第11話 価値の本質

 気持ちがぐちゃぐちゃでしばらく動けないでいた。でも行かなきゃ。


 熱が抜けてしなしなになったポテトと、溶けて甘いだけの体に悪そうな飲み物をゴミ箱の中に捨てる。


(急がないとバイトの時間に遅れちゃう)


 涙を拭いながら、不安で苦しい心を落ち着かせようと試みながら歩く、その甲斐あってか少しは落ち着いてきた、目は少し腫れてる感じでヒリヒリするけど、バイトは4時間だけ、ちょっとの我慢。


 従業員用の入り口から入る、そこには午後のメンバーが既に揃っていtた。『おはようございます』と声をかけて急いで身を整える。それから気持ちを仕事モードに切り替えてホールに出た。


「おはようございます」


「はるかちゃんおはよう」


「せんぱぃ」


 先輩の顔を見ると、抑えていた感情がまた溢れてくる。止まっていたはずの涙がまたボタボタと流れてしまう。


「はるかちゃんどうしたの? なにかあった?」


 先輩が駆け寄り、すぐに心配してくれた。


 私が首を振って何も言わないことがわかると、先輩は周りの人に目配せをして私の手を引いてスタッフルームに戻る。


「はるかちゃん大丈夫?」


「......ちょっと来る直前に嫌なことがありました」


 私はどう説明したらいいのか迷った『先輩は女の人と一緒に住んでいるんですか?』なんて聞けないし、今は先輩の口から真実を聞きたくもない。


「ケガとか」


「そういうのは大丈夫です。心がちょっと落ち着かないだけです」


「今日はバイトはやめて家に帰る?」


 今、ひとりになるとずっと、先輩とあの女が一緒になってるところを想像してしまう。そんなのは苦しすぎて耐えられない。


「いま、お家に帰るのは嫌です」


「そっか、じゃぁ気持ちが落ち着くまでここで休憩しよっか」


 先輩が私の事をみてる。私の事を気遣ってくれてる。


「でも仕事が、みんなに迷惑かけちゃいます」


 私が悲しいと、先輩はちゃんと助けてくれる。今までだってそうだった。困ったことがあれば全部先輩が助けてくれてた。先輩がいないと何も頑張れないホントはダメな子なんです。


「大丈夫、僕がフォローに回るから気にしないで」


「そんな、せんぱいに迷惑......」


「迷惑じゃないよ、はるかちゃんにはいつも助けてもらってるからね」


 こんな状態でも、こんな状態だからこそかもしれないけど、先輩の気が引けて嬉しく感じてる自分がいる。私はそんな優しい先輩に意地悪な質問をした。だってちゃんと確認したい。きっと先輩は、はるかを選んでくれる。


