第10話 クラスの噂
朝。僕が登校して自席で席についていると、遅れて悟が登校してきた。
今日は僕も図書委員の当番はない。放課後はフリーだ。昨日帰れなかった分、今日こそは悟と一緒に帰れるはず。僕は意気揚々と悟の机まで行った。
昨日は残らされて大変だったな。今日は一緒に帰ろう、と声をかけるつもりだった。実際、お互いの用事で帰れない時はいつも悟は不満そうにしていたから、きっと嬉しがるだろう。
「おはよう、悟。今日は一緒に帰ろうぜ」
「ああ……」
期待に反して反応が悪い。僕は気勢をそがれる。
悟は僕の顔を一瞥すると、苦虫を噛みつぶしたような表情をして俯いた。何かを言おうか、言いまいか葛藤しているような、様子だった。
「どうした? 体調でも悪いのか?」
僕は心配になって尋ねる。
「いや、そうじゃなくて、今日はちょっと……」
「えっ……また先生の手伝いか?」
「…………」
昨日に続けて今日もなのか? 二日連続で雑用に駆り出されることは今までなかったはずだ。
だが、悟は答えない。
「お前……ホントに、どうしたんだ?」
悟の様子は明らかに様子がおかしかった。僕と目を合わせようとしない。
何か隠し立てをしていると直感した。
だが、昨日まではまるでそんな様子はなかったはずだ。たった一日の間に何があったというのか。悟が僕に隠さなければならないこと。まるで、見当がつかなかった。
その時、ふと違和感を感じた。悟との会話に集中していたために気づくのが遅れた。
教室で喋々喃々と話しては騒がしくしていたはずのクラスメイトたちが会話を中断してこちらを、いや悟を見ていた。異様な沈黙が教室を支配する。何だと思い、周囲を見渡すとクラスメイト達は僕の視線に気づいたのかさっと目を逸した。
なんだ、これは……。胸騒ぎのような、嫌な予感。
「ま、さか」
後ろで悟が小さくそう呟いたのが聞こえた。
「な、んで……」
振り返ると僕と同じようにクラスメイトたちを見る悟は青ざめていた。丸く開かれたその目に宿すのは戸惑いか怯えか。いずれにせよ負の感情を湛えていた。
「何か、あったのか?」
「……いや、何でもない」
悟に尋ねるが、はぐらかしたような返事が返ってきた。
間違いなく、自分の知らない所で何かが起こっている。
「悪い、優。今は無理だ。また後で」
悟は溜息を一つつくと、申し訳なさそうに僕に言ってきた。
「ああ……」
僕は言われるがまま悟の席を去った。クラスメイト達の向けてくる視線に、この異様な空気感に僕はとても耐えられなかった。
悟は何かを隠している。それだけは確信していたが、これ以上粘っても今の悟が口を割るようには思えない。
一体、何だというのか。
僕が自席に帰るとほぼ同時に朝礼が始まった。
*
放課後になった。
朝の出来事以来、僕は一度も悟と話すことが出来ずにいた。休み時間もお昼休みも自席で一人で過ごした。今日一日、何度か合った悟の目は俺に関わるな、と僕を拒絶していたからだ。
それにクラスメイトからの視線にさらされるのが恐ろしかったという思いも、あった。あの視線の意味が悪意にしろ好奇心にしろ、他人からの視線になれていない僕にとってあれは耐えがたいものだ。
だが、そうやっていつまでも躊躇している訳にはいかない。僕は自分を奮い立たせる。
いま動かなければ、きっとずるずると話すタイミングを見失ってしまうかもしれない。僕らは親友だ。僕は悟を手放したくない。
悟ともう一度話して真実を聞こう、そう決意すると、悟の席に向かった。
「なあ、悟は本当に今日は学級委員の雑用があるんだよな?」
僕は前置きもなしに話を切り出した。
「うん、いや、まあ……」
悟は僕が話しかけてきたことに驚いたのか、目を左右させるが、曖昧な返事でお茶を逃がす。
「ねえ、悟。僕に隠し事してるでしょ」
逃がさない。今を逃がしてしまえば取り返しのつかないことになる予感がした。
「え?」
「今日ずっと様子おかしいよ。ねえ、ちゃんと話してよ。別にそれで嫌ったりしないからさ」
「優……」
強ばった悟の表情が少し和らいだのを見て少し安心する。
「ごめん、じゃあ言うな。あ、あの、実はさ――」
「水島君」
悟の言葉を遮ったのは、女子生徒の声だった。気がつけば悟と話し込んでいた僕の背後に女子数人が集まっていた。
「ほら、連れてきたよ? 彼女」
悟に話しかけてきた彼女はニコニコしながらそう言う。
彼女? 何の話だ? 全く理解が追いつかない。
悟を見ると口をパクパクとしては、顔を青ざめさせていた。
「ほら、緊張するのはわかるけどさ、頑張って!」
はやし立てる彼女の後ろから現れたのは佐藤さんだった。佐藤さんは対照的にうつむき加減に暗い表情をしている。
「あれ? 灰谷君、どうしたの? まさか、聞いてなかったの?」
何を。その女子に今すぐに問い詰めたくてたまらなかった。
「――水島君は百合と付き合ってるんだよ?」
「は……?」
悟が付き合ってる……? 嘘だ。あまりに唐突な話。現実感が全く沸かない。
「えっと……嘘だよな?」
僕は戸惑いながら悟に目を向ける。
「…………」
「なあ、冗談だよな?」
言い聞かせるように。否定の言葉を乞うように問い詰める。悟は顔を俯かせるばかりで答えない。
「ほら、百合。彼氏君と一緒に帰るって約束したんでしょ?」
