第4話 嫌な女


 ベッドから上半身を起こして、人気のない部屋をぐるっと見渡した。


「ゆうとー」


 名前を呼んでみるが返事は返って来ない。


「あいつ、仕事に行ったのか......朝早いんだね」


 ちらっとテーブルの上に置いてある体温計が目に入ったので、とりあえず体温を測ってみる。37.0度だった。体も随分と楽になってるのでもう少ししたら完全に熱も下がると思う。


 ベッドから出て大きく伸びをする。風邪と寝すぎた体の怠さが少し緩和された気がした。あくびをしながら洗面台に行く。鏡の中にはすっぴんで髪の色以外何の特徴もない女の顔があった。


「すっぴんで過ごすとか久しぶりなんですけどー」


 鏡の中の女は眉間にシワを寄せて目を細めて威嚇する。


「嫌な女、死ねばいいのに」


 歯ブラシを手に取り、顔を下に落として歯磨きをする、一昨日から昨日の事を思い出しては手を止め、再起動してまた手を動かすという行為をなんども繰り返してしまった。


 変に優しいあの男が不可解だった。


 なんで、見ず知らずの他人である私に優しくするのか、なぜ私はあの優しさに甘えてしまったのか、思い出すとイライラする。


「意味わかんない! アイツも! ッ私も!! 死ね! 死ね! 死ねッ!!」


 男にすがるな、甘えるな。男は利用しろ。


 ユウトの優しさに甘える自分がいた。熱を出して苦しい時に伸びてくる手が苦しさを紛らわしてくれた。


 バカみたいに色々なものを買ってきてくれて、ずっとそばに居ながら必要な分だけ看病してくれるのが嬉しくなかったと言えば嘘になる。


 私の今までの経験した中で一番優しくユウトは看病してくれた。その優しさが何なのかわからなくて胸の中がモヤモヤする。


 私なんかに恩を売っても何も返ってこないと分かっているだろうに、こんな性格のねじ曲がった女なんて厄介なだけだろうに、アイツは私と話すのが楽しいと言った。


 あの時のアイツの言葉を嬉しいと思った私を、鏡の中の女が嘲笑う。


『あの言葉がお世辞なのはわかってるでしょ? あははは! 真に受けてばっっかみたい! 都合の良い事なんてないの、都合の悪い事だけあるのよ』


 頭の中で更に声が響く、『変な欲をだしてさぁ、あの男が欲しかったらビッチらしく体を使ったら?』、『あんたの体に価値なんてないんだからくれてやればいいんだよ』、『どうせあんたなんて......』


「うるさいッ!」


 口の中のモノを吐き出して、叫ぶ。


 蛇口をひねり水を勢いよく出して、口を洗い、顔に水をバシャバシャとかけた。


 鏡に映る目つきの悪い女。それが私だ。なんの価値もない女。そんなのは分かりきってることだし、今更何が変わるわけもない。この世界に救いとか希望とかそんな甘いものはない。自分でやるか、やらないかそれだけ。


「だるっ。また熱でもでたかな?」


 のそのそと洗面台の前から出て台所に移動するとパンや栄養補給のゼリー飲料が並べられており“食べれそうなものがあったら食べて”と置手紙があった。


 それがなんだか無性にイライラして、ゼリー飲料を手に取り床に叩きつけようとして......やめた。


 どうして私はユウトの優しさに触れるとイライラしてしまうんだろう。


 私にはユウトの裏が全然読めない。何が目的? この行為にどんな利益がある? 意味がわからない。多分イライラの矛先はユウトにではなくて、消化しきれない自分自身にだ。


 馴染みの無い部屋、でもなんかホッとする部屋。ふとした瞬間にアイツの匂いがする部屋。私の居場所ではない部屋。


「留守番とか無理だっつーの」


 大してよく知りもしない女を部屋に置いて出かけるとか、神経ずぶと過ぎるだろあいつ。


「留守番する私が何か盗んでいったらどうすんのって!」


 手に握りしめていたゼリー飲料を口に咥えて一気に絞り出して飲み込んだ。


「っうま!」


 意外な美味しさに握りつぶして原型を留めていない容器を広げてみる。ピーチ味って書いてあった。


「ピーチ最強説」


 とか意味のない事を呟いてみる。誰の反応も返って来ない。あたりまえか。やる事もないのでまたベッドにもぐって寝る。たまに目を覚ましてまた寝る。そんな事を繰り返していたら15時になっていた。


