第8話 疑念(水島悟視点)

 この学校の一階、職員室のすぐ横には進路指導室という場所がある。大学の過去問など進路に関する資料が収められている薄暗い部屋だ。先生や三年生が時たま出入りしている。


 そんな場所に放課後、腰をかがめて段ボールに資料を詰め込んでいる男がいた。その名を水島悟。二年である彼がなぜこの部屋にいるのか。それは水島が学級委員であり、先生に資料室の整理を頼まれたからに他ならない。


「すまんが、学級委員の二人、水島と佐藤。ちょっと来てくれ」


 そう言って終礼が終わると水島は担任に呼び出された。担任の英語教師はいつもやる気がなさそうに頭をかいている印象しかないが、意外と生徒からは慕われている。すぐに学級委員に仕事を押しつけてくるあたり水島は人使いが粗いと教師を不満を込めた目で見ていたが、それでも、どうも憎み切れない雰囲気のある不思議な男だった。


「進路指導室の整理を少し手伝ってほしいんだ、そんなに時間はかからない」


 放課後の居残りはこれで何度目かのことだ。 早く優と一緒に帰りたいのに、と気持ちが焦る。勉強も嫌いで部活にも入ってない水島にとって親友の灰谷優とバカ話をしている時間だけが安らげる時間だった。だが、最近は互いの委員会活動のせいで一緒に帰れないことも多くなっていた。


 だが、今日はいつもとは違って親友と帰ることが出来る。灰谷も今日は図書委員の当番があると水島は聞いていたからだ。終わったら冷やかしに行ってやろう、と心に決める。


 水島は担任に連れられるまま一階の進路指導室に向かった。


「じゃあ、頼むわ」


 先生は軽く仕事の説明をすると部屋を出て行った。水島と女子の学級委員である佐藤は何も言わずに黙々と作業を始めた。主に大学の資料や過去問を参考書を整理して、もう使わない古い物を順に段ボールに詰め込んでいく。


 はぁ……それにしてもどうして自分は放課後にこんな雑用をしているのだろう。水島悟は心中で溜息をついた。水島は学級委員になったことに未だに納得がいっていなかった。


 作業を進めつつ、水島は自分が学級委員になった時の経緯を追想した。


 委員会決めの時に水島は親友の灰谷優と一緒に図書委員になろうとと事前に話し合っていた。

 別に本に興味がある訳じゃ無かった。水島は国語や英語が特に苦手で、活字で書かれたものが苦手だった。実際、親友の灰谷は本が好きで何度か読むように勧められたが、自分は興味が無いと断っていた。

 ただ、水島には他にクラスで仲のいい人はいないし、灰谷の提案は渡りに船だった。別に図書委員だからといって本を読まなければならないわけではなかろう、と。


 そういうわけで水島は図書委員に立候補する心積もりだったわけだが、委員会決めのホームルームの始まる直前にその決心が覆されることとなった。


 トイレに行こうと席を立った時に廊下で佐藤百合に話しかけられた。スカート丈を短くしたり、色つきのリップを使って注意を受ける女子生徒もいる中、制服をキチンと着こなし、学級委員を自ら勝手出る彼女はどちらかというと水島から見ても真面目な印象を受ける生徒だった。


 そんな彼女が焦ったように水島に声をかけてきたのだ。


「あの、水島君?」


 走って追いかけてきたようで彼女は息を切らしていた。


「……何ですか?」


 水島は振り返って警戒しながら佐藤を見つめた。


「あの時間がないから単刀直入に言うけど……学級委員になってほしいの」

「えっ……」


 困惑。遅れて女子の学級委員は佐藤で決まっていたが、男子は立候補者がおらず決まっていなかったことを思い返した。


「いや、でも……それは……」


 冗談じゃない学級委員などやってまたるか。何とかして断ろうと水島は頭をフル回転する。何か体のいい断り文句はないだろうか。


「他の人の方がいいっすよ。自分には向いてないんで――」

「お願い! 水島君しかいないの! 他の人には断られちゃったから……。そんなに大変じゃないし、仕切りとかは私に丸投げしてくれても構わないから!」


 そう言って必死な様子で頭を下げてくる。彼女の髪の毛がバサリと垂れ下がる。廊下を歩く他の生徒達が自分の事を奇異の目で見ていることに気づいた。端から見たら自分が女子に頭を下げさせてるろくでもない男に見えている事に気づき、水島は慌てた。


「分かりました! 分かりましたから、頭をあげて!」


 水島は頼みを引き受けた。やけくそだった。もうどうなろうと知らん、と。


「本当ですか! ありがとうございます。じゃあ、そういうことで!」


 佐藤は顔を上げてパッと表情を明るくしたかと思うと、教室に戻っていった。確かちょうどその時、授業開始のチャイムが鳴って結局トイレには行けなかったのだった。


 そして水島は言われるがままに学級委員になって今に至る。約束を破ってしまい優には申し訳ないことをした。だけど、あんな頼まれ方をしては断ることが出来るわけがなかった。


