第10話 前を向いた先は行き止まり

 ユウトの部屋に転がり込んでからもう少しで1ヶ月が過ぎようとしていた。どうせ嫌われてすぐに追い出されると最初は思っていた。それがいつの間にかもう少し一緒に居たいと思う自分に気付く。


 私自身こんなに長い間お世話になってしまうと思ってなかったし、随分と甘えてしまっている。ユウトには借りを作ってばかりで何も返せていない。これ以上はさすがに罪悪感が強くなる。この環境の居心地が悪くなるのは嫌だった。


 私だってできることなら、今の貴重な普通の生活を続けたい。


 それとなく、ユウトに確認してみるのだけど、どうやら私を追い出すつもりはないみたいなので、ユウトとこの先も一緒に居ることを考えて、仕事をさがし始めた。


 とはいえ、中卒の私に選べる仕事は少ない。今までの様に夜のお酒を注ぐような仕事はユウトと一緒にいる間はしたくなかった。それで初めて派遣の登録をするために、駅前のオフィスまで行った。今はその帰り。


 簡単に説明を聞いてみたけど、真っ当な仕事が私にできるのか不安しかない。つくづく社会不適応なのだと思い知る。人と関わらない仕事とかあれば良いのに。


「ちょっとすみません、少しお時間ありますか」


 スタスタと歩いていると知らない男が話しかけて来たので、軽くあしらう。


「ない」


「歩いてる姿が素敵だなって思って声をかけました。僕はストリートスナップを撮っていて写真を撮らせてはくれないでしょうか?」


「だめ」


 全く興味を示さずスタスタと歩く私に見切りをつけたのか男は違う人を探しに行った。


「あの!」


 今度は女の声、気にしないでスタスタと歩く。


「待ってください」


 女は走り寄り私の手を掴んで、引き止めた。随分と強引な女だ。


「なに? 邪魔なんだけど」


「あなたに確認したい事がありまして」


 急に走って少し呼吸が乱れてる女の顔見る。少し見覚えのあるこの子は......ユウトが働いてるお店の高校生ぽい子だ。


「わたし覚えてますか?」


「ユウトの喫茶店の」


「そうです!」


 まっすぐに私の目を見てくる。なんだか苦手だな。


「私に何か用?」


「あなたはせんぱ、ゆうと先輩とはどういった関係なんですか?」


「あんたに関係ないでしょ?」


「私先輩が好きです。本当に関係ありませんか?」


「......」


 ちょっと前の私なら、関係ないと、好きにすればいいと平気で言えたと思う。でも今は関係ないとは言えなかった。


「答えてください。あなたは先輩とはどういった関係なんですか?」


「......一緒に暮らしてる」


 私の答えに、女は驚愕で目を見開いた。


「そんな、嘘です」


 私は、心の中で迷っていた。嘘を言うつもりはないけど、適当に説明を省けばこの女は勝手に勘違いして、身を引くかもしれない。私は、私の事だけを考えるならそうした方が賢い対応だと思った。でもユウトの事を考えるとそれはいけないような気がした。


『ねぇ、こいつにユウトをとらせたらだめ』


 頭ン中の私がしゃしゃり出てきた。ややこしくなるから黙ってて。


「付き合ってないよ。あんたが頭の中で考えたエロい妄想のようなことはしてない。ただ一緒に暮らしてるだけ」


「ちょ、何言ってるんですか! 考えてません! ッじゃなくて付き合ってないってどういうことですか......」


 女は今にも泣き出しそうな小さな声で問いかけてきた。消え入りそうな声、でも私を掴む手は緩めたりしない。


「今お金持ってないの、何か奢ってよ」


「なんで私が」


「嫌ならいい、帰るから手を離して」


「ッわかりました。奢ります」


『わたしコイツキラーイ』


(それは向こうだって同じこと思ってるだろうさ)