「せんぱいは私が雨に濡れて困ってたとしたら、助けてくれますか?」


「そんなの当たり前だよ」


 その答えを聞いて、私は先輩の手を力なく両手で掴んで、自分の頭の上に乗せた。


「私が落ち込んでる時、1番に先輩が頭をなでてくれますか?」


「もちろん」


 先輩は優しい手つきで頭を撫ででくれた。感情が込み上がってきて我慢できずに嗚咽が口から洩れる。


「好きです。......先輩の優しい手好きです」


「そうなんだね。ありがとう」


「また、してくれますか?」


「僕で良ければ」


「先輩じゃなきゃ嫌ですよ」


 私は泣きながら精一杯の笑顔を先輩に向けた。


 私が好きなのは先輩だけです。他の人は要りません。


 私が欲しいのは先輩に出会った時からあなただけです。だから私以外の他の人に必要以上に優しくしないでください。私なら先輩の優しさも全部受け取れます。


 それなのに、変な女に騙されちゃダメです。あの人が先輩にあげれて、私があげれないモノなんてありません。だから私だけでいいんです。


 言いたくても伝えられない思い。それでも心の中ではちゃんと明確にする。私自身が迷ってしまわないように。臆病になってしまわないように。


 私はもう一度先輩の手を引き寄せ顔に当てる。


「せんぱい、ありがとう、もう少し気持ちが落ち着いたらホールにでます」


 頬で先輩の体温を感じてからそっと手を離した。


「無理しないでね」


 先輩は一瞬言葉に詰まったけどそう言って、ホールに戻っていった。


 流れる涙を何回も拭って、やっと止まった頃に店長が入ってきた。


「遥香ちゃんこっちにいらっしゃい」


 やっぱり怒られちゃうかなと思い内心ビクビクしながら、店長の部屋に入るとホットココアが用意されていた。


「ユウトちゃんが用意してくれたのよ、飲んであげて」


「はい......」


 先輩ココアを選んでくれたんだ。ココアを口に含ませる。温かくてホッとする。


「迷惑をかけてしまってすみません」


「今日は嫌なことがあったみたいね」


「はい......」


 店長は優しい笑みで私の言葉を受け止めた。


「生きているのだもの、色々な事が起きては過ぎ去っていくものなのよ。......初めてあなたに会った頃、あの時遥香ちゃんはタマゴを被ったままのヒヨコみたいだったわ」


 私が何の話だろうと首を傾げていると『悪い意味じゃないのよ』と店長は続けた。


「私はあなたの成長が楽しみだったのよ。遥香ちゃんあなたは変化の星の持ち主よ。あなた自身も大きく変化するし、まわりの人たちも変化させる力があるだからいい子が現れてくれたと思っていた」


 店長は椅子に深くもたれて少し前を思い出すように上を仰ぎ見た。


「あの頃の優斗ちゃんは、機械的だったわ」


 先輩の話になり、興味が出てきて目をパチパチさせながら店長の話に耳を傾ける。


「あなたは知っているのかしら? 優斗ちゃんの1年前の出来事を」


 私は考えてみたけど思い当たる事がなかったので『知りません』と首を横に振った。


「そう、機会があれば優斗ちゃんが話すと思うわ。優斗ちゃんはあの頃、見た目では自立しているように見えて、その中身は全然だったのよ。優斗ちゃんは遥香ちゃんと出会ってから変わっていったわ、あなた自身もそう見違えるほど綺麗になったわね」


「ありがとうございます」


 綺麗になったと言われてすごく照れる。


「私はこうして、あなた達の変化を見るのが楽しかったのよ。そうね......世の中には価値という概念があるわね。物には価値があり、出会いにも価値があり、経験にも価値がある。それじゃあいったい価値の本質とは何かしら?」


 店長の難しい質問に頭を悩ませる。


「価値の本質は、大事にする気持ち......ですか?」


「ふふ、その答えも素敵ね」


 店長はひとしきり笑った後に『私はね』と話を再開した。


「価値の本質は変化だと思っているのよ」


「変化ですか?」


「そう、一番分かりやすいのがお金ね、お金には価値があるわ、色々なモノに交換できる。でも、お金ではなにも買えなくなったらどう? お金の価値がなくなるでしょ?」


「はい」


 あまり、理解はできていないけどとりあえず『はい』と答えた。


「そのココアに価値があるのは、味を楽しみ飲んだ人をホッとさせる変化があるから、出会いに価値があるのは新しい刺激で考え方に変化があるから、経験に価値があるのは喜怒哀楽の感動の変化があるからなのよ」


 私はだんだんと店長が何を言いたいのかわかってきてうんうんと頷く。


「私は昔、占い師という稼業をやっていたのだけれど、お客さんはみんな変化を望んでやってきたわ。だからね遥香ちゃん、そういう意味では、あなたは優斗ちゃんに対して大きな価値を提供したし、大きな価値をもらってもいる。二人とも良い方向へと変わっていったのよ」


「それなら嬉しいです。今まではせんぱいとの関係に私、満足してたんです。でも、今は満足はしてません」


「そうなの。変化はあなたの得意分野だわ。どんな物事も受け止め方で未来は変わるものなのよ。衝突は大きな変化をもたらすもの良い方へ転ぶか、悪い方へ転ぶかはあなたにしか選べない。あなたの最善の道を選びなさい」


