第6話 目標を失った男
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ユウトと過ごす日々は平穏でなぜか上手くいっていると思う。ちょっとだけ私の私物も増えた。と言っても数日分の着替えだけど。着替えはないとさすがに困った。
私と接すると大抵の人が不機嫌になってすぐにケンカになるのにもかかわらず、ユウトとはケンカにもならない。さすがに私も毒気を抜かれつつあるのかも。警戒心というものをどっかに忘れてしまったようだ。
そんな、なんでもない日々を過ごしていたのだけど、ある日私は無遠慮な質問をユウトにしてしまった。
部屋の目立たないところに1枚の写真が飾ってあった。40代かそこいらの中年の女性の写真が写真立てのフレームの中でにこやかに笑っている。
どこかユウトと似た笑顔をする女性だったから何となく訊いてしまったんだ。
「これってユウトのお母さん?」
「あ、うん。そうだよ」
「なんか優しそうな人だね、私の親とは大違い。写真飾るって事はやっぱり仲が良いんだね」
「仲は良かったと思う」
「ん? 仲は良かった?」
その言葉を口にしてから、自分の迂闊さに『しまった』と思った。親の写真を飾っている意味に薄々勘づいてしまったからだ。
「1年ほど前にね」
「気付けなくてごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」
「わかってるよ。......母はね、弱音を言わない人だった。いつも僕の心配ばかりしてる人だったから、きっと今も僕の心配でもしてるのかな」
ユウトは写真を一度手に取り眺めた後でもう一度棚に置きなおした。
「でも、今はサクラがいるから少しは安心したのかも表情が明るくみえる」
「逆かもよ、こんなピンク色の髪した女が一緒に住んでたら心配になるんじゃないの」
「母なら多分そのピンク色の髪を可愛いって言うと思うよ」
「......ふーん」
私は自分の親が死んだ時の事を考えてみた。それは上手く想像することが出来なかったからか、関係が良くなかったからか、特に何の感情も浮かんでこなかった。ユウトは自分の親が亡くなってしまって悲しくはなかったのだろうか?
「ねぇ......ユウトは悲しかったりするの?」
「そうだね。今は結構持ち直したつもりなんだけど、当時は......ね」
私は目の前の優しい男が、優しいだけの男なのか知りたくなった。深く聞けば嫌な顔をするかもしれない。思い出したくない過去を聞く私を無神経な女と怒るかもしれない。
ただ、そういう一面もあるなら見てみたいと藪を突っつきたくなった。私はどうしてだかユウトを怒らしてみたいと思っていたのかもしれない。
「教えてよ、ユウトのお母さんの事、その時のユウトの事」
ユウトは少し困った顔で確認してきた。
「そんなことが聞きたいの?」
「うん」
ユウトの様子をみる。怒るというより思案するって感じだ。
「じゃぁ先にコーヒーでも淹れようか」
「コーヒーなんて淹れられるの?」
「これでも喫茶店で働いてるんだよ?」
ユウトは相変わらずの優しい笑顔でほほ笑みかけてきた。
「そっか、でも私苦いのは飲めないから」
「カフェラテにするよ甘くするから大丈夫だと思うけど、もし飲めなかったら残していいよ」
「わかった」
ユウトは手慣れた手つきでお湯を沸かしてコーヒーカップを2人分用意する。昨日ユウトが買って帰ってきたやつだ。フィルターの中にコーヒーの粉を入れる。コーヒーなんて飲もうと思ったことがないからジロジロと見てしまう。
お湯をゆっくりと回しかけるように注いで、すぐにお湯を入れるのを止めてしまった。
「何してるの?」
「今、コーヒーの豆を蒸らしてるんだよ」
「ふーん?」
次第にコーヒーの香りが部屋の中に漂ってきた。
「このコーヒーの香りは嫌いじゃないよ」
「良い香りだよね」
ユウトはまた少しずつお湯を入れてはカップの中にコーヒ―が滴り落ちるの待ってはまた少しずつお湯を入れる作業を繰り返す。
コーヒーを淹れるのは結構時間がかかるみたいだ。そうしたゆっくりした時間にポツポツと話し出してくれた。ユウトにとっては心を落ち着かさせる為の作業であったのかもしれない。
