第3話 しあわせのものさし
「傘は役にたったかしら?」
喫茶店の開店作業をするために店に入ると店長がモーニングメニューの調理を始めていて、僕が入って来るのがわかっていたかのように声をかけてきた。
「はい、役に立ちました」
「そう、なら良かったのよ。優斗ちゃんゆで卵ができてるからそっちに置いてあるヤツは全部潰しておいてちょうだい」
僕は味音痴なので味付けは出来ないが、それ以外の作業ならちゃんと手順通りにできる。
しかし、もう少し塩味が足りないとか、少し醤油を足すと味がまとまるとかそう言った感覚が身についていないので、自分でアレンジしようとすると大抵失敗してしまう。
料理が上手な人っていうのは、味見した時に何の味を足したら美味しくなるのかっていう感覚がある人なんだろうなって思う。店長の作る料理は全てが目分量にも関わらずちゃんといつもの味になっているから不思議だ。
「店長こっち終わりました。次はポテトサラダで良いですか?」
「はいなのよー」
店長は下ごしらえをテキパキとこなしていく、僕は準備された材料から今日のメニューを想像する。大量の茹でたジャガイモがまだ湯けむりを上げている。その横にはハムが用意されており、その他に小さく切られたニンジンと薄く切られた玉ねぎにきゅうりとリンゴがある。これらで作るのは、ポテトサラダだ。
僕は店長のポテトサラダではきゅうりのポリっとした食感と時々に入るリンゴのシャリっとした食感と少しの酸味がよいアクセントとなってすごく美味しい。ふとこれならサクラも食欲がなくても食べれるんじゃないかなと思う。
「店長これの味付けって僕でもできますか?」
「簡単なのよ」
僕は潰し終わったジャガイモの容器を店長に渡して味付けの様子をみる、店長は作業しながら『マヨネーズと胡椒だけで味付けしたらいいわ、でもお店の味に仕立てるなら、少量のからしとコンソメで風味を少し足すのよ』っという。
「でも優斗ちゃんは味をしっかりつけたがるから、お家でつくるならマヨネーズと胡椒だけにしなさいな。隠し味の入れすぎはかえって味を壊すのよ」
店長はまるで僕がなぜ作りたかったのを知っているように思えた。だから僕は一昨日のあの話を交えて訊いてみる。
「店長多分一昨日ですけど出会いの星とちゃんと会えたと思います」
「そうなの」
「はい、それでその星はやっぱり消えてしまうんですか?」
「それは優斗ちゃん次第なのよ。例えば、悪い出来事は星と星の軌道が重なって起きるものよ。ぶつかってしまえばお互いにケガをする。だから衝突は避けるように行動した方が身のためなのよ。でも基本的に星と星はぶつからない、近くをすれ違う事はあるけれど、何もしなければただすれ違う。それだけの事なのよ」
店長は出来上がったポテトサラダにラップをして冷蔵庫にいれると手を洗い前掛けで拭っってちらっと時計をみる。
「こっちへいらっしゃい」
店長はまた僕を椅子に座らせて、遠くを見通すかのように僕を見始める。
「占いはなんでもわかるわけではないの。感覚的ものを統計に照らし合わせて推測しているだけ、それは個人の解釈しだいでどんな風にも変化してしまうものだわ。だから優斗ちゃんの受け取り方や行動しだいで未来は変化する。それを忘れてはいけないのよ」
それは何となくわかる気がした。僕があの日傘を使う事に固執しなければまっすぐ家に帰り、サクラとは出会わずに一人で休日を過ごしていたと思う。
「星が消えるのは、普通なら死をあらわすわ」
急に出たその不意の不吉な言葉にお腹の当りがぞわっとした。
「......サクラは死ぬんですか?」
店長は『そう、サクラちゃんというのね』って呟いて僕を安心させるために言った。
「大丈夫なのよ。わたしには消えるはずだった星を優斗ちゃんと繋ぎとめてるように見えてる。ただし、サクラちゃんの方はその手を解こうとしてるのじゃないかしら、あまり優斗ちゃんには固執してないみたいなのよ」
店長は時計をちらっとみて『もう時間ね』といって立ち上がったので僕も後に続く。