 店長さんの言葉は時々難しい。でも胸に刺さる。私にとって大事な事が何なのか教えてくれてるんだと思う。


「店長ありがとうございます。少し前向きになれたと思います」


「そう」


「私、ちゃんと仕事してきます」


「わかったわ、よろしくなのよ」


 私は立ち上がり『失礼します』と言ってホールに出た。すぐに先輩が私に気付き声をかけてきてくれた。


「はるかちゃん今日は無理しなくていいんだよ?」


「大丈夫です店長さんともお話して気持ちも落ち着きました。せんぱいココアを作ってくれてありがとうございます。飲んでホッとしました」


 私は今できる精一杯の笑顔を先輩に送った。だけど先輩はそんな私が無理をしてるのとでも思ったのか心配そうな表情がとけることはなかった。



 その後も先輩はホールに残り、一緒に仕事をしてくれた。そんな優しい先輩と一緒に居られることがなにより嬉しい。これならもっと長く働いていたかったなと思うけど、高校生の私はみんなよりも早く勤務時間が終了する。


 スタッフルームに戻り、エプロンを外していると先輩が入ってきた。


「せんぱい、今日はこんな時間までありがとうございました」


「それは良いんだよ。それより、ひとりでちゃんと帰れる?」


 先輩はまだ私が元気がないと思ってるみたい。


「すこしだけ心細いけど、ちゃんと帰れますよ」


「......送ってあげようか?」


 期待でドキドキして、先輩の優しさに目が滲んでくる。


「いいんですか? 先輩疲れてますよね?」


「いいよ気にしないで、急いで車をとって来るからここで待ってて」


「あ、せんぱい」


「どうしたの?」


「車まで一緒に歩いたらダメですか?」


 先輩は少し考えて『はるかちゃんがそれでいいなら』と答えてくれた。


 今まで喫茶店の仕事中以外で先輩と一緒に居れたことがないからすごくドキドキする。今は本当に先輩とふたりきりなんだ。


「道暗いですね」


「今日は雲があるから暗く感じるね」


 私は勇気を出して先輩の手を両手で掴む、先輩がびっくりして歩くのを止めた。


「私と手を繋ぐのは嫌ですか?」


 ドキドキしながら、絶対に先輩なら嫌とは言わないと思ってそんな言い方をする。


「嫌じゃないけど、ちょっと照れるかなぁ」


「嫌じゃなかったら今だけお願いします」


 先輩を掴む手にギュッと力を入れて先輩の目をまっすぐみる。先輩は目を泳がせてからまたゆっくりと歩き出した。先輩の反応が可愛い。


 右手でしっかりと先輩の手を握って歩くと、左手が寂しいと訴えだした。その意見には同感なので先輩の腕を引き寄せ胸に抱えて左手で抱え込む。先輩の腕にピッタリとくっつくので少し歩き辛いけど、全身がドキドキして気持ちいい。


「せんぱいと居ると安心します。こうしてるだけで元気がでてきました」


「っ......」


 先輩は何か言いかけた言葉を引っ込めて、右手で私の頭を優しくポンポンってしてくれた。それが嬉しくて、幸せ過ぎてとろけてしまいそうだった。


 15分ほどかけて先輩の住むアパートに辿り着く。先輩は『カギをとって来るからここで待ってて』と階段を駆け上っていった。


 もし、あのピンク髪の女が言ったことが真実なら部屋にはあの女が居る。それを思ったら、また胸が締め付けられるように痛くなった。


 ......確認したい。でも先輩がそれを見られたくないっと思っていたらきっと見ない方が良いんだろう。私を待たせて部屋に行ったのはそういう気持ちがあるからだと思った。だけどそれでいい、私が先輩の彼女になって女を追い出して、それはなかったことにするんだから。


 先輩はすぐに戻ってきた。先輩の誘導に従い車の助手席へと乗り込む。シートベルトを締めてとなりを見ると当たり前の事だけど先輩が座ってていつまでも見ていられる。


「どうしたの? そんなにみつめてきて」


 先輩がすこし困ってる。


「せんぱいが隣にいるなぁって思いまして」


「?」


「すごく幸せだなって思いました。今日はすごく辛いことがあったんですけど、先輩が心配してくれて、隣に居てくれて、家まで送ってくれるって今までになかったことだから、悪いことより、良い事の方が多くなってしまいました」