 学級委員になってからはや一ヶ月半が過ぎた。実際になってみると、学級委員の仕事は思った以上に面倒だった。夏休み明けまで任期があると思うと憂鬱でならない。

 目に見える仕事は号令だけだが、他にも先生に頼まれた雑用をこなさなくてはならない。委員とは名ばかりの教師の小間使いである。提出物のノートを職員室まで運んでくれと言われて、放課後も拘束されることもしばしばだ。こりゃ、誰もやりたがらない訳だ、と一人愚痴る。


 横で黙々と作業をするこうなった元凶たる佐藤の横顔をチラリと見る。恨んでいる訳ではない、引く受けたのは自分自身の意思だ。

 しかし、そもそも自分はクラスの端っこで親友と楽しく過ごせればそれでいいという人間だ。学級委員というクラスの中心でリーダーシップをとる役柄はふさわしいとは思えない。謙遜ではない。端から見てもきっとそう見えるはずだ。ふざけて自分を推薦してくるような人間に心当たりもない。一体どうして佐藤さんは自分に頼んできたのだろうか。


 結局、それも聞けずじまいだった。


 同じ学級委員の佐藤とは事務連絡で数度話すくらいで、仕事でこうして一緒の空間にいると沈黙の時間が続いて気まずい、と水島は感じていた。


「――あの、灰谷君とは仲がいいんですか?」

「えっ……」


 静寂の中、そんなことを考えていると作業をしていた佐藤さんが突然話し掛けてきた。しかも、思わぬ人物の名前が出て来て面食らった。親友の名前だ。


「あっ……いや、ごめんなさい……」

「あの、優が何か……?」

「いや、いつも一緒にいるみたいだったから聞いてみただけで、他意はないんです。すみません……」


 佐藤は申し訳無さそうに謝ってくる。別に怒っているわけではないんだけどな、と水島はその態度に困惑した。


「いや、大丈夫ですよ」


 断ってから優の話を続けた。


「そうですね……。あいつは引っ込み思案だけど優しいやつですよ。俺なんかといつも一緒にいてくれるし。あと、ああ見えて意外と気配りとかできるんですよ。道にゴミが落ちてたら拾ったり、そういう手の届く範囲の善意を振りまける人間なんです。俺はあいつのそういう所、結構好きなんですよ」

「…………」

 

 佐藤は黙ったままだ。ペラペラと一人で話してしまったので、引かれているんじゃ無いか。水島は不意に不安になった。思春期男子にとって異性に嫌われることど精神的ダメージは計り知れない。慌てて取り繕おうと口を開く。


「すいませんっ……」

「…………」

「まあ、とにかく佐藤さんがあいつのことをどう思っているかは知らないけど、悪いやつじゃないんで、それだけは知っといて下さい」


 早口でまくし立てて会話を無理矢理終わらせる。すると佐藤がようやく口を開いた。


「いい友達なんですね……」

「ええ、親友です」


 そこで会話は終わり、二人は作業に戻った。再び沈黙が場を支配する。


「親友か……」


 佐藤が遅れて憂うように憧れるように小さく呟いた。その呟きが水島に届くことは無かった。



 仕事が終わると水島は少し浮き足立ちながら図書室に向かった。灰谷と一緒に下校するためだ。事前に顔を出すと灰谷には伝えてはいないが、恐らくはまだいるはずだ。


 灰谷は来瀬麗華と一緒に図書委員の当番をしている。


 来瀬麗華は他クラスでも評判になるほどの人気の女子だ。教室でもいつも大勢の友人に囲まれて、談笑している。いわゆる教室でも来瀬さんに告白したけど、振られたというような噂を聞いたことすらある。それほどに人気があるのだ。

 来瀬さんと一緒に図書委員の当番なんてあいつも災難だな、と一人水島は苦笑した。そんな女子と同じ空間にいて緊張して気まずさに耐えかねている親友の姿が容易に想像出来た。同時に自分にもその責任の一端がある、と思うと申し訳なくも思った。


 階段を上りきり、図書室の扉に手をかけた。


 半分ほど開けると、手が止まった。信じられない光景が水島の目に飛び込んで来たからだ。


 図書室の貸し出しカウンター。そこに楽しそうに語り合っている来瀬麗華と親友の姿があったのだ。

  

 水島は思わず身を隠した。彼らに見つかってはならないと思った。


 どういうことなのか? 理解出来ない。どうしてあんなに仲良くなっているのか? 何か理由があるのか。


 扉の隙間から彼らの様子を観察する。大抵は来瀬麗華が親友に何か話しかけている。それでも親友は拒絶するでも萎縮するでもなく、自然に来瀬に答えているように見えた。それは水島のよく知る内向的で異性と関わろうとすらしなかった灰谷の姿とはかけ離れていた。


 水島はそのまま灰谷に声をかけることも出来ずに、もやもやとしたものを抱えながら一人で帰宅した。


 


 

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