 私は適当なファーストフードのお店の中に入った。


「ここで良いんですか?」


「いいよ、場所を移動したかっただけだし」


「そうなんですね。......注文は何にしますか?」


「甘いやつなら何でもいい」


「そういうのが一番困ります」


 女はスマホを取り出して操作を始めた。


「これでいいですか?」


 画面映し出されていたのはここのメニューだった。どうやらポテトとシェイクのセットメニューにするつもりみたいなので、いいよと頷く。


 女は操作を続けて注文を確定してようだ。


「商品を受け取って来るので待っててください」


 そう言うと女はスタスタと歩いていく、高校生だと思ったけど大学生かもしれない。


『なんでアイツと話しようと思ったー?』


 知らないよそんなの、別に関わりたくはないよ。ただ、私にユウトを好きになる資格があるのかなって知りたい。


 私の中のユウトへ向ける想いは恋愛感情なのかわからない。私は人を不幸にする。ユウト以外の他の誰かを不幸にしても別に構わないけれど、ユウトを不幸にはしたくないと思っただけ。


『そうだね』


 珍しく頭の声が肯定してきた。


(だからさ、あの女がどんなヤツなのか確かめようよ)


 女が注文した品を持って戻ってくる。なんだか配膳してるのが様になってるなっと思ったらそういえば喫茶店で働いてたね。


「バニラとチョコどっちが良いですか?」


「バニラ」


 私の目の前にコトンとシェイクが置かれる。ポテトも取りやすいように向きが調整されてる。


 女はカバンの中からスプレーを取り出して手にシュッシュと吹き付けた。多分消毒用のアルコールだね。無言で差し向けて来たから断ろうと思ったけど、一瞬考えて消毒する事にした。


 ポテトをひとつ摘まみ口の中に運ぶ、揚げたてのカリっとした食感がまだ残ってて美味しい。でも味わうほど空気は和やかではないね。


「あんたさ、ユウトが好きなの?」


「大好きです」


 良くもまぁ恥ずかしげもなく言い切れるものだ。私だったらこうは言えない。


「あなたは、好きなんですか先輩の事」


「......嫌いじゃない」


 まぁ、聞いた事は聞き返されるか。


「あなた呼びは失礼でしたね。なんてお呼びしたらいいですか?」


「いいよそれで、あんたと仲良くする事はないから名前も知らなくていい」


「そうですか」


 私の素っ気ない態度にムッとしながら難しい表情を作りどう話をすすめようか考えているようだ。


「それで何が聞きたいの? 食べ終わる前に聞いた方が良くない?」


 私が焦らせるようにパクパクとポテトを口に運ぶのを確認して、女は瞬きを数回繰り返し目を右へ左へと動かして口を開いた。


「なんで先輩と同棲してるんですか? 嘘だったら怒りますよ」


「怒るのは構わないけど、嘘じゃない。もうすぐ1ヶ月になる」


「そんなに......なんで?」


『ほらやっぱりこいつはユウトとのことを知りたがってる、全部話そうよ』


 頭の中の声の提案も悪くない。ユウトが私にしてくれてることを話したらこの女はどんな反応をするんだろうか。


「雨の日にアイツと出会ってさ、雨で濡れたわたしを心配して部屋で服を乾かしなよって言われてユウトの家に行った」


「せんぱいのばか」


「部屋のお風呂を借りて、着るものなかったから、ユウトの服も借りた」


 女は話を聞きながらイライラしたのか、眉間にシワを寄せシェイクを勢いよく吸って不機嫌そうに頬を膨らました。


「その日に、ユウトにエッチしていいよって言った」


 女はぶふっと口からシェイクを吹き出し慌てて自分の手で受け止めた。恨みと怒りが混じったような顔で睨みつけてくる。


「そんなに怒るなってユウトは手を出してこなかったよ。......手を洗ってくれば?」


「当たり前です! 先輩はそんなことしません!」


 そう言い捨てて、女はトイレへ向かった。私はシェイクを手に取りストローで吸い出す。


『怒ってる、怒ってる』


 まぁすぐ怒ったな。でも『先輩はそんなことしません』か、たしかにユウトは手を出してこなかった。頭は撫でられたけどね。


 すぐに女は戻ってきた。


「まだ話聞きたい?」


「当たり前です」


「あっそ、あんたはユウトの事どれくらい知ってる?」


 返事はなくても、顔があなたよりも絶対知っているとでも言いたそうだった。


「ユウトの部屋はさ、冷蔵庫の中身が空っぽで、部屋の隅に置いてある段ボールの中にカップ麺がたくさん入ってて、しかも辛いやつばかり。毎日そればっか食べてたらしいよ。今は私がやめさせてる」