 先輩は私の話を聞きながら車を発進させた。


「私せんぱいに出会うまで、男の人がちょっと苦手だったんです。なんていうか荒々しいというか、どう接したらいいのかもわからないしちょっと怖いなぁって思ってました」


「そうなんだ」


「はい、でもせんぱいと出会ってから先輩みたいに優しい男の人もいるんだなってわかって少し平気になったんです。それでもせんぱい以外の人はやっぱり苦手な部分はありますけど、すぐに逃げ出す事はなくなりました」


「逃げてたの?」


「逃げてました。話しかけられると『あ、ごめん今忙しいから!』って言ってすたたたーって逃げるんです。今思うとすごい失礼ですよね。明らかに嘘だと分かる言い訳だし」


「なんかイメージにないなぁ」


「そうですか? 私、バイトしてから結構変わりました。昔はクラスでも目だない方だったんですよ。今は......制服を着てない時は大学生に間違われたりします」


「確かに遥香ちゃんは大人っぽい雰囲気があるね」


「ほんとですか? うれしいです」


 先輩の言葉が嬉しすぎてルンルンって体を動かしちゃう。中身は全然大人じゃないですけどね。もっと先輩とふたりでいれたらいいのに、車はどんどん私の家に近づいていく。


 別れ際にほっぺにチューしたら私の事意識してくれるかな。年下の恋人もいいなって考えてくれないかな。ちらっと先輩との距離を確認する。運転席と助手席って結構距離があるんだと思った。


 ほっぺにまで顔を近づける為にはシートベルトを外して、乗り出さないと届かない。先輩の方から顔を近づけさせないとダメかな。そんなことを考えると気持ちがソワソワしてきた。


「せんぱい次の信号を左です」


「わかった」


 どうしようもう着いちゃう。キスできるかな、しちゃったら嫌われるかな、でもほっぺだから......先輩どんな反応してくれるんだろ。ちょっと怖い。


「あそこです。もう見えたのでここらへんで止まってくれたら大丈夫です」


 車が減速して、端に寄せて停車した。自分の企みにドキドキしすぎて呼吸が苦しい。


「せんぱい、今日はありがとうございました」


「良いよ。気にしないで」


「いえ、ほんとに今日はダメダメだったのでせんぱいが居てくないとダメでした。それであの......」


(はるか、お礼のついでにほっぺにキスするんだよ。頑張ってわたし)


 私はシートベルトを外しそれから口のまわりを両手で包んだ。そのしぐさで内緒話なのかなっと思った先輩が耳を寄せてくる。私はそのまま先輩の耳を包み込むようにして隠した。


「13日の日先輩とのデート楽しみにしてます......」


 キスする意気込みで近づいたから、近くなり過ぎて喋ってる途中に軽く先輩の耳に唇がふれた。ちょっと触るか触らないかそれだけしか当たってないのに唇がゾクゾクと感覚が鋭敏になって、唇がジンジンと熱い。


「お、おつかれさまでしたっ!」


 急に恥ずかしくなって車から降りて、お家へ走る。最後はまともに先輩の顔が見れなかった。キスはできなかったけど、先輩は耳に唇が当たちゃったの気付いたかなぁ。


「ただいまー」


「おかえりなさい」


 声をかけると部屋の向こうから返事がくる。そのまま私は階段を上がって自室に直行した。鏡で自分の顔を確認するとすごく赤い。


「はぁ、どうしよう、顔が熱い、どうしよう」


 心臓がずっと苦しいくらいにドキドキして、顔に熱が上がってくる。


「うぅぅ、こんなちょっと触れただけで、すごい唇がジンジンする。こんなの本当にキスしたら死んじゃうよ。キスってエッチな事だったんだ。どうしよ首のまわりがゾクゾクするこれって治るのかなぁ」


 大きなぬいぐるみを力いっぱい抱きしめてベッドの上に倒れる。先輩に恋してるって実感すると全身が幸福に包まれてボーっとして気持ちいい。


 スマホを取り出してメッセージアプリを開き先輩にメッセージを送る。


<家まで送ってくれてありがとうございました。先輩のおかげですごく、すごーく元気がでました。私やっぱり先輩がいないとダメですね。先輩と出会えたのが、はるかにとっての幸運だと思ってます。13日は本当にほんとーに楽しみにしてるのでよろしくお願いします>


 やっぱり先輩は誰にも渡したくない。私ちゃんと告白する。そう心に決めた。 

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