「優斗ちゃんが手を離せばまた離れていくし、強く掴めばきっと運命は変わってくるのよ。優斗ちゃんの未来が1番早くわかるのは優斗ちゃん自身だわ。だってあなたの人生なのだから。それに占いの過剰摂取はやめておきなさい。それはあなたの力をなくしてしまう愚かな事よ」
店長はパンっと手を叩いて『今日もお願いね』と言ってから常連客を店内へ誘い入れた。
「おはようね。優斗くんをみると1日が始まった気がするわぁ」
「ありがとうございます。今日もいつものやつでいいですか?」
「はいはい。いつものでお願いね」
注文が入り、店内にコーヒーの香りが満ちてくる。モーニングのセットはサービスで提供されるものなので選べない。本日は厚切りトーストのハーフとポテトサラダとゆで卵。ただ、量が足りない方には追加料金で玉子サンドに変更することはできる。
5組の常連さんへ配膳し終わった頃に、またポツポツとお客さんがやって来るので後はその対応だ。
ここの朝のお客さんは1時間程ゆっくり店内で過ごす方ばかりなので会計するお客さんが出るまでは比較的楽で、店長と僕もお客さんの動きがない間はお客さんと同じ時間をゆったりと過ごす。
「店長、僕はあまり仕事をしてる感じがしてないんですよね」
「良いのよ、個人の喫茶店なんて趣味でやって収入源は他で確保してるものなのよ」
「え? そうなんですか?」
「喫茶店で利益を出そうとすると大変だわ、そうなれば理想のお店からお金稼ぎのためのお店になるのよ、そんなのはつまらないじゃない」
店長はコーヒーを一口含み、満足そうに店内を見渡した。
「お金稼ぎとしての喫茶店なら、こうやってゆっくりコーヒーを飲んでたら怒られちゃうわね、もっとお客さんをいれて、回転率を上げて、休む時間がないように調節して無駄をなくして、原価率を下げて、人件費とかの固定費を節約してってなるのかしら」
「むずかしい話ですね」
「そうなのよ。私には合わないわ」
店長はなんでも知っていて、できない事はないのではないかと思う事がある。でも、きっとそんなことはないのだろう。
「私はね、私の視える範囲の人たちにちょっとした彩りを提供したいだけなのよ」
「視える範囲ですか?」
店長の視える範囲はとても広そうだと思った。
「優斗ちゃんは人生が楽しいかしら?」
「人生ですか......正直よくわかりません」
「そうなの、人によって楽しいと思う人もいれば、辛いと思う人もいる。それは波のようなものなのよ」
店長は指揮者の様に空中で指を躍らせた。
「私と優斗ちゃんは同じ仕事をして、同じ時間を過ごしているのだから今、この場面を切り取ったら同じ状態で同じ環境にいるとも言えるでしょ? それなのに今のこの状態を幸せだと感じている私と、よくわからないと感じている優斗ちゃんがいる。この違いってなにかわかるかしら?」
僕はしばらく考えたが店長の納得のいく答えにはたどり着けなかったので正直にわからないと顔を横に振った。
「優斗ちゃんはね、今のこの環境にそのまま入ってきたのよ、私はねここから登ってやっと今のところまでたどり着いたの」
店長は僕の位置としていた場所から手の位置を大きく下にずらして『ここよ』と指し示した。
「私はこの差の分だけ今を幸せと感じることができるのよ。だから優斗ちゃんが幸せを感じられるようになるためにはここまで変化が必要なのじゃないかしら」
店長は元の位置から更に上へ手を伸ばした。
「もし優斗ちゃんが変化なく今日と同じ日を明日も繰り返すならきっとよくわからない日々が続くのよ」
普段店長はここまで多くを語ったりはしない、それがなんだか妙に心をざわつかせた。コーヒーを飲もうと持ち上げていた手が行き場所をなくしたかのように彷徨う。
店長は僕の肩に手を置きスッと立ち上がった。振り向くとお客さんが会計をする時間帯になっていたらしい。僕は目の前で止まっているコーヒーに目を移しそれから一気に飲み干した。店長がレジの方へ移動したので僕は空いた席の後片付けに移る。
常連さんの座っていた席は、僕が片付けがしやすい様にと食器がテーブルの隅に並べられていた。視線を感じて振り返ると常連さんがにこやかに手を振ってくれてので、僕も笑顔で返す。常連さんは立ち止まる事なくそのまま外へ出ていった。
