第2話 感じる体温


「なにか聞き間違いがあったみたいなんだけど」


「だから、するならエッチしていいよって」


 その言葉にドクンと心臓が脈打ち情動的な何かが込み上がってくる。強制的にスイッチを入れられてしまったように思考が鈍る感覚があった。


 僕の体が突然僕じゃない何かに乗っ取られたように動き、Tシャツ越しでもわかるサクラの体のラインを足から上へ順番に目で追って、そしてサクラの顔をみた。


 サクラは全ての感情が抜け落ちたような無表情でそこにいた。さっきまであったはずの目の光はなく、無機質なマネキンのように暗い目と視線が合う。


 視線が合ってる。......はずなのに彼女の目に僕は映っていないようだった。そこに気付けたおかげであわよくばのくだらない欲望を押さえつけることが出来た。


 一瞬でも欲情してしまった自分が情けない。


 

「ばーか、そんなこと冗談でも言うもんじゃないぞ」


 ポンポンと軽くサクラの肩を叩いた手は反射的に叩かれ、払われてしまった。



「ふーん。なら別にいいけど、私はエッチ目的で泊めたんだと思ってたよ」


「......思ってなかったよ」


 不用心すぎるよとは思ってたよ。でも君はそれも覚悟してたんだね。あの時の目は『泊めて』ではなくて僕のことを『あなたはどっち?』っと警戒してる目だったのか、なんとも自分に都合の良い解釈をしてしまっていたものだ。


 サクラはジャージのジッパーを上まで上げて、感情をとり戻したように気まずそうに謝罪した。


「変な事言ってごめん」


 気にするなとサクラの頭を撫でようとしてる自分に気付き自分の手をゆっくりと降ろす。きっと僕は彼女の温もりを手で感じたいと思ってしまっている。サクラは僕のおろしたその手を目で追っていた。


「まぁそう思われても仕方がないとは思うから、大丈夫」


「じゃぁ同じベッドで寝るわけにはいかないよね。毛布借りてもいい?私床で寝るから」


「そんなことさせるわけないでしょ、疲れてるならちゃんとベッドで眠りなよ」


「ベッド狭くなるけどいいの?」


「ひとりで使っていいから」


「そういうわけにはいかない、迷惑をかけてる自覚はあるの」



 ......結局、ベッドは2人で使う事になった。というかそういう事にしないとサクラは寝そうになかったから彼女の意見をいったんは受け入れた形で話を終わらせたというのが正しい。


 それで、今2人して背中合わせでベッドに入っている。


 お互いがベッドの端と端で横になろうとも、どうしても背中は触れ合ってしまう。背中で触れ合っている部分がやけに熱く、汗ばんでくる。


 もともとまだ寝るには早い時間であり眠気もないし、それ以前に女性と密着することで体の方は軽い興奮状態になっており、心臓の音が耳まであがってきている。これではリラックスしろという方が難しい状態だ。


 今だけはサクラをチワワと思う事ができずに、やっぱり女の子なんだなっと再認識させられてしまった。


 僕は変な気が起きないようにただただ冷静になろうと心がけた。


 気を抜くとさっきの言葉が頭をよぎって、今すぐにでも体の向きを変えてサクラの体を触りたいという欲が出てきてしまう。


 でもあの時の、あのサクラの顔は無表情で、悲しくなるほど光のない目はとても痛々しく感じた。それなのに欲情が消しきれない自分がまた情けない。



 サクラは今、僕の後ろでどんな顔をして、どんな気持ちで、どんな事を思っているのだろうか? 


 耳を澄ませばサクラの息遣いを聞き取る事ができる。


 眠れないままベッドの中で過ごして何分経った?まだ数分のような気もするし、もしかしたら1時間は経ったのか?


 サクラに身動きはない。疲れたと言っていたしもう寝たかな?