「僕が物心ついた頃から、母とふたりで、父の方の記憶は全然ないんだ。だから母は父の役割までこなそうとずっと無理をしていたのだと思う」
ユウトはフィルターの中のお湯を見つめているようでいて、過去を思い出しているようだった。
「僕は母が寝てるところをあまり見たことがないんだ。夜は遅くまで起きているのに、朝は僕より早く起きていて、それが子供の頃は当たり前で気にもしていなかった。だから、母とふたりそういう日がずっと続いていくものだと思ってた」
「うん」
「でも、高校3年にあがった頃から母はよく体調を壊すようになって、その時になって段々と危機感みたいなものが漠然とだけど、僕にも芽生えてきたんだ。だから僕は高校を卒業したら、もう働いて母の負担をなくしてあげたいと思ってた」
ユウトは『出来たよ』とカップを渡してくれた。少し苦くても我慢して飲もうと思い少しだけ口に含む。苦さはなく甘く温かい。ユウトの淹れたコーヒーはすごく美味しかった。
「......おいしい」
「良かった」
ふたりとも腰を落ち着けて向かい合う。私が無言で見つめてるので、ユウトは逃げられないかと観念したように話を続けた。
「でもさ、やっぱり、『大学はちゃんと行きなさい』って母は言うんだよ」
ユウトはコーヒーを一口飲んで口を湿らせた。
「僕が後悔しているとすれば、あの時はやっぱり母の負担をなくすべきだったって事かな......。大学へ行けばちゃんとした仕事に就けて、そうすればもう母が働く必要がなくなる。そう考えてさ、勉強を頑張って無事に大学には合格したんだ」
ユウトは高校も卒業して、ちゃんと大学にも入れたんだ。頭良さそうだもんね。
「大学もまぁそれなりに問題もなく過ごせてた。それで成人式を迎えた時に、母はすごくホッとした嬉しそうな顔をしたのを覚えてる。それが嬉しくて、やっと大人になれた。楽にしてあげるからもう少しだけ待ってて。そう......思ってたんだけどなぁ」
ユウトは俯いたまま手に持ったカップを眺めて黙ってしまった。無言の時間が過ぎて時計の針の音が部屋に聞こえるほど部屋は静寂になった。私はこの空気を和ませる言葉を持っていなかったし、このままユウトを見ていてはいけない気がして立ち上がって席を離れる。
「ごめん、ちょっとトイレ」
私はすたすたと歩きトイレで少しの時間を潰した。自分で催促しておきながら罪悪感を感じる。私は今ユウトが触れて欲しくない部分に入ったという自覚があった。話の結末はもうわかっている。この先に語られるのはきっとユウトの後悔の話。
部屋に戻ると、ユウトは平然と座っていた。目が少し充血していることにはすぐに気付いた。でもそれこそ触れて欲しくはないだろうと気付かないフリをする。私は『もう話したくなかったら良いよ』と言おうと思った。でも口から出たのは違う言葉だった。性格の悪い事にユウトの弱い部分が知れる機会を無意識に求めていたのだと思う。
「......お母さんはどうして亡くなったの?」
「流行りの風邪と肺炎。でも一番の原因は過労なんだと思う。その頃は治しても治してもしばらくすると肺炎が再発するようになっていて、体力がなかった。母は『いつもの事だからユウトのおかゆ食べたら治るよ』ってうそぶいてさ。
きっと気が緩んじゃったんだろうなぁ。その日は咳も落ち着いていて『ゆっくり寝れそうだ』ってそのままね。ずっと寝ちゃったんだ」
「......」
「朝起きて、母の異変に気付いて救急車を呼んでそれからどうだったかあまり覚えて無くて、夕方に店長から電話がきて、店長の質問にひとつひとつ答えて、その時になって母が死んだんだって涙が止まらなくてさ、やっぱり辛かったよ」
「......うん」
ユウトの後悔は淡々と語られた、言い訳をするわけでもなく、懺悔するように自分の悪かった点、至らなかった点をひとつひとつ上げていく。
「なんであの時あぁしなかったんだろうとか、どうしてもっと心配してあげなかったんだろうとか、後悔ばかりがグルグルして何も手につかなかったよ。本当は僕がやらないといけなかった手続きとかを店長が代わりに全部やってくれたんだ」
「そうなんだ。店長さんっていい人なんだね」