 寝すぎて痛くなった頭を手で押さえて立ち上がる。テーブルに置いてある体温計でもう一度熱を測ってみる。......熱は下がっていた。こんだけ寝てれば、そりゃ熱も下がるよっと。


 留守番しといてって言われても何時まで待てば良いのか、ユウトと出会った公園を思い出す。あの時は何時だっけ? ......17時過ぎぐらい? だったらあと2時間程度でユウトは返って来るのかと思うと少しトクンと心臓が跳ねた。


「いや、トクンって少女かよ! ないない!」


 静かな部屋で自分の声だけが響く、私の声だけ宙に取り残されたような居心地の悪さを感じて口を閉じて心の中で悪態をついた。


 私はただの厄介者の疫病神ですよっと、私と過ごすとみんな不幸になりますー、はいッ残念でしたーっ。ユウトくぅーんごめんなさいねーッハハハ。どうせあんたも後悔するんだよ。バーカ、バーカ。


「......バカみたい」


 無性に喉が渇き、お茶がないか冷蔵庫の中を確認するためにトボトボと歩いた。すると冷蔵庫の中は空っぽでペットボトルが一本とまた置手紙があった。


“ごめん。お茶一本しかない。↑飲んで良いよ。帰りに買って帰ります”


「ぶふ。ふふ、あはは」


 私は、私の為に準備された手紙、その優しさが無性におかしく感じて、空っぽの冷蔵庫の前で顔を手で覆って笑った。 


「あはははは......変な奴だなぁユウトー。あー~ぁぁぁっっっごめんなぁ。......ごめんね。......迷惑かけてごめんなさい。あんた良いやつだからさぁ。私ちゃんといなくなるからさぁ。これだけもらってくね......」


 ユウトの気遣いが私には辛い。なぜだかわからないけど、すごく自分が惨めに感じてる。顔を覆った手はしばらくの間外す事ができなかった。


 下を向いていたせいで詰まった鼻をすすり、顔を上げる。それからお茶のペットボトルを冷蔵庫から取り出し、扉を閉める。見た目からはわからないけれど、この冷蔵庫の中身はもう空っぽで、今だけは意味がない。電気を消費するだけのでっかい置物。


『あなたと同じね』


「うざっ」


 お茶を一口飲みこぼれた水滴を手の甲で拭いひとりごちる。不意に聞こえてくる頭の中の声に返事をする私はきっとおかしいのだろう。でもこうやっておかしいと思える内はまだ正常だ。


 私は着てるものを全部脱ぎ洗濯機の中に入れて回し、そのままお風呂に入って寝汗でべたつく肌を洗い流した。


 髪の毛をドライヤーで乾かしながら刻々と過ぎる時間に目をやる。


 洗濯機が終了したと知らせて来たので、ユウトのヤツは浴室に干しておく。自分のモノはドライヤーで乾かした。


 これで私を飾るモノは全て私のモノだけになった。


 テーブルの上に置かれたままになっていた置手紙を裏返して、ペンを動かす。何か残したかった。感謝を伝えてみたくなった。迷惑をかけてしまったことをただ謝りたかった。


 もっときれいな言葉を並べて上手く気持ちを表現したいのに、ありがとうとごめんしかでてこない自分が悔しくて、イライラする。なんで私なんかに優しくしたんだと文句を言ってやりたい。辛いカップ麺ばっか集めてるヘンタイだと文句を言ってやりたい。


 私が出ていく言い訳も一応伝えておく、アイツ気にするかもだし......一応ね。私の事は気にするなよって......いや、気にするわけないだろ。書き途中の文字を塗りつぶす。


 他に何か......そうだ下手なナンパも辞めさせないと、あんなの私以外誰も......なに書いてんだろ。また文字を塗りつぶして消す。


 伝えたい言葉が他にも沢山あるような気がしたけど、もういいや。


“ユウト、泊めてくれてありがとう。熱出してごめん。看病してくれてありがとう。桃とアイスおいしかった。迷惑かけてごめん。ユウトは優しすぎるからこんな変な女に引っかかるんだよ。カップ麺ばかり食うなよ。もう熱さがったから行くね? いちおう約束は守ったということで! %&$ ナンパ下手くそなんだからやめといた方がいいよ %=&#$#= じゃぁね、ばいばい”