 サクラを起こさないようにゆっくりとベッドから抜け出す。


「......どうしたの?」


 寝てなかったのか、起こしてしまったのかサクラから声がかかった。


「お風呂に」


「そっか......」


 しばらく、気配を消してサクラの後ろ姿を観察していたけど、また寝息が聞こえてきた、どうやらすぐに寝入ったみたいだ。


 なんだか変な気分だった。見慣れたはずの自分の部屋なのにサクラがひとり加わるだけで、なにかが違う。


 ひとり暮らしでペットを飼う人の気持ちが少し理解できたような気がした。


 気持ちを切り替えるためにも風呂に入るかと浴室に入るとサクラの服と下着が干されていた。


 ......自分の部屋の中にトラップがあるよ。


 浴室に設置されたトラップを慎重に解除し終えた後、無駄に長風呂をして時間を潰す。もうお風呂で寝たらいいとさえ思えてくる。なのにお湯が冷めてきてしまったのでしょうがなく部屋に戻る。



 まちがいなく今日という日は、昨日と違う。


 ちょこっと刺激的で、部屋に話し相手がいるのがやけに楽しく感じて、人の体温をここまで自分が欲しがってしまうとは思ってもいなかった。


 ひとり暮らしが始まって1年とちょっと、人並み程度には寂しさを感じていたのかもしれない。



 存在を確かめるようにベッドに眠るサクラの顔を覗き見る。


 サクラは眉間にシワを寄せて、目元が濡れていた。


 なぜ彼女は泣いているのだろうか? 不意の出来事に心がざわつく、でも今サクラを起こして、『大丈夫? 悪い夢でもみてたの?』という権利は僕にはないだろう。単に悪い夢なのか、家出をしたストレスなのか、僕には苦しそうな寝顔をどうすることもできない。


 もっとサクラとの付き合いが長いのであれば、頭を撫でて悪い夢から抜け出せるように願えたかもしれない。


 僕がサクラの家族なら、無遠慮に体を揺らして悪い夢から起こせたかもしれない。


 しかし、僕とサクラは今日会った他人。


 僕はサクラの本当の名前も知らなければ、一方サクラも僕のことはまだ名前しか知らない。


 そんな僕が触れたら、また手を払われる。それだけはわかった。


 そんなのは関係ないと図々しく僕が『どうして泣いているの?』と聞けば、眉間にシワを寄せて怒らせてしまうに違いない。


 同じ部屋いて、僕とサクラの距離は手を伸ばせば届くほど近いのに、遠い。途端に彼女が儚い存在なのだと思ってしまった。


 出会いの星は『今日一番に輝いて、明日には消える』と店長は言った。


「今日は楽しかった」


 自然と口からこぼれた。おやすみサクラ。できれば良い夢を。明日いなくなるとしても、いつかまた出会える日があるといいな......。



 明日を想像して少しものさみしさを芽吹かせて僕は眠りについた。



 ―――翌日。サクラは熱を出してうなされていた。


「サクラ起きれる?」


 サクラがのそりっと起き上がりしんどそうな顔で僕をみる。


「......だれ? ここどこだっけ」


 ぼーっと僕の顔を見つめて、『あーっ』っと気の抜けた声を出す。


「辛いラーメンの人」


「その覚え方ちょっと酷いよ」


「冗談冗談、ユウト、覚えてるよ、あー風邪ひいたみたい喉痛い」


「ちょっと体温測ってみて」


 ―――ピピピと電子音が鳴る。38.6度か、これだとかなりしんどいはずだ。


「このまま部屋に居たら風邪をうつしちゃうね。私もう帰るよ」


「......帰るってどこに? 家出はお終いにしたの?」


「あー家出って言ったけど、他人の部屋に居候してただけだから、今みたいな感じよ、だから気にしないで」


「余計気になったよっ」


「声が大きい、あたま痛い」


「色々聞きたい事はあるけど、風邪ひいたならおとなしく寝て」


 サクラは眉間にシワを寄せるほど目を固く閉じてウンザリした口調で言う。


「もーっ! 良い人ぶるのやめたら? 正直邪魔でしょ? 私? そこらへんにポイっと捨てちゃえばいいんだよそれが普通だし私ならそうする」

 