 女は困った顔をした、こういうところはわかるはずもないよね。


「私は辛いの苦手だから、せっかくもらったけど残して、その後はすぐ寝た。部屋に泊めてもらったけどあんたが心配してる様な事は何もないよ」


 女は前のめりになってた姿勢をゆっくりと戻し、椅子に背を預けた。


「次の日に雨に濡れてた私が熱出して、ユウトは1日中看病してくれた」


「せんぱい優しいから......」


「前にあんたにお店の前でユウトがここで働いてるか聞いたよね」


「......はい」


「あの時、私はユウトの家から出ていくところだったよ」


 あの日はもう二度と会う事もないと思ってた。


「だけど、ユウトがね。連れ戻しにきた」


 女は両手で顔を覆い肘をテーブルにつけた。


「あの日、せんぱいにあなたの向かった方向を教えたのは私です」


「ふーん」


「それからずっとですか? ずっと一緒に住んでるんですか?」


「そう」


 女は顔を覆ったまま黙った。周りがガヤガヤうるさいせいで聞こえにくいけど鼻をすする音が聞こえる。


「そんなのおかしいです。どうしてあなたは自分の家に帰らないんですか?」


 私に帰る家はないよ。


「なんで先輩にまとわりつくんですか? あなたがやっているのは先輩をただ利用しているだけじゃないですか、付き合ってるんですか? 好きなんですか? 先輩を愛してますか? あなたは先輩を幸せにしてくれるんですか?」


 悲痛を漂わせて、赤く充血した目で私を睨む女。この子は本当にユウトの事が好きなんだ。他人の不幸は蜜の味だって? 全然甘くない。マズすぎて私はもう要らないかな。不幸になるなら私の知らないところで勝手に不幸になってくれ。


「あなたはどうして、先輩を選んでそこにいるんですか? せめて私を納得させてください! あなたがそこにいる理由は?!」


「......ユウトと一緒に居たいと思ってるからではダメかな?」


「ダメです! そんな事はずっと! ずっとずっとずっと前から私が思ってます! 先輩の事が好きな気持ちだって絶対負けていません! 一緒に居たいと思うだけそんな理由なら私の方が先なんです。私とせんぱいの間に勝手に割り込まないでください。」


「そんな事言われてもね。ユウトは私に居て欲しいって言った。あなたじゃなくて私に言った」


 女は更に涙を溢れさせて感情的に言った。


「なら! 私にそばに居て欲しいって言わせてみせます! あなたは先輩の相手として相応しくありません。そんな派手な見た目で男の注意を引いてなにが楽しいんですか? 結局あなたは飽きたら先輩を不幸にして悲しませるのでしょう」


 不幸にしてやりたいなんて思ってない。悲しませたいなんて思わない。 


「あなたが純粋に先輩の事が好きなら一緒に居たい、その気持ちはわかります。でもさっきなんて答えましたか? 『嫌いじゃない』ですよ。好きとも言えないあなたがどこをどう間違えば先輩を傷つけないで済みますか? 私はずっと、ずっと前から先輩の事が大好きで先輩の事ばかり考えて、先輩に振り向いて欲しくてオシャレして先輩の隣にいられるように可愛くなれるように沢山努力してきました」


「だからなに?」


「あなたはどうですか? 先輩の為に何かしましたか? 迷惑かけているだけってのはわかっていますよね? それなのにどうして平気でいられるんですか?」


「うるさいな」


「先輩は優しくて、純粋な人なんです。あなたのように困った人がいたら助けてしまって、同情から放り出せずにいるんですよ。例えば、公園で子犬を拾ったら、最後まで世話を見ちゃう人なんです。元の場所に戻すのが可哀そうって思う人なんです。きっと私があなたのように雨に濡れて困ってたら先輩は助けてくれます。帰る家がないって言えばここに居ていいよって......いってくれるもん」


 女は唇を震わせながら、それでも言うのを止めない。


「あなたのそのやり方はズルいです」


「ハイハイ、私はズルい女ですよ。これで満足?」


「バカにしないでください! あなたは何を差し出せますか? 私はまだ男の人と付き合ったことがありません。私は私の初めてを全部先輩にあげます。先輩のそばに居られるだけで私は幸せです。だから先輩の事を幸せにできます。あなたには無理でしょう? 好きでもなんでもないんだから! あなたはただの居候です。本来そこに居てはダメな人間なんです。私と先輩が付き合ったらすぐに出ていってください!」


