第11話 二人きりの昼休み

 

 昼休み。


「はぁ……」


 悟が佐藤さんが付き合い出してから一週間、僕はずっと一人で過していた。クラスメイトたちはグループになって机を付き合わしたり、椅子を移動させたりして昼食を取り出す。僕は自席で一人ぼっち。あいつ、友達に見捨てられて一人で弁当食ってるぞ、そんなこと言われてもいない陰口が聞こえる気がした。

 

 そこでここ数日はこうして特別教室棟三階の階段にまで足を運んでいた。昼休みに人通りの一切ないこの場所が僕にとっての唯一の安寧の場所になりつつあった。


 弁当を食べ終えて蓋を閉める。


 ああ、学校がここまで退屈なものだとは思わなかった。僕の隣には小学校、中学校、そして高校になっても悟がいた。話題が続かなくても苦じゃなかった。ただ横にいてくれるだけで安心した。たわいもない話をして、部活を頑張っている人や友達の多い人、恋人がいる人達のようにキラキラした青春を送れなくても、これでいいと思える緩やかな時間が流れていた。

 悟がいたから僕は根暗でも学校でやってこれたのだと今になって気づいたのだ。


 でも今は……休み時間も一人、こうして弁当を食べる時も゙一人。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。


――分かっている。僕が悟を避けているからだ。


 あれから僕は一度も悟と話せずにいた。


「あ、いたいた」


 声が聞こえる。階段の下の方から現れたのは来瀬さんだった。考え事をしていたせいか僕は足音に気づけなかった。


「えっ……どうしてこんな所に」

「いや、灰谷君を探してたからに決まってるでしょ?」


 何とでもなしにそう言うと、彼女は僕の座る段まで上がってくると、よっ、と僕の隣に腰を落ち着ける。


「いや~最近暑いね」


 パタパタと彼女は手で自身に風を仰ぐと、手にぶら下げた自身の弁当を膝において開き出す。


「いや、本当にどうしてここに? 確か来瀬さんはいつも友達と一緒に食べてたでしょ?」

「あ~、弁当ないから学食で食べてくるって嘘ついて断っちゃった」


 嘘までついて、僕を探していたというのか。


「なんで、僕にそんなに構うのさ」


 言ってから後悔した。それは純粋な疑問だったが、同時に拒絶にも捉えられかねない言葉だった。だが、彼女は弁当の包みを開く手を一旦止めると僕の顔を真っ直ぐ見つめてくる。


「好きだから、かな? 灰谷君のこと」

「……え」


 時間が止まる。好き? 僕のことが? 心臓が高鳴る。


「ふふっ、本気にした?」

「ま、また、からかったのか」


 僕は勘違いしそうになった恥ずかしさで顔を背けた僕に、来瀬さんは声のトーンを落として言う。


「ま、心配だったからかな。だって、まだ話せてないんでしょ、水島君と」

「……うん。よく分かったね」


 図星だった。


「前はいっつも水島君と一緒に教室で食べてたのに、最近は昼休みになるとサッと出て行くんだもん。そりゃ、そんくらい分かりますよ」


 それに灰谷君の悩みは私が聞くって言ったでしょ、と彼女は続けた。教室でも僕のことを見てくれていると思うと、少し嬉しかった。


「でもさ、今回の件は水島君がよくないよね」


 その言葉に思わず横を見る。彼女は既に弁当を開いて食べ始めており、箸は卵焼きを掴んでいた。


「え?」

「この前大体の事情は聞いたけどさ。だってちゃんと彼女が出来たなら、出来たって言うのが普通じゃやない? 二人は親友なんでしょ?」


 僕のずっと思っていたことだった。


 なぜ彼女が出来たと自分に話してくれなかったのか、それだけがどうしても納得出来なかった。そんなもやもやから、僕は悟が声をかけてこようとしているのを察知すると席を立って逃げるようになっていた。

 こんな態度、まるで子供じゃないか、と自嘲する。ちゃんと話を聞いてあげるべきなのに。悟の気持ちを酌んであげるべきなのに。

 あの日、悟はちゃんと話そうとしていた。ただ、タイミングが悪かっただけ。分かっている。だが、プライドが、意地が悟と和解する事を許さない。


 親友。その単語が引っかかる。悟にとって僕は親友だったのだろうか。もしかしたら、そう思っていたのは僕だけで悟はそうではなかったのではないか。自分が大切だと思っていた何かは実は紛い物にすぎなかったのではないか。言い知れない不安が押し寄せる。