ふきんで拭いたテーブルがわずかな湿り気を帯びて照明の光と僕の影を映し出す。揺れる自分の影を見ながら、今のこの環境を『よくわからない』っと言ってしまったのは店長に対して失礼だったとすこし申し訳なく思った。
ちゃんと意識してみれば、ちゃんと僕は小さな幸せを感じることができたのに......。『すこし上にあがれたみたいなのよ』そんな店長の言葉が聞こえた気がした。
その後もポツポツとくるお客さんの対応をしていたら、服の端をちょいちょいっと引かれるので振り返ってみると、肩まで伸ばした黒い髪の女の子がすり寄ってくる猫のような上目遣いで微笑みかえてくれていた。
「先っ輩ぃおはようございます♪」
「はるかちゃんおはよう、もうそんな時間だったんだね」
11時頃からお昼に軽食を食べるお客さんに切り替わるので店長は調理に専念する。そのため忙しい時間帯を切り盛りするメンバーが補充されるというわけ、丁度朝勤務と、夕方勤務の間の時間帯なので、間をとるという意味で昼勤とはいわずにアイドルと呼ばれている。
はるかちゃんは間違いなくこの店の看板娘なのでアイドルの名にふさわしい。僕がアイドルに入っている時はこの呼び方は止めて欲しいなぁと思うのだけれど、はるかちゃんならピッタリだ。
この店の軽食メニューの種類はそんなに多くない、ざっくり分けて日替わりランチ、カレーメニュー、サンドイッチの3種類で、カレーライスかカレーパスタかと少しだけ細分化されているだけである。
以前店長に日替わりランチのメニューをそのままレギュラーメニューにしても良いんじゃないか? と提案したことがあるのだけど、その提案は却下されてしまった。
その時は確か、『メニューが多いって事はそれだけ迷うストレスがあるって事なのよ、どうしても牛丼が食べたいならそのためのお店がちゃんとあるわ』と言われたんだっけ確かにそうだと納得したものだ。
それに日替わり以外はすぐに提供できるものなので、僕やはるかちゃんが厨房に入ってすぐに持ってくることができる。お客さんからは『あれ? 早いね?』と驚かれることもしばしば、お昼休憩が短い会社員の方もいるので、すごく助かると口コミサイトにも書かれていた。
なので、朝とは違い慌ただしく過ぎるのが常のお昼は、注文、提供、会計、片付け、注文とあっという間に過ぎていく。
「やっと落ち着いてきたね」
「はいぃ、でもあっという間に時間が過ぎるのでこの時間嫌いじゃないですよ。先輩がいるし」
「はるかちゃんがテキパキ捌いてくれたから助かったよ」
はるかちゃんは、にぱっとちょっと照れた顔で笑ってくれた。
はるかちゃんは褒めると良い笑顔で返してくれるのでこの笑顔が見たくてついつい褒めてしまう。いや、ちゃんと褒めるべき仕事をしてくれているのだけど、褒めた僕が満たされてしまうような中毒性のあるおそろしい子だ。
「先輩ぃ今日は何飲みますか?」
「そうだな、今日はオレンジジュースで」
「オレンジジュース、先輩可愛いです。先輩のは私が用意しますね♪」
「ありがとう」
オレンジジュースを飲むと可愛くなってしまうという事実に、今日初めて気が付いてしまった。
「先輩ぃ私はアイスココアぁ」
はるかちゃんがおねだりするようにチラチラこちらをみたりウインクしたりしてくる。
「わ、か、り、ま、した! はるかちゃんのは僕が用意するから交換ね」
「えへへ」
はるかちゃんはしっぽでもついてたらルンルンと動かしていそうなほど楽し気にオレンジジュースを注いでいた。
店長が厨房から顔を出し、そんな僕達を覗いて『仲良しね』と苦笑交じりで呟いた。
「優斗ちゃん、私にはカプチーノをお願いなのよ」
「はい、持っていきますね」
店長は手を振って奥へと引っ込んでいった。
僕達が店内で気楽に仕事をしているのはもう客側も知り尽くしているので、気にせず寛いでくれている。
この前、お客さんには『逆にゆっくりできるからいいわ、他の店だと店員さんの視線が向いてきて、飲んだら出ていけって言われてるみたいだったもの』とくすくすと笑われてしまった。
僕の勤務時間は16時30分まで、夕方組と少しばかりの引継ぎ作業をして後は帰るだけなんだけとなった。