「それでいいよ、もしユウトがあんたを選ぶなら私は消えるよ」


「はい! そうしてください!」


「じゃ、話はおわりね。私はユウトのところに帰るから」


 女は頭を抱えて自分の衝動を堪えていた。


「待ってくださいッ。最後に本当の事を答えて、先輩の事、本当はどう思っているんですか?」


 荒い呼吸で怒りを我慢して、最後の最後に情状酌量でも見つけようと思ったのか、そんな無意味な質問なんてしなくていい。あんたがユウトを幸せにするなら奪い取ればいい。あんたはあんたがやりたいようにやりなよ。私は私のやりたいようにやるからさ。


「言う必要ある?」


「答えて」


 私は据わった目に低い声音で相手にきちんと伝わるように言ってやった。あんたとは仲良くなんてなれないよ。ばーか。


「アイツってさ......ゴールデンレトリーバーに似てない? 人間は嫌いだけど、そういうのは割と嫌いじゃないの」


「最っ低......」


 最低っていうけどさ、ユウトは私の事チワワだって思ってるんだってよ。ユウトにもその言葉言ってあげてね。


 私は女を席に置き去りにして店を出た。このピンク色の髪もトラブルばっかり引き寄せるのは問題だな、変えるつもりはないけどさ。


 駅からの帰り道を歩く、ユウトの部屋をゴールに設定して黙々と歩く。


 さっきは聞き流したはずなのに、私がユウトを不幸にするという言葉だけがずっと頭の中でグルグルと再生されて消えない。今は何も考えたくなくボーっとしながら歩いてると、いつの間にか着いていた。


 部屋に入り、靴を脱ぎ棄て、鏡の前に立つ。


 鏡の中には不愛想な女がひとり、酷い顔をして立っていた。


(可愛くなる努力って何? 私がユウトと一緒に居たいって思うのがどうしてだめなの? なんで不幸にするって決めつけるわけ?)


 上着を脱ぎ肌着になる。顔は不愛想で、左腕には生々しい傷跡が消えずに残ってる。もう犯されてしまった体。生きるのが嫌で死んだ中身。私はゾンビかよ。こんな女を誰が欲しがるのか。男だったらあの女みたいなのが好きに決まってる。ユウトもたぶんそう......私だってゾンビのような女は間違っても選ばない。


 私がユウトに差し出せるもの? そんなものはない。ユウトが居て欲しいって願ったから。ここにいる。ほんとそれだけ。私がなんの価値もない女ってのは前から気付いてたのに。最近はそれを忘れてた。


 ―――今日はいつも帰宅する時間になってもユウトは帰ってこなかった。とりあえず夕飯だけでも作っておくかとカレーを作る。


 そのまま3時間が過ぎて時計の表示が20時をだいぶ過ぎた頃、ユウトが帰ってきた。


「おかえりユウト」


「ただいま、ごめん車のカギとってくれる?」


 私は頭にはてなマークをを浮かべて鍵をわたす。


「どこか行くの?」


「うん、今日バイトの子がさ体調悪くて、ずっとお店で休ませてたんだけど心配だから家まで送ってくるよ」


「......そうなんだ」


「もしかしてご飯待ってた? ごめんね先に食べてて」


「わかった」


 扉がバタンと閉まり、律儀に鍵がカチャンとかかる。それから急ぎの足音が段々と遠ざかっていく。


 私は窓まで移動して駐車場が見下ろした。


 陰になって顔までは見えないけど服装をみるにユウトの隣を歩くのはあの女だった。


 ユウトに勧められて助手席に乗る女。ユウトも続けて運転席に乗り込み、

しばらくもしない内にどこかへ行ってしまった。


 私はお皿を取り出し、ご飯をよそい、冷えたカレーを温めることもしないでついだ。


 静まり返った部屋で、食器にスプーンが当たる音が変に響く。


「......辛い。辛いの苦手なのになんでカレーにしちゃったんだろ」


 食べかけのカレーを押しのけてテーブルの上にうつぶせになった。


 今日私が帰った場所にはユウトがいない。それがこの先を暗示してるようで消えたくなってくる。


「私だって好きだよ」


 やっぱり好きになるんじゃなかったな。最初からずっとは一緒に居れない事はわかってた。あの女がユウトを好きなのも知っていた。私が邪魔になるのは時間の問題だった。


「......バカだな私」

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