「悟は悪くないよ。悟が話しかけようとしてくれてるけど、僕が避けてるだけだから」


 それでも悟を悪くは言いたくなかった。僕は悟と過ごして来た時間を否定したくなかった。

 その時、彼女の目が一瞬冷たくなったような気がした、さっきまでの優しさだとか暖かさの失われた冷徹な目をしていたような……。


 来瀬さんは何も言わない。静寂。


「あ、あれ、僕、なんか変なこと言ったかな」

「ううん。そうじゃないの」


 沈黙に耐えられなくなった僕が尋ねると、来瀬さんは首を横に振って否定する。


「ただ、君は優しすぎるよ」

「優しいなんて、そんな――」


 この手には乗らないぞ。また、どうせからかっているのだろう、と心の予防線を張った。


「ううん、君は優しい」


 途中まで言いかけた言葉を来瀬さんが遮る。からかっているのだと思ったがそうじゃないのか。僕はもう一度彼女の顔を見つめる。だが、吸い込まれてしまいそうな澄んだ瞳に気づいて、ふっと空の弁当箱に視線を落とした。


「だって、水島君のためにこれだけ悩んでるんでしょ。君は親友のことを思って一人で気を揉んでいる。関係ない、どうでもいいと思って切り捨てることも出来るはずなのに、それをしなかった」

「いや……それは違う。違うよ。僕は来瀬さんの言うような良い人じゃない」


 少し話に熱が入る。


「ただ、一人ぼっちが怖かっただけ。今までずっと悟に急に彼女が出来て、戸惑ってどうすればいいか分からなくて、それでこうなってるだけだよ」

「一人ぼっちじゃないよ、私がいるでしょ?」


 まただ。 どうしてこの人はこんな事を簡単に言えてしまうのだろう。


「でも、来瀬さんには他に友達が沢山いて――」

「だから?」

「え?」

「そんなの関係ないよ」


 きっぱりとそう言ってくる。

 僕には来瀬さんがいる。来瀬さんは恋人でもない、親友でもない、悟の代用品でもない、それでもそう思って本当にいいのだろうか。


「はぁ、全く……自己肯定感が低いんだから。そんなんじゃ悪い人につけこまれるかもよ?」


 溜息を人と吐くとビシッと指をさして僕に注意する。


「とにかく! 水島君とのことは早く何とかすること!」

「うん、分かってるんだけどさ……」


 分かっているが一歩踏み出せない。それが今の僕の状態だった。


「そんな、私から一ついい提案があるんだけど」


 ここには二人しかいないというのに来瀬さんはニヤニヤしながらわざとらしく声を潜める。


「今度、連休あるじゃん?」


 ある。土日と祝日を合わせた三連休だ。


「一緒に出かけない?」

「え?」


 僕は提案の意図が分からずに戸惑う。一緒に出かける? デートってことか? 想像して思わず顔が熱くなる。

 そんな僕に構わずに、え~と、どっから説明するかな、と来瀬さんは頭に手を当てて考えている。


「佐藤さんとよくいる女の子達、分かる?」

「うん」


 思い出した。確か悟と佐藤さんが一緒に帰るように背中を押していた女子達。いつもよく佐藤さんと一緒に行動している。


「あの子達、佐藤さんに彼氏が出来たって、かなり盛り上がってるみたいでさ。ただ、佐藤さんって真面目な感じだから、全然進展してないみたいなの。なんなら、まだ手も繋いでいないみたい」


 まだ手も繋いでいない。それを聞いて少しほっとした自分に気がついた。


「それで?」

「それで何かいい機会を作れないかって話し合って、どっか外で遊ぼうってことになったらしいの」

「うん」

「でも、カップルのデートに女子だけでついていくのはどうか、って話になって、誰か男子を連れて行きたいって話になったんだけど、丁度いい人がいなかったらしいの。まあ、知らない男子が来ても水島君が困っちゃうだろうからね。それを聞きつけた私が首を突っ込んだって訳、私にあてがあるから任してくれない?って」

「ん? つまりどういうこと?」


 つらつらと経緯を説明する来瀬さんだが、僕にはいまいち話が見えて来なかった。


「いや、だからこのデートに灰谷君を連れてけば、二人が仲直りする機会になると思ったの。もちろん佐藤さんと水島君の仲を進展させる手助けもちゃんとするつもりだけどね」

「そんな、気をまわしてくれなくてよかったのに……」

「いや、そんな落ち込んだ顔しといて何言ってるの」


 来瀬さんは呆れたように笑った。


「それってまさかその女子達も来るの?」

「ううん、私に任せてって言ったから、来るのはあの二人と灰谷君と私だけ」

「…………」


 断るわけにはいかなかった。折角彼女が用意してくれた場を無下にするわけにはいかない。それに悟との関係がいつまでもこのままで良い訳がなかった。この機を利用すれば一歩を踏み出せる気がした。


「場所とか詳しい時間は追って連絡するからさ」

「……うん、分かった」


 程なくして四限の予鈴が鳴り、僕たちは教室に帰った。


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