第29話普通ではないもの
黄禍論。
ここに来る前、軍ではそのような思想が西洋社会では無視できない程成長していると聞いていたが、実際に目の当たりにするとこれは思っていたより厄介だ。
「何、思えばくだらない理屈さ。軍事力を背景にした一方的な世界分割と植民地化による世界の文明化は
マティルダはため息を吐いた。
「黄色人種による辺境国家の筆頭、大八洲を国際社会から排斥し、影響力を弱めようという思惑は、まぁ列強国なら多かれ少なかれある。私のような人間が学園長でなければ、この学園においてお前への不当な差別や圧力を是認させることにもなりかねん。私が出てきたのはそんな理由だよ――」
一息に説明して、マティルダは小生の顔を見つめた。
「どうだ? 恐れをなして国に帰るなら今のうちだぞ?」
「誰が。黄禍論だか改暦論だか知らぬが、小生は如何なる困難にも屈さぬ」
小生は握り拳を握り締めた。
「肌の色を論拠に小生を認めぬ人間がいるならば、圧倒的な実力と努力で認めさせるまでのこと。それが出来ぬのならハナから【剣聖】などにはなれぬ……そうであろう?」
小生がほかならぬ【剣聖】に問うと、マティルダは頷いた。
「ならばその差別意識でさえ丁度よい。全てねじ伏せて小生の糧とすれば今より強くなれる。小生は剣以外の何物にも振り回されぬ」
決然と言うと、マティルダがふふっと含み笑いをした。
「その意気があるなら結構なことだ。お前はそういうヤツだとわかってはいたがな――」
マティルダは毒々しい赤い唇で笑った。
「ここへお前を呼んだのはその決意表明が聞きたかったからだ。三年ぶりの挨拶も済ませたかったしな。さぁ、そろそろ入学式典も終わる頃だろう。戻りなさい」
マティルダに促され、小生は頷いた。
ただそれだけで帰るのも何か素っ気無い感じがしたので、小生は少し考えた。
「あの、な――」
「ん? なんだ?」
「その――さっきのは本当だぞ」
「なんだ?」
「また顔が見られて嬉しい、というのは、世辞ではなく本心だ。これからは教師と生徒として、またよろしくな、マティルダ」
小生の言葉に、マティルダは一瞬、完全に虚を突かれた表情になった後、ふぐうっと唸って手で口を覆った。
「なっ――どうした!?」
「おおお、可愛い弟のデレが強い……! お姉ちゃん感無量! 何もわからない子供だと思ってたのに三年も経つとこんなに成長するんだ……!! ウオオオオオオ!! やっぱり我慢ならねぇ!!」
一頻り感動に震えた後、マティルダは再びぴょーんとばかりに机を飛び出し、小生の頭を抱えて撫で始めた。
甘く、ねっとりと鼻孔に絡みつく妖婦の芳香に包まれて、小生は慌てた。
「おっ、おいマティルダ! もうよしてくれと言っておるだろう! いい加減小生を子供扱いするでない!」
「なぁにを言ってるんだクヨウ、お姉ちゃんにしてみればお前は永遠に子供のままだぞ! ……あぁもうどうしよう、こんな可愛い男がこれから魔剣士学園でそれなりに苦労も困難も経験すると思うとお姉ちゃん寂しい。家族ができるとこんな気持ちになるんだな……」
その言葉に、小生も今少し、撫でられてやるかという気持ちになった。
そう、家族――小生にも昔、ちゃんと家族がいたが、今はこの血の繋がらない姉だけだ。
そしてなおかつ、この妖婦には血の繋がる家族はいない。
よく聞いたことはないのだが、色々と複雑な生い立ちであるらしいことはなんとなく小生もわかっていた。
「よく聞けクヨウ。お姉ちゃんは確かに【剣聖】だ、大量破壊兵器そのものだ。だけどな、お前が三つ指ついて、どうか【剣聖】をやめてくださいとお願いするなら、お姉ちゃんはその日で【剣聖】をやめる。私にとってお前はそれぐらい大事な存在なんだ」
まるで刷り込むように、マティルダが小生の頭を撫でた。
「どんなに腕っぷしが強くても、どんなに剣が使えても、決して手に入らないのが家族というものだ。その家族を守るためだったらお姉ちゃんは一個師団に囲まれてもぶちのめしてやる。いいか、全世界がお前の敵になっても、お姉ちゃんだけはお前の味方だからな」
そんなクサい台詞を平然と吐かれると、おそらくそれは本心なのだろうという確信が生まれてしまうから妙なものである。
小生が何も言えずに押し黙っていると、その沈黙をどう受け取ったのか、マティルダが小生の頭を離した。
「よし、再会の挨拶はこんなもんでいいな。十分匂いも刷り込んだし。これ以上デレデレして【剣聖】に戻れなくなっても困るし」
「う、うん……そういうもんであろうか。【剣聖】は大変だな」
「とにかく、何かあったらすぐお姉ちゃんに相談するんだぞ? そのために私がここにいるんだから」