 まさかそんな言葉が出てくると思ってなくて、返しの言葉に詰まる。サクラは熱でぼーっとするのかうなだれて頭を左右に揺らしている。


 僕はなんて返したら正しい答えになるのかわからなくて浮かんだ言葉だけを口に出した。


「......邪魔じゃない」


「はぁ? じゃあなに?」


「楽しかったんだ。昨日話ができて」


 眉間にシワを寄せて『何言ってんだこいつ』と言わんばかりに睨むサクラの目をみて話す。なんでいつも眉間にシワを寄せているんだよ。


「正直朝起きて、別れるのが惜しいなって思った。だから風邪ひいて引き止める口実ができてちょっと嬉しい」


 サクラは垂れた前髪を両手で掬いそのまま頭を抱える体勢になった。更に眉間のシワを深くして、目を左へ右へと泳がせる。口は何かを我慢するように固く食いしばっていた。


「ばっかじゃないの......嬉しいとか意味わかんない」


「寝て」


 サクラはベッドに横になって顔を隠すように毛布の中に隠れた。


「ねぇ、なにが目的? そこだけ教えて」


「サクラの頭をなでたい」


「ヘンタイっ......ホント意味わかんない」


 サクラは少しだけ頭を毛布からだして『それくらい勝手にすれば?』と言った。僕は彼女の言葉に甘えて安心させるように頭を撫でた。

 

 素直に看病される気になったのか、抵抗する元気もないのか、それからのサクラは素直に従ってくれた。


「食欲は?」


「ない」


「おかゆは食べれる?」


「うん」


「はい、この薬も飲んで」


「やだ、これマズいやつじゃん」


「風邪の引き始めならこっちの方が良いよ、今はこれしかないし、他のヤツも後で買ってくるから」


 サクラは薬を受け取り、しばらく薬を見つめて心底嫌そうな顔で顆粒を口の中に含み慌てて水で流し込んだ。苦味に耐えるように手がワナワナと震えている。


 そんな飲み方したら味をもろに感じちゃうよ。


「......まずいぃぃぃ」


 よく飲めましたと、頭をよしよしと撫でる。サクラは険しい顔でじっと撫でられるのを我慢していた。頭を撫でられるのイヤなのかよと苦笑しながら、でもそれがおかしくてサクラには悪いけど頭を撫で続ける。


「今から、薬局行ってくるけどなんか欲しいのある?」


「べつに」


「風邪の時は桃缶がいいんだっけ?」


「桃......それでいい」


 ちょっと弾んだ様な声色だった。桃が好きなのかな?


「他に欲しいものがあったら言って」


「......アイス」


「風邪の時にアイスって大丈夫なのか?」


「美味しいから大丈夫」


 サクラよ、大丈夫の理由が個人の感想によるものになってるよ。


「バニラとチョコアイスどっちがいい?」


「チョコのアイスは苦いからやだ」


「苦いか?」


「苦いよ」


 そんなやり取りをしてから車を走らせて薬局へ、必要なものをポイポイと買い物かごに入れていくと結構な金額になった。ついアレもコレもと買い過ぎてしまったみたいだ。


 そして、帰りにふと思い出したようにホームセンターで安い寝具を一式買った。床で寝るのを2日連続はキツイ。


 今からキャンプにでも行くの? というような大荷物を抱え僕は帰宅した。


 玄関のドアを開き『ただいま』なんてずっと言っていない言葉言ってみる。返事はない。もしかしてと心配で早足で部屋を確認するとサクラはおとなしく寝ていた。


 その姿にほっとする。


 薬局の袋からおでこに貼る熱冷ましのシートを取り出しサクラのおでこに貼ろうと近づいく。


 サクラはまた眉間にシワを寄せて泣いていた。僕はいつかその涙の理由を知る事はあるのだろうか。


「サクラちょっとおでこに冷たいやつ貼るよ」


「ん......冷たい」


「桃缶買って来たけど食べる?」

 

「んーんもう少し寝る。さきに食べてていいよ」


 僕は食べないよ。


「桃なら僕は5分以上待てるから安心して」


「わかった」


 サクラはあまり思考がまわらないようで、ぐったりとしていた。看病も関わりすぎると逆に負担になってしまうだろう。



 僕はベッドの横に座り、電子書籍を読みながらいつもの休日と同じように過ごす。


 ―――夜になってもサクラの熱は下がらないままだった。


「ユウト今日もカップ麺食べるの?」


「あ、ごめん匂いがキツイか」


「そういうわけじゃないけど、いつもそうなのかなって」


「料理できないし買いだめするぐらいにはいつもコレ」


「おかゆ作ってくれてるじゃん」


「それは、ウチ母子家庭だったからさ、母の看病するときにおかゆだけは作ってたおかげだね......って言っても炊飯器に水を沢山いれてスイッチ押すだけだから料理に入らないと思うよ」