 文字を書き終えて、指でペンを回す。ペンは指から離れて、カツンと音を立てて転がっていった。



 その時、静まり返った部屋に玄関の向こうから人が歩く足跡が響いてきた。もしかしてユウトが帰ってきたのかと玄関のドアが開くのを注視する。


 コツコツコツコツ......。


 足跡は玄関の前を通りすぎ隣の部屋の扉が開いて閉じる音が聞こえた。


 ユウトじゃなかった事に安堵と落胆の両方を感じてる自分をバカバカしいと頭を振る。


 それから勢いよく立ち上がり、部屋を出た。


 玄関のドアを閉め、鍵をかけれない事に躊躇したけどそのまま階段を下りる。



 雨の日、ユウトと肩を並べて歩いた道を思い出しながら歩く、途中思い出せない微妙なところもあったけどそれでも、無事にあの公園まで戻って来れた。


 今日は公園に入る事はせずにそのまま駅へ続く道を歩く。


 もしかしたら、ユウトと鉢合わせするかもしれないとも思ったがそんなことはなった。歩きながらユウトがいないかつい探してしまう。その行動はユウトを見つけたいのか、それとも見つけられない為にしているのか、自分でもよくわからなかった。


 駅へ向かう途中に個人経営っぽい喫茶店があった。


(もしかしたらユウトが働いているのはここか?)


 

 喫茶店の中を窓越しに覗き見るがユウトの姿はない。私が窓から視線を外した時にちょうど喫茶店のドアが開き一人の女が出てきた。


「先輩ッ♪ せんぱい♡ 先輩♪」


 なんかやけにテンションの高い女がリズムをつけて何かを言ってると思って顔を向けたら、目が合った。


「あ、すいません入るところでしたか? どうぞ」


「いや、ちがうけど」


「そうですか、失礼しました」


 店から出てきた女はホウキを持っていて、店前の掃除を始めた。見た目からして高校生か、やけにテンションが高くて超ご機嫌って感じ。


 きっとこの子はみんなから愛されて、大事に大事にされているのだろう。私とは正反対の生き物だ。私は少し考えて言葉をかける事にした。


「ねぇ、ここにユウトって人働いてる?」


 私の急の問いかけにご機嫌だった女がピタッと停止する。


「......先輩とどんな関係ですか?」


 高校生ぐらいの女は怪訝そうな顔で問いかけてくる、声のトーンもいくらか下がったね。


「やっぱりここで働いてたんだ、どんな関係かー。......知らない」


「知らないって。......先輩ならいません」


「そっか、べつになんでもないから気にしないで」


 私は、私を呼び止める声を無視してバイバイと手を振って離れた。自分がどうしてユウトの存在を確認したかったのかはよくわからない。


 でも、まぁ、あの女、ユウトのこと好きなんだなってすぐわかった。ユウトはそう、あんな可愛い女の子と付き合った方がいいよ。誰からも愛される女の子らしい女の子。


 あぁ、なんだろ、やっぱりあぁいう女をみると、


『理不尽だよな』


 またうるさいのが出てきたよ。


『あんたの心の声だよ』


 私の心の声って......返事が返って来る時点でおかしいつーの。


『なぁ、今から戻ってあの女にユウトの話をしようよ』


 するわけないじゃん。


『あの女、幸せそうで、ご機嫌だったじゃーん、あんたの不幸を分けてやりなよ』


 私が不幸なのはおまえのせいでもあるけどな。


『ねぇねぇあんたがさユウトの部屋に泊まった事を言ったら、どんな反応するだろうな、きっと心穏やかにはいられないだろうな、それって最高に面白くないかな?』


 ぜんっぜん面白くない。


『バカだなぁ他人の不幸は、オ・モ・シ・ロ・いだよ。あんたの不幸をみんなが面白がってる。たまにはさぁーあんたも人の不幸を楽しんでもいいんじゃないかなー?』


 ......私は見世物になったつもりないんですけど。


『はははは、そんなの関係ないよねー? あんたが不幸になった分だけ、まわりはスカッとするのさ、思い出してごらんよ? あんたが気分よく過ごしてるとき、あんたの母親は怒りちらしてたじゃん』


