第12話 バイバイ


 信号のない交差点で勢いよく車が飛び出してきた。


 車が通りすぎる刹那の時間を踏みとどまり停止する。びっくりして心臓が遅れて危険を伝えてくるがすでに何事もなかったように交差点はまた静けさが戻っていた。


「何あれ、危な。......今ので事故って私が死んでたら、物事は丸く収まってたのかな」


『あんたが死んで、ユウトが悲しんで、あの女が慰める。そんなストーリー

?』


「げぇ、よくそんなの思いつくよね」


『あんたが思ってる事を言葉にしてるだけ』


 そうなのかな、私はそんなことを考えていたのか、私が居ない方がユウトは幸せで、私が居ない方があの女も幸せになって、私が居なけば世界は平和。


「なーんだ、私ってやっぱり必要ないじゃん、死んだ方がいいんじゃん」 


『死んだらユウト悲しんでくれるかな』


「どうだろうね。でも死ぬならユウトが知らないところで勝手に死のう」


 私は他人の幸せも不幸もどうでもいい、だから私の知らないところで勝手に幸福にでも不幸にでもなれって思う。私も消えるときは勝手にそうするし、みんなもどうぞ、そうしてくれって感じ。


「なんかなーこの体も嫌になってきた」


 可笑しく聞こえるかもしれないけど、私は大事なモノが増えてしまって、それを失うのが怖くなった。そうやって失って辛くなるくらいなら、自分から命を手放した方が随分と楽だ。このゾンビみたいな体。『お前なんて要らない』と言われる前に自分から捨ててしまう方が良い。


『長く生きてしまったね』


 生きてても辛いだけなのに無駄にずるずると......。最近幸せって何か気付けたような気がした。人を好きになるって何か気付けたような気がした。そうやって私でも前に進めたような気がした。でも私が前を向けば涙を流して怒る顔が必ずある。私は不幸を沢山知っている。私がみんなを不幸にしているから。


 私なんて死ねばいい。私は車がやって来るのを視認しながらも交差点をノロノロと進み始めた。車が段々と近づいてくる。


 でも、車は私の手前で停車して、私が渡り切った後に再発進した。誰も死にたがりとは関わりになりたくないのだろう。


 道を渡った先の壁に一枚のポスターが貼られていた。


“神社祭り 5月13日(土曜)”


(こんな時期に祭りがあるんだ。明日じゃん)


 ポスターには神社の境内に屋台も並べられている説明や、行事のスケジュールが書いてあった。


 ユウトは焼き鳥とか屋台の食べ物好きそうだから誘ったら喜ぶかもしれない。最後にこういう思い出を作っても罰はあたらないよね。まぁ行くか行かないかはユウト次第だけど。


 

 ―――家に着くと買い物袋をおろして、冷蔵庫の中へポイポイと入れていく。今では冷蔵庫の中も充実してきた。あれもこれも私が買ってきたものばかりだ。なんか変な感じ。


 気怠く冷蔵庫に食材をしまっているとユウトが帰ってきた。もうそんな時間になってたんだ。


「ただいま」


「うん」


 忘れる前に言っておくかと明日の祭りについて話そうとした。


「あのさ、明日仕事が終わったら......」


「っあ」


 ユウトがしまったという感じで声をだした。


「なに?」


「明日仕事が終わった後、用事で出かけてくる」


「......そう」


「一回は家に戻るけど、着替えてすぐに出かけるよ、だから明日ご飯は外で食べるね」


「わかった」


 私はユウトから視線を外して、残りの品を冷蔵庫の中に入れていく。


「サクラ......? なんか元気ない?」


「べつに、ふつう」


「そう......?」


「もうご飯作るからあっちいってて」


「なにか手伝おうか?」


「いい、あっちいってて」



 私はユウトとろくに目を合わせずに、冷蔵庫にしまったばかりの鶏肉を取り出して台所へ立った。しばらくユウトの気配がしてたけど、隣の部屋に移ったみたいだ。


 鶏肉を食べやすい大きさに切り分けて、少し水につける。水から取り出して酒、醤油、ニンニク、コショウで味付けをしてもう一度ボールの中で15分ほど漬け込む。今日はユウトが好きな唐揚げにする。


 一度まな板と包丁を綺麗に洗って、キャベツを千切りとニンジンを薄く千切りにしてサラダをつくり、冷蔵庫で冷やしておく。


 鍋でお湯を沸かし、味噌汁をつくる。


 ご飯を炊いてない事に気付いて、しまったなーと思いながら炊飯した。


 早く作ってもご飯が炊けるまでは食べれない。どうせならと、肉の漬け込む時間を倍に増やすかと何をするでもなくボーっと眺める。これがユウトに作る最後のご飯になるんだなって、そんなことを思った。ユウトが出かけるなんてめずらしい。たぶんもうお別れの時間なんだと思う。この機会に邪魔なゾンビは消えなければならない。