「へー、私も母子家庭なんだよ」


「意外な共通点があったね」


「そだね。......仲良かったの?」


「良かったかな?」


「ふーん、私は最悪だったよ」


 サクラは自身の髪の色を強調しながら『最悪過ぎてグレたわけよ』と自嘲して言った後にゴホゴホっと咳きこんだ。


「喋りすぎたかも喉痛い」


 僕はサクラのおでこに手を当てて熱を測る。


「まだ熱いよ」


 おでこに手を当てた僕をキッと睨んで掠れた声でサクラが言った。


「調子に乗るなよ小僧ッ」


「それなんのキャラ、すごい悪役なんだけど」


 僕の真顔のツッコミにぶっと吹き出し『真顔ッ笑わせないでよ』とケラケラ笑ってまたゴホゴホっと咳きこむ。


「あーしんどい」


「変な事するからだよ」


「不良の私にはピッタリかなってさ」


 なんて言葉を返したらいいのかわからず話を逸らす。


「デザートに桃缶食べる?」


「うん」


「あ、アイスもあったね桃缶とどっちがいい?」


「え?」


 それってどっちかしか選べないの? っとでも言いたそうに絶望的な顔をするサクラ、そんな顔をするなよ。


「どうする?」


「桃缶はおかずにして、アイスをデザートにします」


 いや、『します』って両方食べてもいいんだけどね、それで気持ち悪くならない?


「すごい理論だね。完璧だよ」


 その時、両方食べれるのが嬉しかったのかサクラが一瞬だけニコって笑ってくれた。その笑顔はズルいよ、もっと餌付けしたくなっちゃうでしょ。


 僕が桃缶を開封して食べやすい大きさにザクザク切っているとサクラが話しかけてきた。


「ねぇユウト、カップ麵ばっか食べるのは体に良くないよ」


「......そうだね」


「明日はちゃんとしたの食べて」


「わかった」


「......ん」


 サクラ、心配してくれてありがとう。ひとりで食べるご飯って味気ないからいつの間にか辛いモノばっか食べるようになって、最近はカップ麵ばかりになって、それでもそれに気づいて注意する人なんて今までいなかったんだ。


 注意されたのに悪くない気分だった。


 明日サクラの体調が良くなって、食欲が出てきたなら一緒に何か食べよう。そんな事を考えながら、桃缶とアイスをサクラに手渡す。サクラは待ってましたとアイスを一口食べて『冷た』と言い、次に桃を食べて『っうま』と言った。ゆっくり味わいながら食べていると何かを思いついたのかフォークの背で桃を潰し始めた。


 楽しそうに食べる様子がとても面白く僕は邪魔にならないようにサクラの行動を観察していた。



 サクラは潰して形が崩れた桃をアイスの上にのせて軽く絡ませて完成させた桃アイスを口の中へと運んだ。『やっっば! 新発見』と呟いた後に得意げに僕の方を向いた。


「ユウト、美味しいものと美味しいものを混ぜるとすごく美味しい」


 僕はあまりの感想にぶっと噴き出して笑った。


「あははは、それはすごい発見だね」


「でもあげないけどな」


「くれないんだ」


「笑ったからな、自分で作れ自分で」


「自分のアイスがないんだよ、ちょっと頂戴」


「あげないってば、風邪うつるとダメじゃん」


 今もカラダの怠さは抜けてないだろうに、それを感じさせないように振る舞うサクラが無理しすぎないようにさっさと食器を片づけてしまう。


 ふたりで歯磨きをした後、今日買ったばかりの新品の布団を広げる。


「買ったの?」


「買ってしまった」


 電気を消して布団に入る。暗くなった部屋でポツポツと言葉を交わす。


「今日は休みだったけど明日は朝から仕事なんだ」


「うん」


「明日はお留守番お願いして良いかな」


 サクラは返答に困ったのかしばらくの沈黙の後に言葉を返した。


「追い出さなくていいの?」


「ちゃんと風邪をなおして」


「......迷惑かけてごめん」


「迷惑じゃないよ、昨日も言ったけど楽しいんだ」


「へんなやつ......邪魔になったらすぐに言って」


「わかったよ、その代わり言わない限りは邪魔じゃないからね?」


「......うん」



 こうやってサクラと過ごす2日目の夜が過ぎていった。 

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