そんな僕の態度に首をかしげるとその女子は優しく佐藤さんの背中を押した。
「あの、水島君。帰ろっか……」
「あ、ああ」
佐藤さんが小さな声で悟を誘うと、悟は僕の方を気にしながらもそれに応える。
突きつけられる真実。
――悟は佐藤さんと付き合っていた。
ああ。そうか。混乱する同時にどこか他人事のように今の状況を俯瞰して見ている自分がいることに気づいた。
どうして悟は僕に隠し事をするような態度だったのか。なぜ、クラスメイトたちは悟に異様な視線を向けていたのか。これが全ての原因だとすれば全てが辻褄が合った。
佐藤さんが悟を連れだって教室を出て行くと教室はざわめき出した。
「いや、でも上手くいきそうでよかったね」
「そもそもあの二人、そんな仲良かったけ?」
「いや、そもそも俺、佐藤さんとも水島ともほとんど話したことないし分かんないって」
「まあ、同じ学級委員だから、それで仲良くなったんでしょ」
「え? そうだっけ」
「あんた、自分のクラスの学級委員もしらないの?」
「水島の方から告白したのかな?」
「いや、それが逆らしくてさ」
僕はその場に一人取り残される。呆然とした僕にはクラスメイト達の噂話が意味をなさないノイズのようにしか聞こえなかった。
*
僕はあの後教室で自席にただ座っていた。彼女と一緒に帰った悟の姿を思い出すとどうしても家に帰る気にならなかった。日は傾いて教室にはほとんど人がいなくなっていることに気づく。
僕は帰ることにした。
一人ぼっちの帰り道。その一方で悟は今頃、佐藤さんと一緒に……。
ドス黒い醜い感情がわき上がっていくる。なぜ、悟は僕に話さなかったのか。そもそもいつから付き合っていたのだろうか。まさかまさかまさか。ずっと前に付き合っていたのにも関わらず、僕には内緒にしていたのか? 他のクラスメイトには知らせたのに。
「…………」
そこまで考えると、ふと純粋な疑問が湧き上がってきた。
なぜクラスメイトは二人が付き合っていることを知り得たのだろうか。悟が言いふらすとは思えない。ならば、佐藤さんだろうか。でも、佐藤さんもとても男子との交際をひけらかすような性格には見えない。ならば、佐藤さんの友達、さっき佐藤さんの背中を押していたあの女子達の誰かが不用意にも漏らしてしまったのだろうか。
分からない。
校門にさしかかった。
その脇の街路樹のところで、目立つ女子生徒が立っていた。来瀬さんだった。彼女は僕に気づくと軽く手を振る。
「やっ、灰谷君」
「あれ、なんでこんな所に……」
「いや~友達と一緒に帰ろうと思って待ってたのに、部活の先輩と帰るからってドタキャンされちゃってさ」
来瀬さんはえへへ、と笑う。彼女との何気ないやり取りで嬉しくなってしまう僕がいた。
「灰谷君一人なんだったら私達一緒に帰らない?」
首肯して、一緒に帰り道を歩き出す。この頃は彼女の横を歩くことに抵抗感を感じなくなっていた。
「そういえば、佐藤さんと水島君、付き合ったみたいだね」
「そう、ですね……」
僕は彼女に今日の出来事について少し聞くことにした。クラス全体をよく見ている彼女なら何か分かるかもしれない。
「いつから付き合ってたんですか? あの二人」
「昨日かららしいよ」
「ん? でもなんでそんなこと知ってるんですか?」
「あれ? クラスラインで回ってきたよ? 佐藤さんが水島君に告白して成功したって。普段から佐藤さんと仲のいい女子達は盛り上がって、明日は背中を押してあげようって話してたみたい。その中の誰かが喋っちゃて、みんなに広まったんだと思う」
冷やかされてたのはちょっと可哀想だけどね、と彼女は続けた。
そういうことか。納得した。
「っていうか、灰谷君まさかクラスライン入ってないの?」
話題が逸れる。確かに僕も悟も入っていなかった。
「じゃあさ、私と交換しようよ。後でクラスラインに招待しとくからさ」
僕はスマホを出して来瀬さんと連絡先を交換した。家族と悟くらいしかなかった連絡先の欄に女子の名前が登録された。
「どうかしたの? 何か落ち込んでる?」
そう言われた思わずハッとする。来瀬さんと出会ってからは上手く取り繕っていたはずだが、表情に出ていただろうか。来瀬さんが僕の前に回り込むと顔を近づけてジッと見つめてきていた。
「まさか、水島君のこと?」
図星だった。なぜわかったのだろうか。沈黙を貫くが、それは肯定と同義でしかなかった。
「今、なんで分かったの?って思ったでしょ。ふふっ、ホント分かりやすいねっ」
彼女は悪戯っぽく笑うと、僕から少し離れる。
「じゃあさ、私に相談してよ」
「え?」
「ほら、水島君に話せないことなら、私に話せばいいんじゃない? 解決にはならないかもしれないけど少しは気が楽になるでしょ?」
今日一日、悟との意気消沈していた僕の心の隙間に来瀬さんの言葉がすっと入り込んで来た。
ああ、どうして、この人はそんな言葉を吐いてしまえるのだろうか。
「……ありがとう」
「ふふっ……どういたしまして。あと、やっと敬語やめてくれたね」
僕は彼女の言葉に恥ずかしくなって俯いた。
来瀬さんへ抱いた淡い恋心がまた別種の何かに変質していくのを僕は感じていた。
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