「わかったわかった。もう、とにかくあなたには感謝している、そのことだけはわかってくれよ、マティルダ」
「ふふふ、わかっているさ。これでもお前の姉貴分だからな。ではクヨウ、よい学生生活を」
さぁもう行け、というように、マティルダは小生の背中を叩いた。
頃合いを見計らい、秘書であるリタが執務室のドアを開けてくれたのに向かって歩いて……ふと、小生は机に着席したマティルダを振り返った。
「それと、マティルダ」
「なんだ?」
「最初に言っておくが、立場上、答えられないならそれでもよい。……何という名前であったかな、あの首席で入学したアルビオンの王族……アイズ、とか言ったか」
「ああ、あの子な。あの子がどうした」
「あれは、一体なんなのだ?」
小生の言葉にも、マティルダの表情に変化はなかった。
小生は重ねて訊ねた。
「小生、今まで様々な場面で様々なものを見聞してきたが、あんなものは見たことも聞いたこともない。世界に名だたる最強国家であるアルビオンとは、あんなものを生み出す国家なのか。生み出して――どうする気なのだ」
そう、アルビオン王国。
今や世界の三分の一の面積を支配下に治めるという、世界最強の列強国。
マティルダの祖国であり、このアーサソール魔剣士学園を創始した国。
彼らは一体何を考え、何の目的であのアイズとかいう学生をこの学園に入学させたのか。
マティルダは虚空を見上げたまま、何も言うことがなかった。
成る程、と小生は納得した。
立場上、答えられない――そういうことで、それほどの存在ということか。
小生は少しぞっとした気持ちで、それでも言った。
「いざとなったら――斬ってしまうぞ」
「まぁ、そう怖い顔をするな」
マティルダはあっけらかんと言った。
「お前には速攻でバレるとは思っていたけれど、早かったなぁ。安心しろ、お姉ちゃんはお前と同じ気持ちだ。確かにあれは普通じゃない。けれど、それを見て嫌な気持ちになるのはお前と同じだ。立場上そう口にできないだけでな」
マティルダは意図のわからない笑みで笑った。
「まぁ、お前もあんまり構えるな。親しく付き合ってみればアレはアレで意外にいい子だぞ。まぁ、お前には親しく付き合うこと自体、難しいかも知れないけれどな」
「あぁ、難しいであろうな」
「だがそれがいい、付き合い方がわからない人間と触れ合う、それも立派に学生の仕事だし、成長の上だ。お前の師匠だってこういうことは教えてくれまい?」
師匠。マティルダ以外の誰にもその存在を伝えていない人。
マティルダは薄笑いを浮かべた。
「クヨウ、確かにお前には、お前の師匠の記憶がある分、他の学生より大人びていて当然だ。だがその師匠とお前は、今は違う人間だ。お前はクヨウ・ハチスカという人間としてしっかり生きろ」
姉として、そして教師として、言い聞かせる声であった。
「そしてちゃんと成長しろ。前世の記憶などというものに振り回されて学生として生きることをサボるなよ? でなきゃその剣、没収しちゃうからな? 元々ウチのものだし」
「それは――嫌だな」
その言葉に、小生は刀の柄に手をかけた。
この刀を小生に預けてくれたこの妖婦がそんな事を言うのである。
蜂須賀九曜として生きることをサボったら没収、というのは、本心だっただろう。
まるで玩具を奪われそうな子供のように身を捩った小生に、マティルダは意味深に微笑んだ。
「まぁとにかく、私からは言えるのは以上だ。お前の学生生活に幸多からんことを。頑張れよ」
なんだかやたらと投げやりな言葉と共に、妖婦は口に手を当て、チュッ、と音を立てて掌を倒した
投げ接吻――この妖婦の得意技に、小生は少しだけ赤くなって頭を掻いた。
頑張れ、か。
頑張れば――あんなものとも小生は友人になれるというのか。
しかし一体、どうやって――?
少し不満な気持ちを抱えたまま、小生は三年ぶりの対面を終え、教室に戻ることになった。
◆
個人的に、結構読まれてて驚いております。
まだまだ道半ばですが今後もお付き合いを願います。
「面白かった」
「続きが気になる」
「いや面白いと思うよコレ」
そう思っていただけましたら、
何卒下の方の『★』でご供養ください。
よろしくお願いいたします。
【VS】
もしよければこちらの連載作品もよろしく。完結間近のラブコメです。
↓
『俺が暴漢から助けたロシアン美少女、どうやら俺の宿敵らしいです ~俺とエレーナさんの第二次日露戦争ラブコメ~』
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