 邪魔な私が居なくなったらまたカップ麺を勝手に食べればいいし、嫌なら彼女にお願いすれば喜んで作ってくれるだろし、私ではできない幸せを勝手に作れば良い。


 ボールの中の余分な調味液を捨ててキッチンペーパーで鶏肉の表面を拭き取る。片栗粉をまぶして、熱したフライパンで揚げ焼きにする。弱火でじっくり中まで火を通して一旦トレイにあげて更に余熱で中に熱を入れる。


 フライパンの温度を上げて取り出して退けてあった唐揚げをもう一度揚げなおす。高温で揚げ焼きにして表面をカリっとさせてできあがり。


 ひとつ摘まんで味見をする。中までちゃんと火が通ってるし、ちゃんと美味しくできている。


 見計らったように炊飯ジャーのご飯も炊けた。中をかき混ぜてもう少し蒸らす。その間にお揃いのお皿にサラダと唐揚げを盛りつけて、味噌汁を注ぐ。


「ユウトできたよ」


「ありがとう」


 ユウトにご飯を手渡して、ふたりで席について『いただきます』をする。それはこの1ヶ月毎日繰り返された事、昨日もしたし、一昨日もした。でも明日はない。


「サクラの作る唐揚げ一番好きだな」


「そう」


「......ねぇサクラ?」


「なに?」


「僕は何か怒らせるようなことをしちゃったかな?」


「してないよ」


「でも」


「ごちそうさま。ちょっと今日は食欲ないから明日食べるよ」


 私は立ち上がり、食べかけの食事にラップをかけて冷蔵庫にしまった。


「先にお風呂入ってくる、ユウトはちゃんと食べてね」


「うん」


「あ、ゆっくり入りたいから浴槽にお湯溜めてもいい?」


「いいけど、それなら先に溜めてからの方が」


「いい、溜めながら入る」


 私は言い捨ててスタスタと歩き浴室に籠った。


 浴槽にお湯を溜めてる間に長い髪を洗い、リンスをつけて団子にまとめる。体を洗い終わっても浴槽にはまだ半分もお湯が溜まってなかったけどかまわずに入る。


 徐々に水位が上がるお湯に浸かりながら時間を潰す。こんな時ですらお母さんの言葉やあの女の言葉が頭の中をぐるぐると回る。全く気が休まらない。


 お前は邪魔なんだと、人を不幸にするんだと、お前は何も欲しがってはいけない。お前さえいなければ私だって幸せになれた。お前は居るだけで迷惑なんだ。お前なんかを誰が好きになる。お前はここに居たらダメな人間だ。


 耳を塞いでも、頭を振っても声は鳴り響く、いっそのこと自分の頭をかち割ってしまいたくなるほど、その声は大きくなっていく。


『出ていきなさい!』『出ていってください!』


 頭の中で重なる声にうんざりする。うるさいなヒステリーな女どもめ、言われなくても出ていくよ。結局私はどこに居ても邪魔者なんでしょ。あんたたちは自分から近づいてくるくせに文句ばかり言って頭おかしいんじゃないか? どうせユウトも私なんか居ても居なくても良いと思ってるんでしょ。いい。もういいから。私は何も要らなかった。いちいち出ていけって言うな。言われなくても目の前から消えてやるよ。


 ―――部屋に戻るとユウトはとっくに夕飯を食べ終えて、お皿まで洗われていた。それがなんだか私なんか必要ないという無言のメッセージに思えた。


「置いといたら洗ったのに」


「いや、今日はちょっと様子が変だったから」


「変じゃないしッ」


「ごめんそういう意味じゃなくて」


 私はドライヤーを手に取り鏡の前に陣取った。


「サクラどうしたの? なにかあった?」


「なにもない」


 私はかまわずドライヤーのスイッチを入れてイライラしながら髪を乾かす。


「言ってくれないとわかんないよ?」


「もう! なんもないって言ってるでしょ!」


 ついカッとなって床を叩いてしまった。


「じゃぁ、なんでそんな態度なの?」


「コレが普通なの、不愛想でごめんなさいね! 謝ったよコレで満足?」


「満足って......そういうことじゃないでしょ......」


 ......初めてユウトとケンカした。やっぱりユウトも怒る事あるんだね。ユウトは悪くないよ。私がこんなんだからみんなを怒らせるの知ってる。


 私の原因不明な理不尽な怒りに、ユウトの言葉もだんだんとキツくなってくる。私のイライラでどんどんユウトを苛つかせてお互い何が何で言い争ってるのかわからなくなる。


 最近は消えていなくなっていたのに、記憶の中のお母さんとのケンカがフラッシュバックしてきて、あの頃の自分に戻ったみたいに苦しい。私はただ自分の世界で生きてるだけなのに、なぜ不幸を私のせいにする? なんで私を追い出そうとする? 私は......私がみんなを不幸にしないために距離をとっているのになんでわざわざやってくる? なんで文句を言う為だけにやってくる? なんで......。