 そうだ私の母は私に良い事があった時、それ以上の嫌な事で塗りつぶしてきた。


『そうさ、良い事があったやつには、嫌な事も与えてバランスとらなきゃ』


「......そうだね」


 私は歩いていた足を止めて立ち止まった。


『そうさ、そうさ! あの女も聞きたがってたんだから聞かせてあげなよ』


 私は無意識に爪を噛んで、さっきのご機嫌だった女を思い返す。ほんとに幸せそうにしていた。


 私がユウトの部屋に数日泊ったことを話したらどんな勘違いをしてくれるのだろうか、あの女の泣きそうな顔、......みてみたいな。


『イイネ! みたい! みてたい! 泣かせよう、あの女を泣かせようよ!』


 ......するかバーカ。


『なんだつまんね』


 おまえがな。



 頭の中の声は拗ねたのか急に静かになった。ふと顔を上げると俯いてフリーズしていた私を距離を空けてジロジロと観察する人の目がいくつもあった。


 駅前で少し人の通りが多いのにも関わらず、私の回りだけ変に空間が開いていた。


「見世物じゃないつーの」


 私は歩き出そうとしたとき、嫌なやつに見つかってしまった。私の髪の毛が目立つせいか、こういう事が度々ある。


「ユキナ! お前どこほっつき歩いてたんだよ」


「だれ? なれなれしく話しかけないで」


「はぁ? 意味わかんねーし! お前が居なくなって連絡も取れないから心配したんだろうが!」


 お前の心配はお金だろうよ。こいつは、勝手に私の財布からお金を抜き取って平気な顔をしてるヤツだ。


 コイツは私が家出というか、しばらく宿代わりにしていたヤツであたりまえだけどちゃんと覚えてはいる。もう忘れても問題ないけどね。


「勝手に彼氏面しないで、私はあんたの部屋にちょっとだけお邪魔していた他人なの」


「いや、言ってる意味わかんねーし。とりあえず今から友達のところ行かないとだからお前も来いよ」


「ねぇ? 私の言ってる事、本当に、わかんない? あんたとは他人なの、わかる? 他・人・な・の、あんたの部屋に居たくないなーって、思ったからぁー、出ていったわけ、わかりますかー?」


 私の言葉が紡がれていくほどに、みるみる表情が怒りに変わっていく、目が座って目元がぴくぴく動いてる。不機嫌になったのがまるわかり、怒ったならもうとっととどっかに行きやがれって感じ。


「......バカにしてんのか?」


 もう用事は済んだとばかりに呆れた態度でコイツを無視する。


「......バカにしてんのかって聞いてんだよ!」


 うるさいなぁ。


「してますけど、なにか?」


 今ので完全にキレたのか、私の腕を掴みグイっと引き寄せて自分勝手に歩き出す。

 

「痛い! 離して!」


「だったら抵抗するなよ! 勝手にいなくなりやがってッ! 来い! 帰るんだよ!」


「顔に唾飛ばすな! 汚いなぁ!!」


「っっっはぁ?!」 


 こいつのデカい声のせいで良い見世物になってる。あぁこいつも周りのやつらもウザいなぁ、ウザいなぁ、あぁぁぁぁ! もう! ウザいなぁー!!


 声のデカい男は、更に怒りに任せて私の腕を力いっぱいに引っ張った。私の視界がぐわんと大きく揺れる。私は腕を掴まれたままバランスを崩して地面に倒された。


「ッ痛」


 地面に打ち付けられた体に痛みが走る。あー嫌になる。人の不幸をちょっと考えただけで世の中の不幸は全部私のところにやってくる。


 なぁ、このクソ野郎、中途半端に痛めつけるくらいならいっそ私を殺してよ、それでお前も不幸になれよッ!