「その後もしばらく塞ぎ込んで学校も行けなくなって、喫茶店のバイトも休んで、なんか頑張る目的を失っちゃってさ。僕が頑張る原動力は母を楽にしてあげたいってそれだけだったから。......そんな風に無気力に過ごしてたらまた店長が色々とアドバイスをくれて......」
ユウトは左上を見上げて、何かを思い出そうとしていた。
「たしか『大事なモノだけ選んで他は手放しなさい』だったかな、『色々背負えば動けなくなる、まず優斗ちゃんは自分で歩けるようになりなさい。あなたの道はまだ続いているのよ』って、家も学校も全部手放させて色々と考えなくて済むようにしてくれたんだ。......学校も家も想いが母に繋がってるって事が店長の事だから全部お見通しだったんだろうな」
その苦境の時、ユウトに手を差し伸べてくれたのはどうやらその店長さんらしい。21歳の私でも、何をしたらいいのか見当もつかない。20歳のユウトもいくらしっかりしてるからと言ってもひとりではなにもできなかったことが伝わってきた。でもユウトの傍に店長さんが居てくれたことが嬉しかった。
「かっこいいじゃん」
「そうだね。恩人だよ」
「......ユウトは悪くないよ」
「え?」
「ユウトはお母さんの事を考えてちゃんと頑張ってたと思う」
「......そうだといいな」
「そうだよ」
私はユウトの過去を知ってどうしたかったのだろう? どうして嫌がると知っていて私は自分の好奇心を優先させてしまったのか。つくづく嫌な女だと自分で思う。
私は勝手にユウトは苦労とか不幸とかとは無縁で、だからこそこんなにも警戒心もなく優しく人と付き合う事ができるのだと思っていた。つまりは、ユウトにもあった不幸を知りたくて、目の前の話題で辛い過去を掘り返させたんだね私は。
他人の不幸は蜜の味というけど、後味はこんなにも悪い。甘いはずの蜜がユウトの過去っていうだけどこんなにも苦い。
人生ってやつはホントに苦い事ばかりだ、このコーヒーの様に砂糖とミルクを入れて甘くなればどんなに良いだろうか。せめて食べ物くらいは甘いモノが食べたいと思う。
「ねぇ、気分を悪くさせちゃた?」
「気分が悪くなったというよりかは......」
「うん」
「話すことで気持ちを前に進めたいなって思えた」
「そうなんだ」
結局ユウトが怒るところは見れなかったな。べつに怒って欲しいわけでもないけどさ。
「なんだか久しぶりに飲みたい気分ってやつかな」
「お酒?」
「そう、サクラはお酒飲める?」
「甘いやつがあったら、ビールの苦いのとかアルコールが少しでも感じるのは不味すぎて飲みたくない」
「居酒屋だとカクテルがあるかな?」
「私、酔った声のデカい男が大嫌いなの、居酒屋にはいきたくない」
「そっか、じゃぁ甘いやつを探してきたら、一緒に飲める?」
「......うん」
ユウトは酔うとどうな風になるのかな、見てみたいようであまり見たくない。酔った人は何人も見てきたけどいい思い出なんてひとつもなかった。
「ねぇ、ユウト、私が酔って暴れ出したらどうする?」
「暴れるの?」
「もしもの話、どうする?」
「落ち着くまで一緒に居る」
「それだけ?」
「ううん、次からはお酒を飲まないように見張っとく」
ユウトの答えに少し笑った。
「じゃぁ、ユウトがお酒飲んで暴れ出したら、次からは飲まないように見張ってあげるよ」
「暴れたことないから安心して欲しいなぁ」
「じゃぁどうなるの?」
「......サクラの頭をよしよし......しだす?」
「へんたい」
「我慢します」
「ばーか」
いいよ、私の頭をよしよしするぐらい。ユウトならいいよ。
「じゃぁさ、飲むならご飯も居酒屋メニューにしようよ、何が好き?」
「そうだな、唐揚げ、手羽先、焼き鳥......」
ユウトの答えに呆れた声で返すと、ユウトは『あはは』と笑った。
「鶏肉ばっかじゃん」
「あはは、ほんとだね。じゃぁサクラに任せるよ」
「じゃぁ一緒に買いに行く、枝豆も買って、ポテトフライも食べたい」
そうと決まればと、簡単に準備して外に出て夜道を歩く、二人並んで歩くけど、手を繋ぐことはないそんな関係。
同じ部屋に一緒に住んでいるけど、男と女じゃなくて、2匹の犬な関係。あっちがゴールデンレトリーバーでこっちはチワワらしい。
変な関係。だからこそ上手く付き合えているのかな?