「ねぇサクラぁ、なんで怒ってるのかわからない! 言いたいことがあったら正直に言って!」


「出ていけって言うのか! お前も! 私に出ていけって言うのか!」


 感情が抑えきれなくなって、私は叫んだ。泣きたくないのに涙がぼたぼたと流れていく。こんなの負けたみたいで悔しい。


「ちょっとサクラ、何言ってるの? わかんないんだけど」


「あぁあああああぁぁぁ! もういい!」


 私はドライヤーを投げ捨てて、衝動的に部屋から飛び出そうとした。それを止めるためにユウトが私の腕を掴む。


「待って!」


「離ッして!」


 私が暴れるのをユウトが取り押さえる。


「離してって!」


「サクラごめん」


 ユウトはずっと私を抱きしめたまま離さなかった。私は荒い呼吸を繰り返して拘束から逃れようと暴れるけど、力では敵うわけもなく時間だけが過ぎていく。


「離してよぉぉ、わたしなにもしてないのに、なんで、なんで、わたしちゃんと居なくなるから、消えるから放っておいてよ。うぅぅ」


 ―――どれくらいの時間だろう、長い時間私はユウトに抱きしめられていた。ずっと怒り続ける事は出来ず、エネルギーを消費しきった私は涙も出し尽くして段々と気持ちが落ち着いてきた。


「......ごめん。もう大丈夫だから離して」


 ユウトはゆっくり、ゆっくり力を抜いていく。私はろくにユウトの顔を見れずに視線を泳がして、顔に残る水滴を拭き取り『ごめん』って言ってから鏡の前に座り、もう一度ドライヤーをかけ直した。


 気まずい雰囲気の中、ユウトが私の背後に回る。


「ドライヤー貸して?」


 私は『自分で乾かすからいい』と断ろうとしたけど、鏡に映るユウトが私と同じ落ち込んだ顔をしていたので、素直にドライヤーを手渡した。


「言わないよ、出ていけなんて言わない」


「っそ......」


「誰かに言われたの?」


 私の脳裏に喫茶店のあの女の顔が思い浮かんだ。


「ん、昔を思い出しちゃっただけ」


「そっか」


 髪の乾かし方に上手い下手があるとしたら多分下手な乾かし方。でもユウトに乾かしてもらうからか嫌な気はしなかった。


「誰かに髪を乾かしてもらうの初めて」


「これで仲直りできる?」


「仲直りのやり方わかんない」


「じゃぁ、頭なでてもいい?」


「なんで?」


「仲直りできたかの確認」


「......いいよ」


 ユウトに頭を撫でられている間はあの嫌な声も聞こえなくなる。撫でられている内に消耗した体の緊張の糸が切れたみたいで急に眠くなってきた。


 一瞬眠りかけて頭がユウトの体に当たってしまった。ユウトの顔を確認するといつもの優しいユウトの顔があった。それがなんだかすごく安心して目を閉じてユウトの体に体重を預ける。するとユウトは私の体を支えてくれた。私の意識が少しだけ途切れる。


「......もしかして寝てた?」


「すこしだけ」


 寝ぼけた頭でユウトに正面から抱き着く。


「ユウトを抱き枕にしたら良く寝れそう」


「......」


「なんか眠いから先に寝るね」


 私はユウトから離れてベッドの中に潜り込んだ。最近はまた不眠気味だったのによほど眠かったのか。すぐに眠ってしまった。


 ―――翌朝起きた時にはもうユウトは居なかった。ユウトの朝は早い。今日はちょっと寝坊してしまったのか。いつも片づけられている布団が敷いたままになっていた。


 私はベッドから降りて、ユウトが寝ていた場所に移動して、もう一度横になった。敷布団の厚みは不十分で床の硬さを感じる。ベッドに比べたら寝心地が悪いのに、ここでユウトが寝てたんだなと思うとまた眠気が襲ってくる。


 最近、ぼーっとする時間が増えた。夜に寝れないせいか、起きてる時に眠くなる。じゃぁ昼に寝ようとすると、眠いはずなのに寝れなくてイライラしてしまう。なんか心と体がぐちゃぐちゃで起きてる間ずっと辛い。もうこの体も限界なのかな。


 ―――17時頃になるとユウトが帰ってきた。洋服を着替えてまた出かける準備を始めるユウトに平坦な声で話しかける。


「ユウト、今日の用事ってバイトの子?」


 ユウトは少し気まずそうに、そうだと答えた。きっとあの祭りにでも誘われたのだろう。別にそんな申し訳なさそうな顔なんてしなくていいのに。私はただの居候なんだからさ。


「そっか、今日はご飯いらないんだよね。美味しいの食べてきて」


 そう言ってユウトを見送った。


 ―――また独り残されて、部屋の中は空虚に包まれた。


「バイバイ」


 ユウトが居た場所に向かってお別れを告げる。もちろんこの言葉がユウトに届くわけもない。例え無意味だとしても、それでも言いたい時が私にもあっただけのこと。ただそれだけ。


 私は大きめなカバンに最近少しだけ増えた私物をまとめていく。それからユウトが出かけた1時間後に部屋を出た。ドアのカギを閉めた事を確認して、鍵は郵便受けに入れる。これでもう私はこの部屋には入れない。


 鍵を手放すとどうでも良くなった。もう全部手放そう。


  

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