ。もしかして、もしかするといつか真実までたどり着くのではないか。そう思わせるだけの何かがあった。


「……俺も来瀬さんに聞きたい事があるんですけど、いいですか?」

「何、かな?」 


 私は身構えた。 直球で聞いてくるとは思わなかった。


「あの、佐藤さんに何を言ったんですか?」

「…………」

「佐藤さんに聞きました。来瀬さんにアドバイスをもらったって」


 百合が私との関係を喋ったのか。私を裏切ったのか。私は内心焦りを募らせる。


 もしそうならば全ては瓦解する。あれが嘘の告白だったと知ったときに水島は私を恨むだろう。それ自体はどうでもいい。この男に鼻から興味などない。好かれようが嫌われようが、生きていようが死んでいようが心底どうでもいい。


 だが、もし水島の口から私が裏で動いていたことが優君の耳に入ってしまえば……。うん。きっとそんな私を彼は受け入れないだろう。


 いずれは伝えても構わない。優君には何一つ隠し事はしてほしくないし、私も隠し事はしたくない。


 でもまだ、今は駄目。時期尚早だ。私がどんなに醜悪で空虚な人間だと気づいても、その時には彼は私に依存しきっていて、今更私の腕の中から離れることなどできない。人間が呼吸しないと生きていけないように、彼は私がいないと生きていけない。そんな状況になってからでなければ打ち明けることは出来ない。


 でも、今の彼には私の肥大した感情を受け入れる事が出来ないだろう。そうなれば、きっと折角縮めた優君との距離も離れてしまうだろう。


 いや。


 そこまで考えて思い直した。あの百合がそんな私を簡単に私を裏切るだろうか。あの私への罪悪感に亡霊のように囚われている百合が。


 水島の態度からして、私に対して不信感を抱いてはいるものの、敵意までは持っていないようだった。多分、水島は薄々と百合の後ろに私の存在を感じ取っていたのだろう。そして百合を問い詰めた。それを知った百合はそのことを誤魔化したに過ぎないのではないか。来瀬さんからアドバイスをもらった、と。


 だとすれば納得できる。今回の表向きの意味を考えれば、それはごく自然な言い訳に思えた。 


 ならば私はそれに合わせるまでだ。


「うん……。確かに佐藤さんにアドバイスしたよ」

「…………」

「私も佐藤さんには頑張って欲しかったし発破をかけたの。でもね、私は具体的なことは何も言ってない。 積極的に行ったほうがいいよとか、勇気を出して頑張ってとか、そんな当たりざわりのないことばっかり」

「…………」

「だから佐藤さんが水島君にしてきたことは佐藤さんの本心からのこと」


 疑いの目が私に向かないように、水島の関心を百合に向けるように意図して話す。


「でも、今思えばそれが佐藤さんに負担をかけてたんだね。だからこれは私のせい。ごめんね?」

「いや、そんな……」


 水島はギョッとしているが、私はそれを無視して眉根を下げて悲痛そうな表情を意図的に作る。


「ううん、これは私の落ち度だよ。もっと二人の事情を考えてアドバイスすべきだった。ホントにごめん……」


 私は知っている。


 こうして申し訳なさそうに、被害者のように振る舞えば、相手より優位に立つことができることを。この世界では何をやったかじゃなく、誰がやったかが重視される。そして反応次第では相手を地獄に引きずり込むことだって出来る。


 昔の、ただ殺される側だった私とは違う。


「いえ……別に俺は来瀬さんが悪いなんて思ってないですから。俺はただ事実を知りたかっただけなので」


 ほらね。


 この男も所詮は人間。


 私は心の中で嘲け笑う。


 人間なんて所詮こんなものだ。取り繕って、見た目で判断して、外面など表情などいくらでも取り繕えるのに、思考を放棄しては勝手に善性を見出しては期待して、期待と違えば失望して罵って、そんな事ばかりだ。くだらない。


 でも、だったら私はただそれを利用するだけ。


 実際私はそうやって生きてきた。そして今も――


 水島は何も言わない。うまく騙されてくれたみたいだった。水島からすれば私はさしずめ自分達の為に善意で動いてくれたクラスメイトのはず。何も綻びはない。


 だが、そこで俯きながら空になったペットボトルを弄んでいた水島が口を開いた。


「あの、もう一つ聞いてもいいすか?」

「……何?」 

「優とはどういう関係なんすか」

「……どう、って?」 


 この男はどこまで知っていて、聞いているのか。心臓が跳ねた。私はボロを出さないように慎重に聞き返す。


「そのままの意味です。だって来瀬さんから優を誘ったんですよね。なら、それなりに仲が良いんじゃないですか?」


 どう答えるべきか。


 この際、私から優君への好意を水島に開示してしまった方がいいのではないか。そんな考えが過る。そうすれば水島は私や優君に遠慮するようになり二人の間の距離は一層広がる。


「…………」


 いや、無理だ。


 実際少し前ならばそうしていただろう。


 だが、不相応な観察眼と洞察力、察しの良さを見せた水島に私は畏れと気味の悪さのような感情を゙抱き始めていた。


 ゆえに、核心に近い情報を水島に与えることを躊躇したのだ。

 

「……いや、まあたぶん、お察しの通りだよ。私と灰谷くんが図書委員で一緒だったのは知ってるでしょ? それで本の趣味が合っててちょっと話すようになった感じ」

「そう、ですか」


 水島はボソリと言った。


「でも、ありがとうございます」

「え?」

「今日、水族館の前に集合した時に俺と優が話せるように時間を作ってくれましたよね。それに多分このデート自体、優が俺と話せるように来瀬さんが計画してくれたんじゃないですか?」

「ああ……」


 そのことか。


「気づいてたんだ」

「気づきますよ。それくらい」


 水島は薄く笑う。


「ここのところずっとギクシャクして話せてなかったんで、話せてよかったです。優とは小さい頃からの親友なんで」


 親友か。本当に反吐が出る。


 私は水島を冷ややかな目で見た。


 その関係が優君を縛って苦しめているとも知らずに、のうのうと、まるでそれが尊いものであるかのように語る目の前の男に心底うんざりする。


「でも水島君はあんまり灰谷君のことばっかり気にしてちゃだめだよ」

「え?」

「今は彼女がいるんだから。今日、佐藤さんが空回りして逃げ出しちゃったのはきっと不安だったからだよ。ちゃんと水島君に好意が伝わってるか、受け止めてもらえるか不安だったの。だから水島君は側にいて見てて安心させてあげなきゃ。ね?」

 

 私は水島の目をじっと見る。


 自分で話している言葉に嗤ってしまいそうだった。確かに客観的に見れば私の言っていることは間違っていないように見える。相手を想いやる善意すら感じられるかもしれない。優しいね、そう言われるのだろう。

 だが、実際はどうだ。詭弁。ただ相手を自分の思い通りに動かすためだけの、何の想いもこもっていない言葉。

 

「そう、でしょうか……」

「そうだよ」


 自信なく言う水島を優しく肯定してやる。


 そしてその時――


「あっ……」


 私の前に、百合と、私の愛おしい人が一緒に姿を現した。


 

 

 


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