「おいっ! その子に乱暴するな、その手を離せ......」


 少しだけ聞き慣れ始めた声が聞こえた。


「......なんだおまえ?」

「......ゆうと」


 ユウトは額に汗をかき、荒い呼吸で問いかけてきた。


「そいつなに? 友達?」


「......なんか彼氏面してる、ムカつくやつ」


「はぁ?! ふざけんなよおまえ!!」


「痛いってば!」


「手を離せ! お前のそれは暴行罪だぞ! わかってやってるのか?」


「っは?! わーかったよ! おまえも離せ! ったく」


 睨み合うふたりの間に嫌な緊張感が走る。声のデカい男はユウトを睨んだまま私に怒り交じりの低い声で問いかけてきた。


「おい、ユキナもう他の男を作ったのかよ、手が早すぎるだろうがこの尻軽ビッチが! ......部屋にあるもの全部捨てるからなぁ?」


「まだ捨てて無いのかよ、せっかくだから私の下着でも眺めてひとりでしてろっ」


「ぶっ殺すぞてめぇ?!」


「ふたりとも!」


「うるせーなッ! そんな女なんているかよ! こんなヤツ欲しいならくれてやるよ。ッハ! ほら持って帰れ! ホラぁ!!」


 声を荒上げ、怒気を隠しもせずに前面に出して男は吠えた。


「......行くよ」


「っちょ、なんで?」


 ユウトは私の手をとり立ち上がらせて、手を引いたまま歩き出した。私もここから離れる為におとなしくユウトの歩みについていく。


 ユウトは小さな声で私に問いかけてきた。


「なぁ、本当の名前ユキナって言うんだな」


「は? 違うし」


 急に神妙な声でそんなことをユウトが聞いてきたから、ちょっとびっくりした。


「ん? だってさっきアイツがそう呼んでたよね?」


「あんな奴に本名教えるわけないじゃん」


「...。。じゃぁ本当の名前は?」


「......さくら」


 ユウトは私の答えを聞いて頭をガシガシとかいて困った様子だ。私が今まで通りサクラって呼んで欲しいと思ったのか、それとも本名を教えて貰えないのは自分も同じなのかと思ったのか、私にはわからない。


「はぁ、それはどう受け取ったらいいのか、さくらって呼んだ方が良いって事だよね?」


 私はユウトがその時に何を考え何を思ったかわからない。たぶんそれと一緒でユウトも私がどんな人間なのかわかる事はないと思う。結局分かり合えることなんてないのだから言うだけ無駄なんだ。


「......好きにして、どうでもいいし」


 私とあなたでは住んでる世界が全然違う。私を理解してもらえるなんて思えるはずがない。


「そっか」


 ユウトはそこで言い争う事をしないでスッと身を引いた。......そういうところだよ。私の答えに不満あるでしょ? どうしてそれで納得できるの?


 ユウト、さっきの私を見てどう思った?


 ユウトはケンカってしたことってある?


 私はね、しょっちゅうだよ、毎日傷をつけられ、傷をつける。お互いがナイフを向けて、牽制しながら話をするんだよ。相手が攻撃するそぶりを見せたら先に突き刺す。弱者はいい様に虐げられるだけ。私のまわりではそうなの。


「ねぇ、サクラひとつだけ聞いておきたいことがあったんだ」


「......なに?」


 いつものクセでユウトの言葉に身構える。


「僕は、サクラと過ごした時間が楽しかった、サクラは僕といる時間ってどう思ってた?」


 ユウトが立ち止まって私の顔を真剣に見つめてくる。なにその質問、どう思ってた? 知るかそんなの。......どう思ってたんだろう?


「......よくわからない。なぜ優しくするのか理解できない」


「優しい? 普通だと思うけど」


 普通じゃねーよバーカ。


「ユウトは優しいと思う。優しすぎて気持ち悪いと思った」


 ユウトは苦笑いをした。


「なにそれ、ひどいなぁ、つまり、気持ち悪い僕と一緒に居るの嫌だった?」


「そんなこと言ってないでしょッ!」


 あぁ、なんでだろ、うまい言葉がでてこない。悔しい。悔しいよ。


 私の口から出る言葉は相手を傷つける言葉ばかりだ。


 ユウトの世界は平和なんだ。私、そんな世界にホッとしていたんだと思う。


 私がありがとうって言ったの何年振りかわかる? 前にごめんねって本気で思ったのいつだったか自分ですら覚えてないんだ。でもなんでかわかんないんだけど、ユウトには言えたんだよ。ねぇこの気持ちをちゃんと言葉として表現するためにはなんて言えばいいの?


「ユウトとの時間......あれだよ、悪くなかったと思う」


 こんな言葉しか出てこない悔しくて目と喉の奥が熱くなって、グッとこみ上げてきて気持ち悪い。


「そっか、サクラにとっても悪くなかったんだね。よかった」


 ユウトはぶっきらぼうな私の言葉に微笑み返して、また当然のように私の手を引いて歩き出した。


 優しく握られた手に導かれて私もゆっくり歩きだす。


 ふと繋いだ手を見ると、声のデカい男に掴まれた腕が内出血を起こして痛々しい青色に変わっていた。まるで毒に侵された腐った腕みたいだと思った。私はめくれあがっていた袖を伸ばしそっと痣を隠す。


 それから私の手を握る男の顔を下から見上げてわかった。この人は私を否定しないんだ。私を攻撃しない人と初めて会ったかもしれない。


 会話は多くは続かなかった、沈黙の時間の方が多かったと思う。


 私の少し前を歩くユウトは時折、私がちゃんとついてきているのかを確かめるように振り返って私を見る。


 私はそんなユウトを無言で見つめ返すだけ、それでもユウトはなんでもないというようにまた前を向いて歩きを進めた。


 さっき私が通った道をユウトは迷いなく進む。その先にあるのはあなたのお家だよね。


 ―――こんな私をまた、ユウトの居場所に連れて行ってくれるの?

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