「先輩ぃいつものお願いしますぅ」
「いつものって何?」
はるかちゃんがグイっと頭を向けてくる、『いつもの』って一昨日が初めてだったよね? 僕ははるかちゃんの頭をよしよしと撫でて『もうちょっとがんばってね』と声をかけた。
「......これは、先輩の義務だと思います」
義務って。僕が苦笑しているとはるかちゃんは小さく舌を出し二カッっと笑ってホールへと戻っていった。
すごく懐いてくれている妹みたいな存在でいつも元気をくれる。
「店長お疲れさまでしたーっ」
「はいなのよー」
今日はもう話はないのかそのまま引き止められる事もなく、そのまま家路につこうとしたのだけれど、ふと今朝のポテトサラダの事を思い出し材料を買いに行く。そういえばお茶も切らしていたと思い出す。
今まで素通りしていた食材コーナーを見るのは新鮮だった。どこに何が置いてあるのかわからないのでぐるっと一周するが肝心のジャガイモがどこにも見当たらない......と思ったら入り口のすぐ横に置いてあった。『そこかよ』と思わずツッコミがでてしまった。
ニンジン、キュウリ、リンゴ、そしてジャガイモと玉ねぎもか、マヨネーズと胡椒、朝の記憶を思い出しながら一応からしとコンソメもカゴにいれる。しかし、コンソメは顆粒タイプでよかったのかイマイチ自信がない。コンソメスープというぐらいなのだから探せば液体のヤツがあるのだろうか? それがどうしても見つけられなかった。
ふと、サクラは他に何が食べれるかを考え昨日のアイスを食べた時の笑顔を思い出した。桃缶とアイスを2つを買い足す。
他は......苦くないモノ、辛くないモノってなんだろう?と思いながら商品を一通りみるがデザートしか思い浮かばないのでとりあえずプリンを追加して買い物を終えた。
1回ちゃんとサクラの好きなものは何か聞いてみようと思うと自然と早足になった。もう熱は下がっているのだろうか? それもちょっと心配だ。
家の前に辿りつき、鍵を入れ回すが解錠される音が聞こえない。ドアを引いてみると鍵はかかっていなかった。しまった朝は考え事していて鍵を閉め忘れたのかと不安になる。
「ただいま」
返事はない。
「サクラ?......入るよ」
ドアをスライドして静かな部屋に入る。
テーブル上には一枚の紙が置いてあり、こう書かれていた。
“ユウト、泊めてくれてありがとう。熱出してごめん。看病してくれてありがとう。桃とアイスおいしかった。迷惑かけてごめん。ユウトは優しすぎるからこんな変な女に引っかかるんだよ。カップ麺ばかり食うなよ。もう熱さがったから行くね? いちおう約束は守ったということで! %&$ ナンパ下手くそなんだからやめといた方がいいよ %=&#$#= じゃぁね、ばいばい”
もうそこにサクラは居なかった......。
買い物の袋が崩れてどさっと中身を吐き出す。落ちて転がってきたアイスを拾い上げ隙間だらけの冷凍庫中へ2つ並べて、そして閉めた。
昨日と今日との落差、少し空虚な気持ちで知る自分の状況。
昨日の僕は少し幸せだったんだ。そして今の僕はサクラと出会う以前よりなぜだか不幸せな気がした。
サクラの置手紙には所々書いた文字をぐしゃぐしゃにして潰したところがあった。ただの書きミスかもしれないが、そこに何かあって欲しいと願ってしまう。
僕はサクラと話す時間が楽しかった。サクラは僕との時間は楽しくなかった?
この場所でサクラは何を考え出ていったんだろうとそっとサクラが座っていただろう場所に触れてみる。
そこにはかすかにサクラの体温が残っていた。
アイスで少し冷えた指先が敏感に温かさを感じる。気のせいかもしれない。そう思いたいだけかもしれない。
でも―――ついさっきまでこの場所にサクラが居た?じゃぁまだ近くにいるかもしれないという願望は、僕を動かすには十分な理由だった。
ねぇサクラ、居なくなる前に一つだけ教えて、僕との時間は楽しくなかった? 僕は多分君に......。
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