「サクラのお酒はピーチとかそんな感じのがいいかな? 適当に美味しそうなやつを試してみよう」
「ユウトはお酒どれ飲むの?」
「せっかくだから同じやつのレモン系かな、あとサクラが飲めなかったやつは僕が飲むから、苦手だったヤツはもらうよ」
「べつにユウトの飲みたいやつ飲めばいいのに」
買い物をして、また部屋に戻るだけ、そんな些細な外出さえもユウトと一緒ってだけで良い気分転換になる。
最近楽しい。楽なのはもちろんひとりの時だけど、楽しいのはふたりの時だけ。
「なんか風が強くなってきたね」
「ねぇ、こんなに買ってほんとに食べれる?」
「作るのが大変?」
「今日は唐揚げと枝豆とポテトフライとサラダで良くない?」
「手羽先も食べたいなぁ」
「じゃぁ、手羽先も作るけど」
「お米も食べたいなぁ」
「また増えた―。おにぎりにする? チャーハン?」
―――でもこんな時間が長く続くわけないよね。今の状態が異常なだけだってわかってる。楽しいと認識してはダメだったのに......。
良い事は悪い事で塗りつぶされてバランスがとれる。そんな考えが頭をよぎる。
「サクラの唐揚げ美味しい! 手羽先も美味しい!」
「知ってる」
「せっかくほめてるのに」
「あーりーがーとー、もっと食え」
ユウトの過去を掘り返したなら、私の過去も教えないとフェアじゃない、私は貸しとか借りとかそう言う一方的なのが嫌いだ。それは弱点で、それはある意味呪いだと思ってる。
もし、過去を知って、私が価値のない人間だと知って、それでユウトに嫌われるなら、それはユウトの過去を聞き出した私への罰なんだ。
詮索して欲しくないなら、相手を詮索してはいけない。欲を出したのは私で代償は払わなければいけない。
手にしたものは、取り上げられ、また0に戻る。
私はもう認めてしまった。ユウトが笑うのを見るのが楽しいと。ユウトと話すのが楽しいし、一緒にご飯を食べるのも、ユウトの辛い過去を聞けたのさえもなんだか大事なものをもらってしまった気がした。
「ねぇ、ユウトのお母さんの事教えてくれてありがとう」
「サクラに話せて良かったと思ってる。話して少しスッキリした」
「......だったら良かった」
楽しいを感じる度に、辛い気持ちも襲ってくる。いつ取り上げられるのだろうと不安になってくる。ここに私のお母さんはいない。でも不安が消えた事はない。
お酒を飲んで嫌な過去を忘れられたらどんなにいいだろう、お酒を飲んで陽気に笑えて今日が終えられたら良かったのに。
楽しく過ごしてしまったがために、お酒を飲み進める毎に、私の顔がどんどん曇っていくのがユウトも気付いたんだと思う。また心配そうな顔で私をみてる。そんな顔にしたいわけじゃないのに、やっぱり私は人を不幸にしてしまうんだ。
ユウトが雰囲気を変える為にテーブルの上のお皿を下げて綺麗にする。
私は片づけを手伝う事もせずにベランダに出る掃き出し窓近くの床に移動して外を眺めた。
出かける前の静かな空とは打って変わって春の嵐と呼べるほど強い雨が窓に叩きつけられていた。
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